ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

真田なんだな 2

2015年02月26日 21時21分34秒 | ウォーキング

交通量の少ない玉造筋を地図を見ながら渡り、



住宅街へと入っていきます。

真田山のある三光神社の
鳥居の前方にあるのが、七体地蔵尊です。



大坂夏の陣、大阪大空襲などで
お堂が焼失するたびに地域の人によって堂が再建され、
祀られ続けてきた地蔵です。

この日も小さな子を連れた若いママさん達が
熱心にお詣りをしていました。

さて三光神社ですが、





この「三光」という字に見覚えがありました。

そうです、紀州街道の諏訪ノ森の辺りを歩いている時に
「三光橋」という橋があり、



その横に三光会館という地元の集会所もありましたねえ。



写真はいずれも2013年4月18日のブログから

「浜寺」の語源となった「大雄寺」を開いたのが
三光国師といわれる人で、
その人の高名が橋の名前や
地域の会館の名前(三光会館)で残っているというお話でした。

それとつながるのかなと一瞬思いましたが、
よく考えるとあの場合は寺の話でしたので、
この神社にその国師が関係している
というわけではなさそうです。

調べてみますと、この神社はもともと姫山神社といわれており、
仙台市にある三光宮(現 青麻神社)を勧請し、
境内社・三光宮を合祀したことから

「三光神社」

となったそうです。

三光・・・三つの光は「日」「月」「星」を意味するといわれています。

前述の三光国師も
あまねく世の中を照らすという意味で
この名になっているようで
ここでもそういう意味が含まれているようです。

仏と神の違いこそあれ
人々の信仰心の根底には
共通の土壌があるのでしょう。

また、奈良県にある歴史の古い
漢方薬である「三光丸」というお腹の薬
(萩を走るときに友達にもらって
試したことのある薬です。)
も太陽と月と星をモチーフにしたマークを使っています。



なので仙台の三光宮の祭神が
太陽を神格化した「天照大神」と
月を神格化した「月読尊」、
そして宇宙を神格化した「天之御中主神」というのは
もっともな話でしょう。

ただ、この玉造の三光神社は
祭神を「天照大神」、「月読尊」
そしてもう1柱を「素戔嗚尊」としています。

「素戔嗚尊」はどちらかといえば
海を治める神様で、この際「三光」とはならないのではと
思ってしまうのですが、
合祀の結果だからこれでいいのか、
その辺はよくわかりませんでした。

地元の人はこの三光神社を



「日月さん」と呼んでいるそうで、
星は含まれていません。
そういう地域の呼称が
あるいはこの神社のいわれを
良く表していると言えるのかもしれません。

ああ、つい「三光」という言葉に引っかかって
おでこを光らせてしまいました。

根拠の薄い話なので参考程度に
読んでおいてください。
三光だけに・・・参考

さあ話を変えましょう。

この神社に来た目的はもう一つあります。

境内にある、「真田の抜け穴跡」の見学です。

ここは真田幸村が徳川家康の攻撃を迎え撃った
大阪城の外丸として土塁を築いた場所です。

そこに大阪城からずっと地下を通って
抜け穴があったそうです。

抜けるのはいや~ん、
という誰かの声が聞こえてきそうです。

そこがこれ。



真田の抜け穴跡です。

入り口には格子がはめられ、
立ち入りできないようにしてありますが、
今は7mほど進むとふさがっているそうです。
もしつながっていたら、整備して
真田トンネル歩行なんかを計画したら
すごい観光の目玉になるのになあ
と思ってしまいました。

その真田幸村の像が、
この抜け穴跡の横に立っています。



これが真田なんだな。

大坂冬の陣ではこの場所で、
徳川を撤退させるという大活躍をしたそうです。
きっと、ドラマにはそのシーンも出てくるでしょう。

結局彼は、翌年の大坂夏の陣で、
前に歩いた天王寺七坂の南端の方にある
「安居神社」で休憩している時に、
討死をしてしまいます。

これがその場所。



あ、ドラマの結末を先に言っちゃだめですか?

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では、この真田山一帯を引き上げて、
次に向かいましょう。

続く。


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