ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

便乗して三重に4

2019年01月07日 21時11分18秒 | ウォーキング

ビートルズを聞きながら、
こんな定食をいただきました。



店頭で何種類かの料理が
ずらずらと書かれてあり、
これらがすべて入っているんだ
と書かれてありましたねえ。

もうまるでビートルズの
サージェントペパーズロンリーハーツクラブの
アルバムみたいな盛りだくさんな定食です。

まあ、あとは電車で帰るだけなので
ついでにビールもいただきましょう。

いやあいいですねえ
とビールを飲んでいますと、
その時です。
背中が何となくモゾっと動いたような感じです。

「ん?地震かな」。

周りを見ると一組の会社員のうち一人が
「おや?」という感じで
天井を見上げたりしています。

雑居ビルの一階なので
何かの振動があったのでしょうか、
そんな感じでした。

そして食事を終えて外に出たころに、
朝に送ってくれた友達から
メールがありました。

「言ってた通りに自信があったねえ。
外国やけど大きな地震やったなあ」
という連絡です。

あああの時の振動はやはり
地震だったんですねえ。
日本に津波が来るような
大きな地震だったそうです。

朝の雲はそんな地震の兆候
だったんですねえ。

さあではまた市役所に向かって
歩いていきましょう。



あ、こんな道標がありますよ。



左こうのあみだ道で
右さんぐう道と刻まれています。



観音様の「国府の阿弥陀」と
伊勢神宮参宮の案内ですかね。

大門商店街を出ていくと
フェニックス通りに出ます。

それを右折していくと
市役所の方に向かって行きます。

国道23号線まで行くと
この辺りは交通量が多いですねえ。
この交差点の角っこには
「津市まん中広場」
と名付けられた看板がありますよ。



そしてその先で、
津城跡がありますので、
入っていきましょう。



織田信長の弟である信包がたてて、
伊勢津藩主藤堂高虎が
住み始めたお城です。

この辺りの旧町名は丸の内町ですねえ。
そのまんまの地名です。
藤堂高虎入府400年の
石碑もあります。



あ、ここには伊勢街道の
案内板もありますよ。



先ほど訪ねた観音寺も
紹介されています。

津城は城づくり名人といわれた
藤堂高虎が改修した城です。

天守閣はなく平城だったそうです。

織田、豊臣、徳川と主君を変えて
生き延びてきた藤堂家ですから、
平城で主君への忠誠を
誓っているのでしょうかねえ。

戦乱に明け暮れ、各地で奔走した
大柄の武将高虎は
津ではしっかりと祀られています。

城内には日本庭園なども気づかれています。



ひともあまりおらず、
のんびりと散策しましたねえ。

そして城の端の方にあるのが

「高山神社」。



藤堂高虎を祭神としている神社で
戦後ここに写されてきたそうです。
お参りしておきましょう。





そこから市役所に戻って、
津の南部をぐるりんと一周してきました。

時間を見ると、まだ歩き旅は
続けられそうです。

リーズナブルにここまで
やってきましたので、
さらにしっかりと歩いて
活動しておきましょう。
で、場所をいろいろと考えたのですが
ネットで見た「河芸町」の方に
一度出かけてみることにしました。

市役所から「津」の駅の方に
向かって歩いていきます。





県道23号に出て北向いて
歩いていきます。
交通量の多い道の歩道を
進んでいくのですねえ。



安濃川にかかったところで、
この塔世橋にかかります。
長い間戦争の空襲で傷んだ姿が
残っていた橋だそうです。

津駅行きのバスの跡を
ついていくようにして駅に
到着しました。



ここから河芸までは、
伊勢鉄道に乗っていくつもりでしたが、
どうも駅部分がよくわかりません。

なんかとてもローカルな電車で
一両編成の電車がごとごと
走って行くそうなので
乗りたかったのですが、
結局近鉄にのって豊津上野駅を
目指すことにしました。

また河芸を歩きながら
そんな電車も見るかもねえと思いつつ、
「津」の歩きはこれで終了です。



歩いたのはこんなコース
だいたい11キロ弱ありましたね。
静かないい所でした。 おしまい


最新の画像もっと見る

コメントを投稿