ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

渡しを渡った私3

2020年08月25日 21時27分17秒 | ウォーキング

渡船場であった親切なおっちゃんは
「この辺の船の時刻表は、
どちらかの岸を出発する時間に
なっているんやあ。
だいたい大正区の方に船がいてるので、
そちらを出る時間なんやで」
と説明してくれはります。

ああ、そうかあ。ネットでは、
時間厳守でちょっと遠くから
待って~といっても船は
待ってくれないそうですが、
船溜まりの無い渡船場では
川を渡る1分くらいの
時差はあるんですね。



さあでは乗り込みです。

船は「はるかぜ号」という
名前のようです。
人が乗るスペースは目測で
幅5m長さ15mくらいかなあ。



この時の乗員は4名でしたね。

一人に頼んで写真を撮って
もらいました。



後ろに見えている巨大煙突は、
大正の清掃工場ですねえ。

昔一度仕事で来たような気がします。

「おお、今大きい魚がいたで」
とさっきのおっちゃんが
横から説明してくれはります。

「海もなあ、昔は魚がいっぱい
いたけどなあ。最近は
少ないような気がするなあ」。

そんな話を聞きながら、
気持ちのいい海風を受けつつ
約1分で対岸に到着です。

「おっちゃんありがとう。
気を付けて」とさよならし、
doironも下船してゆきます。

これで今日の渡船の経験が
ひとつ終了です。
15分に一度船を出す若い船乗りたち。
あ、大体二人で運航してはります。
毎日単純で大変やろなあ。
頑張って腐らず仕事してやあ
と心の中で思いつつ、
渡船場を出てゆきます。



ここが一般道から渡船場に
入ってゆくところですね。

船を降りたdoironは
これを右に曲がって、
大正区の清掃工場の前を
北上してゆきます。



ここには動物の慰霊碑なんかも
あるんですねえ。



そこを過ぎてしばらく行くと、
公園のところに出てゆきます。



ここは「平尾亥開(いびらき)公園」
といいます。

1771年の時に平尾与左衛門という人が
このあたりを開発しました。
それが干支でいう「亥」の年だったので、
こういう地域の名前になり、
それが公園名になっています。

この公園はかつてはペスト患者収容所で、
戦争時には捕虜収容所でもあったそうです。
そんな公園を過ぎて



住工混在の町を歩いて行きますと、



右手に入っていく道が現れます。



これが落合下渡船の乗船口です。



船が止まっていますねえ。



大体この辺の渡船は、
大正区側に船溜まりがあるようです。

こちらは「みどり丸」と
名付けられていますねえ。

少し時間があるので、
またまたスケッチブックに
渡船場の名前を書いて
写真を一枚撮影しておきましょう。



それにしても、気温は
ぐんぐん上がってきます。

渡船場はイケイケだから
クーラーもありませんが、
おっ、うちわが何枚か置かれていますよ。

早速利用しましょう。



これを持ってまたまたタイマー撮影。
それにしてもUSJが近いというのに、
ミッキーマウスはいただけませんな。

で、時間が来たので
またまた乗り込みます。



はっと気が付いたら
写真は船内とか桟橋は
危ないのであかん、見たいに
書かれています。

そうかあ、あかんのかと
ガックシしてたら乗務員から、
「写真は撮ってもいいけど、
他の乗船者の撮影は
配慮してくださいねえ」だって。
ああ、ブロガーの救世主ですね。
気をつけて撮影します。



ここも運行距離は50mくらいです。
動き出したなあと思ったら、
もうすぐに着岸ですねえ。



船内にある注意書きを
撮影しておきました。



それによると、自転車や車いすや
乳母車とかは行けるようですねえ。
バイクはダメということですね。

動物は盲導犬のみですね。

散歩の人は犬を載せたりは
できないのでしょう。
あ、泥酔者もあかんと書いていますよ。
飲み会の帰りも、
ここではまっすぐ立っていないと
あきませんね。

感染症の所見があるものもあかんようです。

「俺、コロナ」て言ってたら
乗れませんね。

続く



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