ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

近野物語

2011年08月11日 22時50分25秒 | 生活

夜によく眠れるのは、
心が健全な証なんだろう。

夜中にトイレに起きることもあるが、
ミセスdoiron曰く、
トイレから帰ってきて、布団に入ろうと屈むころから
すでにいびきをかき始めているとのこと。

放射能ではないが、
心に浴びせかけられる苦難も
まだdoironの許容範囲であるのだろう。
で、それはそれゆえの、
得意技ともいえる健康な睡眠なのであろう。
しかし、そんな眠りの深さとは別に、
最近はとみに歳をとったのだろう、
朝の目覚めの時間が早くなりつつある。

もしかしたら、
陽が出て暑くなり始めるのを
体内温度計が感知するからなのかもしれないが・・・。

いずれにしても、
たいていはそのまま改めて
深い眠りに戻っていくのだが、
今日は夏の朝の様子をみてみようと、
起き上がって冷蔵庫から冷えた水を取り出して
それを持ち、散歩に出かけてみることにした。

さてどっちむいていこうかと
玄関を出て考えてみた。
近所には神社があり、
そこは絶好の散歩コースなのだが、
とってもパワースポットで、
朝からそんなパワーにまみれるのは、
まどろみの延長のように
ゆるい気持ちで散歩するのにはふさわしくない。

そこで神社の南側のふちに沿って、
クスノキやムクノキが
濃い日かげを作る小道を歩いて、
神社の自然観察もしながら
近所の公園まで歩いて行くことにした。

その道は地元の人が、
JRの駅まで行くときの近道にもなっているので
時間によっては結構人通りも多い。

しかし、早朝からこの道を歩く人は少ないのだろう。
何度か蜘蛛の巣に顔を突っ込んでしまったので、
小枝で顔の周りをはらいながら散歩をすることにした。
そして、思わず小枝に頭を
こすられて、
あやうくエグザイルのASUSHIに
なってしまうところでした。

そんなことをしながら歩いていると
神社の緑の葉の上に、
1匹のカタツムリを見つけた。
(あれ、カタツムリの数え方って
“匹”でよかったっけ?)

最近、A日新聞の天声J語に
東北の震災に絡んで
「遠野物語」のくだりがよく引用されている。

その著者の柳田國男が、
方言に関して興味を持ったのが、
この「かたつむり」が発端だったらしい。

彼は「まいまい」、
「でんでんむし」、
「蝸牛」と様々な呼び名で呼ばれるのは、
京都を中心に離れていくにつれ
方言が変わっていくという

「方言周圏論」

にのっとっているという説を提唱したという。

晩年、彼はこの自説に
疑問符をつけたらしいが、
学問的にも一部有効とされているらしい。

そんな、言葉の変遷と民俗の推移を関連付けたこの動物だが、
そんなこととはつゆ知らずに
早朝の葉陰でくつろいでいたカタツムリなのであった。

公園に出ると、今度は
今年初のお目見えとなる赤とんぼを見かけた。
これも数え方はよくわからないが、
1匹だけでよろよろと飛んでいた。

秋になると山から下りてくるというこのトンボ。
実は暑さに弱く、
あの羽を激しく震わせて飛ぶせいで、
運動時の体温は外気よりも10度以上高くなるという。

したがって気温が30度を超えたら、
生きていけないのだそうだ。

そのためにまだ暑い間は、
高地の涼しいところで生息しているとこういうわけだ。

しかし一年で今がピークといわれる暑さの中で、
平地の沼地で羽化したのかどうか知らないが、
今日の暑さに耐えれたのか、
今すごく気になっている。

朝の散歩で出くわした2種類の生き物。

カタツムリは、彼の「蝸牛論」では主人公ではあるが、
果たして民俗や文化に強く関わっていると思われる
「赤とんぼ」が彼の代表作

「遠野物語」

に登場するのかどうか、
確認してみようと考えたのが、
ゆるい頭で散歩しながら考えていた
doironの遠野ではなく「近野物語」なのだ~。


男は刹那的

2011年08月10日 22時44分07秒 | 生活

携帯の待ち受け画面を変えた。
夜空をバックに月が出ていて
画面の下部には、街の夜景が
描かれている。



実は、この待ち受けの機能は
この景色だけではなく
夜空の部分に
スマートフォン特有の
タッピングをすると
指が接した部分に花火が
炸裂するのだ。

これはなかなか癒されるよ。
でもねえ、最近これを見ながら
今年はまだ花火大会を
見ていないことに気がついた。

近くで言えば
岸W田やピーエルの花火だが
いずれも、遠くでかすかに
音を聞く程度で花火そのものは
見ていない。

ぐすん

夏はやっぱり花火が見たいよなあ。

また、職場では
パソコンの待ちうけが
緑の丘陵だし、
机に敷かれた緑の
デスクマットも草原に見えてくる。



デスクの横には
山の友達にもらったカレンダーもある。



それに職場の流しで、つまった
シンクに水がたまっているのも
水辺を連想してしまうんだよなあ。

そんなのを見てると
「ああ~、早く山に行きてえ~」
「海にもっと行きてえ~」と
こうなってしまうのだよ。

子供のころは
今頃になると
宿題まだやってないのに
二学期が近づいてくる~みたいな
強迫観念に襲われて
たそがれていたdoiron。
今は、早く遊ばないと
夏が終わってしまう~という
焦燥感に襲われてしまっている。

あと夏も残りわずか
早く遊ばねば~

それにしても
男は仕事だ~と書いた翌日に
もうこんなことを書いている。
doironが
いかにうわべだけで
刹那的に生きてるのか
よくわかるでしょ


男ですみません

2011年08月09日 23時22分00秒 | 仕事

今日は夕方四時過ぎから
3年に一度の大事な会議。
10時前まで5時間以上続いて
先ほど帰宅したばかりだ。

会議は、座って見守るだけの
役割であったが
ひとたびモメたら出番となる。
いつでもかかって来なさいってなもんだ。

結局、とどこおりなく
会議は無事終了。

う~ん。男は仕事だあ~
そして遊びも介護も仕事も
全力中年だあ~。

会議を終えて帰り道
コンビニに寄った。
コンビニ好きのdoiron。

ふぁ~、コンビ二は安らぐ~

濃い目の缶コーヒーを買って
駐車場でプシュッ

プファ~

やめられまへんなあ
まったくコンビには
心のオアシスじゃな


鎮魂の夏

2011年08月08日 22時10分47秒 | 生活

沖縄戦での犠牲、
広島、長崎の原爆に加えて、
今年は行方不明者含めて
2万人にものぼる東北大震災の被災者の魂に
祈りをささげるお盆が間もなくやってくる。

8月は日本の鎮魂の季節だ。

とりわけ今年の東北では、
多くの精霊が初盆を迎える。

しかし、津波に流された被災者の家族には
多くの場合、盆を備える祭壇もない状態だろう。
お盆というのは、
昔からある風習だけど、
歴史が長いだけに
各地でいろんな形に姿を変えて、
独特の風土の習わし、風習となって、
残っている。

今回の被災地である盛岡では、
盆の送りのお供えや
戒名などを記した札とともに
爆竹などを積んだ船に乗せ、
船ごと燃やしながら川に流す

「船っこ流し」

が行われているのだが、
今年も行われるのだろうか。

何より、今年は海に流されて
行方不明の人が多い。

人々にとっては
多くの恵みを注いでくれるが聖なる海も、
今年ばかりは浮かばれない霊がさまよう
彷徨の海となっている。

津波は、物を人を飲み込んで連れ去っていったが、
その傷跡はまだ、
えぐれた海岸線同様に、
静かにお盆を迎えようとする人々の心さえ
かき乱したままだろう。

夏の光にきらきら光る、
一見静かな海も、
今年ばかりは深い悲しみを湛えて
人々のすぐそばに横たわっている。

多くの悲しみの甦る盆がもうすぐやってくる。


ご近所猫事情

2011年08月07日 21時51分18秒 | 生活

最近、猫が発情期を迎えているようだ。
毎日、裏の畑で「あお~ん」
「えあ~ん」と叫んでいる。
あまりに大きな鳴き声なので
どれどれと観察してみると
それは思っていたような
求愛の声ではなくて
どうやら三角関係の
もつれからきているようだ。
二匹の猫がにらみ合いをしながら
奇妙な「あお~ん」を叫びあっている。
そしてその後ろで
一匹の猫がのんきに
後ろ足で頭をかいたりしていた。

多分鳴いているのはオスなんだろう。
そして後ろにいるのがメス。

バウリンガルならぬ
ニャウリンガルがあれば
きっとこんな翻訳をするんだろう。

「あのなあ、このニャン子さんは
俺が先に目をつけたんだ。後から来て
手を出すなよ」

「何言うてんねん。恋愛は自由やないか
ニャン子さんに聞いてみろよ」

で、後ろにいてるニャン子は
「あのさあ、どっちでもいいから
早くしてくれない?」

なんてね。

オスはいつでもつらい立場だにゃあ。

そして、そんな猫の恋愛劇は
義母の住まいの庭でも
毎晩派手に繰り広げられるらしい。

昨晩は、どうやら
つかみ合いのけんかになってたみたいで
「あお~」、「えあ~」と叫んでるかと思えば
急に倉庫のトタン屋根を
バリバリバリと走り回ったり
植木鉢をひっくり返す音が
響き渡ったりと
それはそれはにぎやかだったんだとさ。

それはどこかで飼われているという
猫たちではなくて、野良猫らしく
フラッと庭にやってきて
義母さんをじろっとにらんでは
悠々と庭を横切っていくらしい。
たしかにdoironの知る限り
猫を飼っていると自認する家は
近所にはないが、
ただえさをあげているだけ
みたいな人が近所にいるのかもしれない。

行動はすべて謎のままなのである。

野良猫ホイホイでもあれば
仕掛けたいところだが
万が一、どこかで飼われているのかもしれないから
むやみに強行手段に出るわけにもいかない。
猫自身も怨念の深そうな動物だし・・・
そんなホイホイなんてなさそうだし・・・

頼むから、庭で子猫を産んだり
成仏したりすることは
勘弁してほしいと
義母さんは真剣に悩んでいる。


地蔵講

2011年08月06日 22時23分40秒 | 生活

doironが住んでいる村には、
地蔵講というのがある。
この“講”というのを広辞苑で調べると、
該当するのが
「神仏を祭り、または参詣する同行者で組織する団体」とある。
したがって地蔵講というのは、
村の北のはずれにある立派な地蔵さんを
祀る人々の集まりだというわけである。
この講には、代表者を含めていろんな役があるが、
なんといっても注目は「頭屋(とうや)」といわれる人だ。

その頭屋というのが、
60歳前後の者に歳の順番で
一生に一度だけ回ってくることになっている。

その年の地蔵盆の主役が頭屋というわけである。

doironの場合、この頭屋の回ってくるのが、平成24年。
つまり来年の主役となるわけだ。
56歳の夏にその一生に一度が回ってくる。
頭屋となると、
地蔵さんにつるす布に名前を書いて奉納する。
もちろんお供え物の手配なども
全部その年の地蔵盆の責任者となるわけだ。

わが村の場合には
地蔵盆の当日には、
村の人におにぎりと漬物がふるまわれる。

そのおにぎりを握るために
村の女性たちを公民館に集め、
握ってもらうお礼として仕出し弁当をふるまう。

そして、男連中はそんな女性陣たちとともに弁当を食って、
酒を酌み交わすのである。
娯楽の少なかった昔、
こうして村の男女が集まって、
ワイワイ過ごす行事は数少ない楽しみの一つであったに違いない。

地蔵盆当日は、
地蔵さんの鐘に頭屋の名前が書かれた赤い布が奉納され、
地蔵の一番そばにその人の名前が入った提灯が吊るされる。

左に頭屋、そして地蔵さんを挟んで
右が来年の頭屋にあたる「頭屋見習い」の提灯が吊るされる。
したがって、そこにdoironの提灯が吊るされるわけだ。

道端の地蔵を精一杯飾り付けて、
お寺さんを招き、読経をしてもらう。

そして地蔵盆が明けたら、
お供え物を“おさがり”として関係者に配って回るのだ。
流れは簡単なのだが、
いろんな人に動いてもらわないといけないので、
普段の付き合いが肝心となる。

頭屋を勤め上げると、
地蔵に名前が刻まれる。
こうして未来永劫村のはずれで、
doironは村人たちを守る地蔵の一部として、
地域の人たちの中に生き続けていくことになるわけだ。


音楽のチカラ

2011年08月05日 22時36分49秒 | 音楽

毎日ブログを書いていると、
自分の精神状態がよくわかる。

そもそも人に流されやすい、
物事に影響されやすい性格なので、
その日その日の出来事などで、
猫の目のように精神状態がころころ変わるもんやなあ、
とブログを振り返りながら
つくづく思う今日この頃だ。

そんな精神状態を反映して、
ブログの雰囲気も、
一種、躁うつの気(け)があるんではないか
と思うほど、浮き沈みがある。

楽しいことがいっぱいあった日は、
自分で読んでいても面白い文章を綴っているし(自画自賛?)
重苦しいことが多かった日は、
くらーい文章になり、
爆発的な喜びや怒りに支配されるときは
感情に任せて書いていたりする。

いろんな自分があるのは、
引き出しが多いという反面、
軸を持っていないということの
裏返しなのかもしれませんね。

そんな風に、周りの人や出来事に
右往左往しながら、生きているdoiron。

震災があれば、心を揺り動かされたり、
ナデシコJAPANに喜びを爆発させたり、
近いところではサッカー選手の死の
ニュースに触れて神妙になったり
と世の中に影響されまくっているが、
実はそんな大きな出来事でなくても、
doironの感情の起伏を一瞬で隆起させたり、
沈降させたりするものがある。

それが、音楽だ。

ビギンを聞いては沖縄暮らしに憧れ、
サザンを聞いては湘南に行きたくなる。

そしてこれを聞いたら、
必ず泣きそうになる曲があったり、
喜びにあふれるときには聞きたくなる曲もある。
自分を鼓舞したり、
これこそ自分のテーマソングだという曲もある。
それが何かというのは、
あまりにも自分をさらけ出してしまうので、
ここには書けないけど、
そんな曲が確かにいくつかあるのだ。

ま、俗に言う
スイッチが入るってやつやね。

とにかく、手軽に自分を
コントロールする手助けをしてくれる
そんなチカラを持っているのが音楽だ。

たまにはテレビを消して、
音楽を聴きながら、
それにあわせて自分の心が
どんなふうに動くのか確かめながら、
じっくり自分と対話してみるのもいいかもね。

ちなみに、今ブログを打ちながら聞いているのは、
「マイ フェイバリット ソング」by植村花菜です。


ひとつの命

2011年08月04日 22時37分30秒 | 最近の出来事

前々回にブログに書いた
サッカー選手の松田クンが
意識を回復することなく逝ってしまった。
享年34歳。
あまりにも早すぎる死だ。

あのとき、AEDさえあれば・・・
と思うのはせん無いことだけど
あれば、助かる命がそこに
あったのだと思うと
本当にやるせない。

彼のように、突然の死に
襲われた人を何人も知ってるdoiron。
そしてついに帰らなかった
彼、彼女らの無念さは
わがことのように
胸に残っている。

そんなニュースを
聞いて、きっとこのブログを
詠んでいただいている人なら
すぐさまdoironのことを
思い浮かべたことだろう。

そうだ、そんなニュースに触れる時
doiron自身も
なぜ生き返ったんだろうって
思わずにはいられないのだ。

そして、いつも思う。
おいしいお酒を飲めるのも
友達と楽しく過ごせるのも
きれいな夕日を拝めるのも
仕事で苦労をするのも
介護で奮闘できるのも

ぜ~んぶ、生きていればこそやってね。

幸い、生き残ることが
できたのだから
残った命はおろそかにしてはいけないと
実感している毎日だ。

”死”があるからこそ
”生”が輝くというものだ。
生き残してくれたことに
感謝しつつ
日々をしっかり生きなくてはと
今回のニュースに触れ
あらためて思ったdoironでした。

正直、松田クのン生前はあまり知らなかったけど
これからは君の分まで生きるつもりで、
さらにしっかりと
今を積み上げて行こうと今日
君の訃報に触れて思ったよ。

松田クン、どうぞ、安らかに。



子供の勉強

2011年08月03日 22時00分02秒 | 仕事

本日はひょんなことから、
小学生の子供の勉強を見守る羽目になった。

「わからんところがあったらオッチャンに聞いてもいいよ」
といいつつ、内心少しドキドキしていた。
「聞かれてわからんかったらどうしよう~」ってね。

傍らで仕事の文書を作成しながら、
時折見守っていると、
小学生の子供の勉強の様子って面白いんだ。
熱心にプリントを見ているかと思えば、
手に持った消しゴムをいじくりまわしたり、
本を積み木に見立てて
一人遊びをしたりだ。

そうだよなあ、なかなか自習勉強で集中するというのは、
小学生くらいの年代にとっては難しいのかもしれない。

と、そうしているうちに1人が席を立って、
こっちにスタスタやってきた。

きたきたきた~。

どうやら手に持っているのは算数のプリントのようだ。
う~ん、算数ならわかるだろう。
まさか、小学生に
「フェルマーの最終定理について説明して」
などと頼まれたりはしないだろうし。
難しいのは、その学年に合った教え方、
問題の解き方があって、
それにのっとって教えてあげないといけないってことだ。

連立方程式を使えば簡単に解ける問題も、
回りくどく教えないといけないし、
ピタゴラスの定理を使えば
一気に解決する問題も、
幾何学的に組み立てて教えないといけないしね。

で、まず最初に聞かれたのは、
「逆数って何ですか?」という質問だった。

簡単じゃないか。

「分数だと、その逆数は分母と分子を入れ替えたもので、
分数じゃなければその数字を分母にして、
分子を1にした数字だ」と教えてあげた。

むふふ、なかなか我ながら的確な答えじゃないかと、
鼻息を荒げていると、
次に聞かれたのが

「なんで逆数なんか必要なん?」

て聞いてくる。
これには一瞬戸惑った。

たとえば、「なんで勉強せなあかんの?」的に、
逆数を勉強してなんの意味があるのかって聞かれているんなら、

「うん、生きるってことはね
いろいろ逆風にさらされることがおおくってね・・」

なあんて説明をしなければならないのかって思ったが、
次の設問の冒頭に、
分数で割るというのは逆数をかけることだというような記載をみつけた。

これやね

「逆数を求めるのは、割り算をする時に必要なんやで」
と答えてあげた。

よしよし、軽いもんだ。
と質問をこなして気をよくしていると、
また次の子どもがやってきた。
どうやら国語の問題のようだ。
問題を読むと、それは長文の中の
下線部の意味を答えなさいというものである。

え~、じゃあ長文を読まないといけないじゃん。

「めんどくさ~」

と思いつつ仕方ないので読んでみた。
その長文は「マザーテレサ」について書かれてある文章だった。

当時、イギリスの植民地であったインドで、
彼女がどのような活動をしてきたかが書かれてあった。

プリントの問題となっている
下線部の意味はすぐに分かったが、
マザーテレサについてはほとんど何も知らない自分を
確認することができたのは収穫だったな。

そのあともきいてくるのが国語の問題が多く、
それらが意外に子どもの想像力を
刺激する問題だったのにも、
感心させられた。
教科書や教材って
よくできてるんやねえ。
国語の問題を見ながら
いろいろ考えさせられたわい。

今度こんな機会がまたあって、
「何で勉強せなあかんの?」
ってほんとに聞かれたら
そのときはこう答えてあげようと思っている。

「大人になればわかるぜ」

なあんてね。


シンキンコーソク

2011年08月02日 22時50分57秒 | weblog

元サッカー日本代表メンバーの
松田直樹選手が練習中に
突然の心筋梗塞で倒れ
現在病院で治療中だという。

34歳という若さを突然襲った病災
とも言うべきあまりにも急な出来事だった。

スポーツ選手を襲うこの病気は
忘れたころにやってくる。
記憶に残るところでは
プロ野球選手
バスケットの女子選手
などが突然倒れるという
ニュースだ。

虚血性疾患、つまり
血液が何らかの理由で
届かなくなることで
心筋が活動を停止する病気だ。

すぐさま血流が回復することで
事なきを得ることができるが
一度心筋梗塞を起こすと
その部分の心筋が壊死し
血流が回復してもその壊死した
部分に負担がかかり
心臓が血圧に耐え切れずに
破裂するという病気もある。
この場合は即死である。
他にも梗塞後には
再発を含めて
致死率の高い病気を
突発する可能性があるため、
予後の検査は
しっかりとしておかねばならない。

それにしても、第一線で活躍する
スポーツ選手も襲われるという意味では
とても怖い病気である。
サッカーは長時間運動を続ける持久力を
要求されるスポーツ。
そんなスポーツだから中性脂肪やコレステロールなど
血管をつまらせる原因物質が
蓄積されることは少ないと思うのだが
それでも発症するというのは
一体何が原因なんだろうと思ってしまう。
doironの場合も
どちらかといえばよく似た事例なんだろう。

これからはスポーツ選手だと
普通の人が健康診断で
受診する項目の中に
カテーテル検査も入れねばならない
時代が来るかもしれない。
いや、もしかしたら
もうきているのかもしれない。

不整脈、あるいは高コレステロールの
所見があるようであれば
なおさらである。
腕の動脈を使えれば
非常に簡単にできる検査なのだ。

欲を言えば、日帰り検査で
いけるほどになればいいのだけど・・、
ま、いずれ近いうちにそうなるでしょう。

ともかく、松田選手の
意識が戻ることを祈りたい!