ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

あの日から2年

2013年03月11日 21時46分26秒 | 最近の出来事

あの震災から2年が経った。
ということで、
街道が近いどうシリーズは今日はお休み。

で、震災の話を進めます。

当時のブログをひも解くと
当日、doironは天橋立に向かっていた。
久しぶりの休暇を
存分の蟹さん達と過ごすためだ。

当日のブログは旅先なため
携帯でアップしている。
すごい災害と書いているけど
報道でもまだ全貌が明らかになっていないため
さほど緊迫感もなく
カニしゃぶの画像などをアップしていたのであった。

それから日を追うごとに
さすがに今の世の中のことであると
思わせる撮影画像が
次々と明らかになってきた。

海岸線に押し寄せる巨大津波。
車を流し、家々を破壊する姿は
衝撃そのものであった。

最近のテレビでは
津波の映像を流すとき
「これから放映する映像には
津波のシーンが含まれているので
ストレスを感じたら視聴を控えてください」
という説明があったり、テロップが流れる。
とまあ、ここまで配慮する必要があるのかねえ。
イヤなら見ないでしょうと思うのですがね。

ここんとこ、テレビ・新聞等では
あれから2年の月日を振り返るような
そんな報道が多いが、
そんな過剰とも思える配慮や
変な同情みたいな視点が
気に入らないので
doironは当時録り貯めてあった
ニュースの映像を改めてみることにした。

震災から2か月後の5月に放映した
NHKの特集番組では
冒頭でこのような説明をしている。

「今回の特集では津波の映像がたくさん出ます。
被災された方にはつらい映像でしょうが
私たちは、今回の震災の教訓を忘れないようにするため
あえて津波の映像を放映することにしました」

そうですよ。それでいいんだと思うのですよ。
津波がどんなに恐ろしいものか
災害がいかに非情なものか
私たちは忘れてはいけないし
常に備えておくことが必要なんですからね。
その時亡くなった人はもう帰ってこないのだから
それを教訓にして生き続けることが
何よりの供養でしょうよ。

温泉にバスタオルを巻いて入るときの言い訳や
店の前で試食をするときの言い訳のような
注釈はいらないんじゃないですか。
(注釈がないとクレームを言うのがおるんだろうが
それくらい自分で判断しろといいたい)

ま、それはさておき
改めてdoironのこの2年間を
振り返ってみると
被災した人とは比較にならないほど
生易しいものではあるが
自分史の中では
よくぞまあ、こんなに波乱の2年間だったことよ
と思わずにはいられない。

元気一辺倒の身体に芽生えたかげり、
32年間勤めた仕事の退職
そしてその退職後に始めた仕事もリタイアと
自身の加齢と家族の介護の津波が
いろんなものを流し去りそして同時に
いろんなことを教えてくれた。
これからもまだまだ
人生の津波にさらされ続けるのだろうが
そんな中でも友達は減るどころか逆に増え
励ましてくれるし、力もくれるのはとてもありがたい。
そうして被災はしなかったけど、
なんとか生き続けることはできている。
かくなる上は
こんな暮らしでも、できることは
負けずにがんばってやるだけでなく
やりたいこともしっかりと
していかねばと、当時の映像を見つつ
自分のさらなる復興を
改めて決意している次第なのです。



小栗街道が近いどう3

2013年03月10日 21時24分03秒 | ウォーキング

いよいよ本題の街道筋に入る前に
少しおさらいしておきましょう。

今回歩いたのは
小栗街道(おぐりかいどう)なんですが
この街道はもともと
熊野三山に詣でるための
熊野街道としてついていた道です。

それがなぜ、小栗街道とも呼ばれるのか。
そこには、小栗判官と照手姫の物語があります。



歩いている途中で見つけた案内板にも
そのことがチラッと書かれていました。

判官とは、昔の役職の名前で
いわゆる公務員のようなものですな。
裁判官的な役割だったそうです。

そんな役員だった小栗判官が
72回も妻をとっかえひっかえたのちに
照手姫を親の承諾なしに
娶ったのですが、それに腹を立てた
親が彼に毒を飲ませ
殺してしまったのです。
ところが、どういうわけか
閻魔さんに生き返らせてもらった小栗判官
でしたが、その身体は完全なものではなく
治すためには熊野に詣出ないと
ダメだと言われたそうです。

そして熊野に向かう道すがら
出会った女性が
なんと落ちぶれていた照手姫でした。
でもその時は、お互い気付かないままだったというような
お話が伝えられています。
(細部で間違いあればお許しを)

その小栗判官が快癒を目指して
熊野街道を旅したために
そのみちが小栗街道といわれている。
とまあそんなわけですね。
伝説のことなので
各地ではいろんな話に派生しているようです。
思わぬ寄り道もあったり
そのため、小栗街道と熊野街道は
ところどころで一緒になったり
また別々になったりを繰り返しながら
熊野へと続いて行くのです。

街道に沿って、地元自治体では
いろんな表示でこの道のことを
紹介しています。
今回歩いた道でも、ところどころに
表示が建てられていました。




そんな熊野詣の道には
ところどころに”王子”と呼ばれる場所があります。
大阪から那智勝浦までに実に100を超える
王子があるとされています。
この王子は熊野詣の旅人の休憩場所と
言われたり、祈祷を行った特別な場所であるとか
物資補給をしたところではないかなど
様々な説がありますが
熊野詣の途中途中の拠点だったことには
違いないようです。

和泉市内には
起点から数えて9番目の
篠田(信太)王子と
10番目の平松王子
11番目の井ノ口王子の3つがあります。

前回の信太、楽しむのだで篠田王子を
訪れたので


再掲です

今回は平松王子から歩くことになります。

で、その平松王子なのですが
資料では、この公園にあるとのことでした。



放光池1号公園(再掲)

なので、公園内をウロウロと歩いてみたのですが
見当たりません。
あったのは、昔、住吉の高灯篭とともに
大阪湾を航行する船の目印の灯台として
使われていたという灯篭があったのですが


案内板だけ撮影して
肝心の灯篭の写真は取り忘れてしまいました

王子跡を示す石柱がどこにも
見つかりません。
公園内には、小さな子どもを連れた
お母さんたちがたむろしておったのですが
あまりにウロウロするものだから
不審がって、子どもを抱きかかえようと
していました。
う~ん、またしてもここでも
不審者然としていたdoironなのでした。
とかくこの世は
中高年には生きにくいのう。

あと一息で警察に通報されるのでは
と思い始めた頃、
ふと眺めた道の向こうに立っている石柱が・・・

ありました、ありました
これが平松王子跡です。



公園に立っていると書かれてあったのに
公園の外に立っていたんやね。
周りには何もなく石柱が立っているだけ
だったので、なかなか気づきませんでした。

ともあれこれで
やっと街道を進んで行くことができます。

不審そうに見ているお母さんたちに
心の中で「あばよ!いい夢見ろよ」と
言いつつ街道を南下し始めたdoironなのでした。

また続く



小栗街道が近いどう2

2013年03月09日 21時30分34秒 | ウォーキング

doiron家から
小栗街道に向かう前に
必ず通るのが

池上・曽根遺跡

弥生時代の集落跡が
発掘され公園になっているところだ。
和泉市のユルキャラも
この公園にちなんでか

コダイくんとロマンちゃんなんだそうだ。

どんな姿かって?
詳しくはWEBでどーぞ。

ま、それほどこの遺跡は
市をアピールするものとして
格好の材料なのであろう。
だからして、遺跡周辺には
様々な市の工夫がつぎ込まれている。
街道に向かうには、そんな公園をまず通るので
目にしたものを
少し紹介しておこう。

前回、チラッと歩道上の飾りプレートを
紹介したしましたが、
今回はちょっと気合を入れて
出来るだけ多くの種類の絵のプレートを
撮影してみた。
全部で10種類見つけました。

これは兵士と子供たちですかね。


餅つきと家畜?鹿のようです。
この辺には昔、鹿がいたんですかねえ。
今は馬鹿がいますが・・・それはお前

お~っと、doiron版フンッおじさんの登場です。


王様にひれ伏す庶民たち。
クラウチングスタートではけっしてないでしょう。


ん?ダチョウか
口から魚を放出しているから、鵜飼かも。
農民の姿は喜びか、驚きか。


古代の葦船?
再現された船の残骸が、公園内に放置されています。
虫、沸くよ~はよ片付けてほしいな。


男女の周りでばんざいをしているような・・・
結婚式かな?


三本の木が儀式に使われたっぽい。
天空の眼が、神秘を醸している。


これは、高殿の建物
今も公園内に復元されて建っています。
一度村の寄合をここでしてみたいもんじゃ。


カメの甲羅のひび割れで占い?
doironの未来は果たして・・・


そしてこれは鹿狩りの様子?
わーい、わーい今夜はもみじ鍋じゃあ

てなわけで、10種類。
doironの御先祖様の暮らしぶりが
レリーフになって
歩道にはめ込まれておったぞ。
しかし、ちょっと歩いては立ち止まり
足元の写真を撮ってるおじさんは
ちょっと病気っぽいですよねえ。

そんな世間の目にも負けず
そうして道をてくてく歩き
線路をくぐって山に向かって登っていくと
小学校があります。

その校庭の片隅には・・・

おお~懐かしい
二宮金次郎像
たしか母校の小学校にもあったよなあ
などと思いながら
思わずパチリ



でもねえ、これって不審者の行動やねえ。
マスクをして顔をかくし
校庭を写真撮影する中高年。
わ~、見とがめられなくてよかったよ~

それにしても世間の目は
平日昼間にウロウロしている中高年に厳しい
ような気がするのじゃが・・・自意識過剰?

そして、その学校を過ぎると
いよいよ目的の

小栗街道

に到着です。
街道にぶち当たったところがこの公園。


放光池1号公園

ここには和泉にある三つの王子のうちのひとつ

平松王子

があるはずなので
探してみました。

ところが・・・


と、なにやら波乱模様で次回に続く


小栗街道が近いどう1

2013年03月08日 21時22分44秒 | ウォーキング

え~、またまたジダンブログの
パクリのようなタイトルになっています。
予告したように、
「doiron街道をゆく」では
司馬様のパクリであり
あまりにも格調高すぎですからね。

どうせ、わしのブログは格調高くないよ

とフンッおじさんに言われそうですが
いやいやそういうことでは
ちょっとあるのかないのか、デヘヘ
ここはひとつ見習ってということで・・・
(gooにはフンッおじさんの画像がない~
しかしね、この前聞いたよ。
ジダン監督はブログを一つアップするのに
企画、構成、展開、オチなどを
電車に乗りながらも
便器にまたがりながらも
走ってるときも
仕事をしているときも
十分練りに練ってアップしているそうです。
そう思ってみると
なかなかよくできているなと
いつも感心してしまいます。

さ、心にもないお世辞はこれくらいにして
doironブログを続けます。

前回、「信太、楽しむのだ」で
思いがけず歩いた道が
小栗街道と名付けられていたことを書きました。
意外に近くにこんな歴史街道があるんですね。
それが今回のタイトルの理由です。
そうそう、海の方には
紀州街道も通っていますしね。
こちらはまた別の機会にご紹介します。

で、この前書いた小栗街道の続き
和泉市にある残り二つの
王子跡などを訪ねる旅は
じゃあ、いつ書くのかって?

今でしょ!

というわけで、本日
春の陽気に誘われて
前回よりもかなり薄着で
我が家をスタートしたdoironでした。

持ち物は、ウエストバッグに


コーヒーを詰めたこんな保温水筒を入れ
あとはティッシュと財布も収納。
携帯は写真撮影に備えて
すぐに取り出せるようにポケットに入れた。

それとねえ、ここ数日景色がかすんでいるでしょ。
花粉なんだか黄砂なんだかPM2.5なんだか
よくわからないけど
とにかく空気中に歓迎されざるべきものが
漂っているようなので
マスクは欠かせない。
アレルギーはマスクと気合で
直さなきゃね。

今回は、前回より強くなっていると思われる
日差しを避けるために
帽子も着用することにした。
もちろん靴はウォーキングシューズね。

こうして準備万端で
親父がデイサービスに行ったのを見送って
いざ出発。
午前9時のスタートになりました。

次回に続く


日々、淡々と

2013年03月07日 18時47分26秒 | 生活

午前中は親父の診療所通いに
付き合った。
そこは二週間に一度の割で
通院をしているところなのだが
待合に置いてある本が
なかなか充実しているというか
趣味があうのが多くてそれを少し
楽しみにしている。
そんな楽しみでもないとね。

置いてあるのは
雑誌でも、ちょっと高級な
グラフィック雑誌が多い。
だいたい時事的な話題、絵、アウトドア、神社仏閣
もちろん病気や食事に関するものがメインだ。
普段立ち読みくらいでしか読めないのを
待ち時間にムシャムシャと読んでいる。

そしてそんなお高級雑誌があるかと思えば
スポーツ関係の本も多い。
とくにウォーキング関係ね。
今日見つけたのは
医師会が出している
てくてくマップの本。
地元のウォーキングコースが
イラスト入りで楽しく描かれている。
読んでみると
なんと先日「信太、楽しむのだ」で
歩いたコースも
ほぼそのまま紹介されていた。
う~ん、doironの感覚は確かなのだね~。
ウォーキングコースについては
他にもいくつかあったので
チェックしておいたよ。
今週末にでも決行しようかと思っている。
タイトルは
「doiron、街道をゆく」かな?
カミングスーン、乞ご期待。

とまあ、診療所には
そんな遊びで言ってるわけじゃない。
肝心の親父の病気なのだが、
これは年齢柄、当然
加齢からくるものが多い。
身体のあらゆる機能が
低下しつつある。
それでもねえ、感心するのは
いろんな故障にいろんな対処の
仕方があるものなのだねえ。
医学の進歩はたいしたもんだ。
それに薬もそれはそれは数えきれないほどある。
こちらは薬学の進歩ですかね。

で、診察の結果、今はまだしばらくは
このまま経過観察で十分なんだそうだが
もう少し心臓の機能が落ちれば
そのうちに
在宅酸素を施すことを勧められた。
酸素発生器とカニューレを接続する治療である。
まあ、これも先の仕事で
経験あることだから
すぐにイメージ出来たけどね。
それにしてもペースメーカーといい、
バルーンといい、酸素といい
ホントに親父の身体は
高齢治療の見本のように
なりつつある。
家庭で過ごす超高齢者は
かくありなんともいうべき姿なのだ。

待合室でもう少し本を読んでいたいという
気持ちを残して、その診療所を後にし、
次はそのまま整骨院に直行だ。
そこは毎日通っている近所の整骨院だ。
とっても親切にしてくれる。

親父はグーと一緒に寝ているせいで
体中の服に犬の毛がついていることが多い。
気が付けばガムテープで除去するのだが
気付かずに行ってしまうこともある。
そんなときでも嫌な顔一つせず
対処してくれるのがありがたい。
天気も良く、体調もいいと
帰りも杖を突いて歩いて行くのだが
危なっかしいことこの上ない。
連絡を取り合って
いける時には
星飛雄馬の姉のように
電柱の陰で見守るdoironなのであります。
(5m後ろを堂々と歩いていても
きっと気が付かないだろうけど・・・)

そして午後からは
義父さんの眼医者通いの
ミセスに成り代わって
義母さんのコールに備えつつ
留守番と家の用事をこなす
doironなのでした。

そうして昼間にいろいろと
ノルマをこなしたあとは
夕方からは、ジムや趣味の時間の
お楽しみが始まるのですわ。
まったく働いていた頃と
ほとんど変わらないな。

そして週に一度のエイの他
他の友達からのお誘いで
食事会に出かける。
今日の夜にはキャサ会だ。
doironが泳ぎを始めたころからの
仲間たちで
キャッさん
はまちゃん
じゅんちゃん
の四人で宴会なのです。

その三人はまだ現役で
キャッさんはマスターズ水泳の
世界的選手。
はまちゃんはトライアスリート友達の中でも
一番長い付き合いだ。
じゅんちゃんも仕事帰りに
プールで泳ぐブレストスイマーである。

そんな四人で過ごす時間は
とっても楽しく、ついつい夜更かししてしまう。
なので、ブログ更新のタイミングを
外しそうなので、今日はこうして
夕方のひと時にあわてて
ブログをしているdoironなのでした。

さあ、それでは行ってまいりやす。


今年はバイクに乗ろうかな

2013年03月06日 21時56分05秒 | スポーツ全般

泉州マラソン、篠山マラソンも終わり、
啓蟄も過ぎた。
花粉もしっかり飛び始めている。
となると、これまでのdoironなら
いよいよトライアスロンシーズン突入の季節である。
ラン一辺倒だった練習に
スイムとバイクが加わって
一段と忙しくなりはじめる頃だった。
それに皆生などの各大会の申し込みも始まっているしね。

きっと国内で最も早く4月に行われる
石垣島や宮古島の大会に
エントリーできている人たちは
今頃は練習がピークのはずだ。
そう、あの頃、春の訪れは
バイクを漕ぐ音とともにやってきたもんだ。

今は、そんな練習に入れ込むこともなく
淡々と軽い有酸素メニューをこなしている
doironなのだが
今年は、この冬にかなりエアロバイクに乗りこんだ。
多分、昔よりも今年の冬の乗車時間は
圧倒的に長かっただろう。
1月、2月は平均して月間600km位は
乗っているにちがいない。

なので、今年はもう少し
もう少し暖かくなったら
バイクに乗ろうと思っている。
ただし、昔みたくガンガン飛ばすことはせず
サイクリングライドでね。

そのため、今日はバイクの点検をした。
各部に緩み、がたつきはないか
チェーンはさびてないか
ブレーキパッドのクリアランスは正常か。
バイクをたたいたり、ひっくり返したりしながら
じっくりと眺めた。
結果、冬場は全く実車には乗らないので
シーズン終わりにかなり手間をかけて
整備して次のシーズンに
備えてあるから
ほとんど問題なしだった。

ただ、激動の2010年に
一度溝に突っ込んでいるだけに
そういった転倒のリスクも
軽減したいという思いもあるので
単に整備するだけじゃなく
ペダルを固定式じゃないものに
交換すべきかどうか迷っている。
あの時も、とっさに足をつけなかったばかりに
派手に落車したからね~。
少し乗ってから考えてみますかね。

年相応、力量相応にそれなりに
スポーツおじさんではいたいものだ。

もちろん、身体と慎重に相談しながらね。


2013啓蟄に

2013年03月05日 22時10分51秒 | 自然

今日は24節季のうちの一つ

啓蟄

どのような日なのか
ウィキってみると
大地が温まり、冬眠していた
虫が出てくる頃、そして
フキノトウの花が咲く頃ということだ。

そんな日だからふさわしかろうと
今は無人で売りに出している
和歌山県はG坊市の土地の
草刈りに行くことにした。
草刈りとはいえ、行ってみると
こんな感じ



昨年冬の初めに、現地の業者さんに頼んで
草刈りをしてもらってあったので
ほとんど草は生えていない。
ただ、さすがに啓蟄だ。敷地の南の隅には
ちゃんとフキノトウも出ていました。



何はともあれ、業者さんのおかげで
空地にしては、概ねきれいに整備
されている状況である。
なので、今日は他にもいっぱい顔を出している
つくしも収穫した後
あえて草刈りはせず、
これからの季節に備えて
ひどくなってこないように
除草剤を撒くことにした。
売地の看板も出しているから
きれいにしておかないとね。

そうそう、現地はどんなところかというと
遠くに煙樹海岸の松並木が見える所で
国道から100mほど離れた
閑静な田園地帯の一角です。
家の前には小川が流れ
メダカが群れで泳ぐ自然豊かなロケーション。
興味のある方はご一報を。
お値段はご相談させていただきます。

で、現場にどんな除草剤を撒こうかと
お店でいろいろ探ってみた。
すると、最近は、除草剤もいろいろあるし
ネーミングも面白いねえ。

まずはこれ。



クサトローゼ
根も葉もない話ではない
根も葉も枯れる除草剤であるとのことだ。
でもねえ、ネーミングがちょっと、安易。

で、その横にあったのがこれ



ネコソギエースX

これは効く、らしい
スギナの根まで枯らすんだそうだ。
でも、今回は友達も使っている、これにした。



土地の広さからしても
これがお手頃であろう。
それに名前がいいよね

木っ端ミジン

もう、これ以外にないという
見事なネーミング。
これは使ってみなくてはいけましぇん。

ペットボトルに顆粒を移し替え
パラパラと均等に撒いてあげた。
というと、草木に喜んでもらえそうな言い方だが
撒きながら、ちょっと残酷やなと
考えたりすると、少しだけ
心の片隅が、チクッとしたよん。

そして撒き終えた後は
頑固そうなススキの根っこなんかを
スコップで掘り起こした。
啓蟄らしく、カエルの一匹も
出て来るかと思ったが
期待外れで、ミミズの一匹も出てこなかったなあ。

この除草剤、効果は3~6か月とのことなので
次は梅雨前と夏の海水浴シーズンくらいに
点検に行けばいいかな。
はたして製品のパッケージの写真のように
さっぱりした空地になっているでしょうか。

啓蟄を迎え
暖かくなって、気持ちも身体も
ウキウキしてきた今日この頃です。


大胆な断り方

2013年03月04日 21時56分38秒 | 生活

平日に家に居たりすると
結構いろんな売込み業者が
訪問をしてくる。
玄関に掲げた「自治会副会長」や
「福祉委員」なんかの札を見て
何となく人のよさそうな家やなと
思ったりするんだろうか。
頼まれたら断れない人みたいなね。

たまにヤクルトお姉さんもやってくる。
世間ではヤクルトおばさんと言われたりも
しているようだが
doironの年齢からすれば
お姉さんなのである。

「今日はお得なセットがございますが、
どうでしょうか」とピンポン鳴らしてやってくる。
「え~っと、今日はいらないです」と
断るのですが、
ミセスdoironはその断り方が気に食わない。
「今日はいらないと断ったら、
別の日にはいると思われるやん。
買わないからきっぱり断ってあげた方が
徒労に終わらなくて彼女にとっても
いいことなんやで。」とのたまう。
それはそうやけど、むげに断るのも
可哀そうだし・・・と思うのだが、間違ってるのですかね。

電話での勧誘もそうだ。
doironがもたもた断ってると、
どうも気に食わないようなのだ。

じゃ、一体どうすればいいのかと思っていると
一本の電話がかかってきて
ミセスが応対をしている。
「は?太陽光発電?いや、うちは屋根がないので結構です」
と断っていた。

れっきと屋根はあり、鬼瓦もあるし
東向きにかなり広い面積を持つ屋根の下で
doironは暮らしている。それを
屋根がないのでとは
まったく恐れイルカショーである。

でも考えると、マンション暮らしならそうだよね。
何もこちらの家を特定して
電話をしてきてるんじゃないだろうし。
でもミセスのあの勢いだと
外壁塗装の売り込みには
「うちは壁がないんで」と言いそうだし
あげくに男性用品なんかの売り込みには
「うち、主人いないんで」と
きっぱり言いそうな勢いなのであった。


最近のテレビ事情

2013年03月03日 22時10分31秒 | 最近の出来事

最近のテレビ事情
といっても、こんな番組があったとか
こんなことを出演者が言ってたとか
そういうことではない。
主に、機械としてのテレビ、
つまりハードの話である。

先日、知り合いのテレビ購入に
付き合ってきました。
最近のテレビはというと
もうほとんどすべてが薄型テレビ。
家電店の店頭で
ブラウン管を見ることは皆無である。
ブラウン管で見るデジタルテレビ
なんてのは、マニア向けに
あってもよさそうだけど
それは製品的に無意味なのか
とんと見かけない。
知り合いが買ったのも
SHARPのAQUOSでした。
液晶TVが出たばかりのころと比べて
ずいぶん安くなりましたねえ。

実は、今doironが見ているのは
ブラウン管テレビなのである。
新聞契約の景品でいただいた薄型テレビは
親父が見ているんだよね。
doironはインターネット、電話とともに
ケーブル事業者と契約し
チューナーでアナログ変換した
番組を視聴しているわけだ。
これはこれで、何の支障もなく
見ているのだが、
最近どうも困った現象が起こり始めた。

薄型テレビの解像度はかなり細かい。
今までのテレビじゃ読み取れなかったような
映像や文字がクリアに読めたりする。
テレビ番組の制作側も
そういった性能の向上に依存して
けっこういろんな情報を
画面の中に盛り込もうとするわけだ。
ところが、アナログ変換して
ブラウン管で見ている我々には
それが読み取れないのですわ。
小さな文字はつぶれ
細かい映像は不鮮明ということになる。
マラソンを見ていても
途中から見ると
今、何キロ地点とかがはっきりわからないことも
よくあるし
サッカーなんかも途中から見ると
得点表示が小さすぎて
どちらが何点入れているのか
わからなかったりするんだよな。
(もっとも、ガンバのいないJ1に興味はございませんがね
だから野球のカウントなんかも
当然わからなかったりする。
そして、レンタルのDVDなんかでも
画面の明るさ調整がままならないので、
全体に暗いシーンの多い作品だと
全くそこに何が写っているのか
さっぱりわからなかったりすることもよくある。

これはきっと、老眼や視力のせいではないはずだ。
薄型テレビでの視聴を前提に
ソフトが作られているからだろう。
そもそも、ソフトという言葉も
昔はテープとかフィルムとか
言ってたもんなあ。

だから、もうブラウン管なんかやめて
早く薄型テレビにしなさいよ
ということなのだろうが
そういったことで、時代遅れ感を
抱かされるのは
何となく悔しいなと
最近テレビを見ていて思ったりするのだよ。

レンタルDVDを見終わって
思わず巻き戻ししなきゃと
思ってしまう今日この頃です。


人体の神秘

2013年03月02日 22時11分37秒 | 生活

軽い脳梗塞により
右手のスムーズな動きを奪われた
お義母さん。
もともと曲がった腰で、不自由ながらも
包丁を手に料理もしていたのだが
それにも軽く支障をきたしているようで
落ち込んでいた。

娘であるミセスdoironにも励まされ
デイサービスの先生や友達にも励まされ
頑張ろうとしていたのだが
なかなか沈んだ気持ちが上向きにならなかった。
doironもあの手この手で
気持ちを紛らわせてあげようと
訪問の頻度を上げ、
梗塞で機能を失った部分は
元には戻らんものの
リハビリをすることで、
脳の他の部分が補うようになるんだよと
浅はかな知識で励ましたりしてあげていた。
そしたら、2個のクルミを手に持って
けなげにもゴリゴリとやり始めたりもしていた。
そんな姿を見ながら
そうはいったものの
ほんとにそうなるのかなあと
自分でも半信半疑であったことは確かだ。

で、いつもお世話になっている
和泉の不動さんにもお詣りし、
義母さんの回復を祈り
doironのダイエットの決意も述べにいった日の
翌朝のことだ。

義母さんからはずむような声で
電話があった。

「動くようになったよ。字が書ける!」と
超うれしそうな声で言ってきた。

で、さっそく訪ねてみると
漢字はまだ難しいけど
どうやらひらがなは問題なく
書けるようになったようで、
うれしさのあまり、
紙にいっぱい自分の名前を書いていた。

「その調子、その調子」と言ってあげつつも
ホントに治るんやと
心の中で驚いていたdoironであった。

本人の努力によるリハビリと
いつもの不動さんの神通力のおかげで
人体の神秘が誘発されたんやろなあ。
この調子で、doironのダイエットの決意も
実らんやろか。
まあ、こっちは人体の神秘じゃなくて
本人の決意次第なんやろうけど・・・