ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

お腹がゴロゴロ嵐ってます

2017年03月21日 20時19分17秒 | 最近の出来事

どうも昨夜からお腹の調子が
変だったのです。

でもまあ、自治会の用事も終わったし
こりゃあちょっとチューハイでも
とおもいつつ、テレビを見ていたのですが
急にお腹がゴロゴロゴロと大音響を
放ったのです。

お腹が鳴るのは元気な証拠?

というようなものではありません。
何となく全身に不快感が走ります。

むむ、これはもう怪しいなと思い
10時過ぎには布団に入りました。

ところがです。
あの大音響とともに
お腹に大異変が起こりました。

超すさまじい下痢です。

そっから晩はもう大変でした。
ブログに書くのも気が引けるほど
のひどい状態でした。

今日も一日まったく起き上がれません。

いやあ、町会仕事のストレスが
去ったからかなあ。
それともまた新たに町会仕事が
回ってくるという重責からかなあ。

それくらいしかストレスって
ないんですけど。

原因はよくわかりません。

飯も抜いて
こりゃ痩せれるかなあと思いつつ寝込み
今になってようやく布団から出れたので
ブログに向かってますが
いやあ、まだあかんようです。

風邪かなあ

まあとにかくもうすこし安静にして
まだひどかったらあした医者に行こうと
思っております。


自治会総会

2017年03月20日 20時33分05秒 | 最近の出来事

昨日は、地元自治会の総会の日でした。

うひゃー、この日がまた近づいてきたか。

ここ一週間は何となく
忙しい日々を過ごしました。
実はdoironは地元自治会の会計をしており、
書記4年、副会長10年、
会計2年目の最後の日が
この総会の日となるわけです。

会計なので一番忙しいのが、
会計報告をしないといけません。
支出は年間100万円前後と
さほど大きな金額ではないのですが、
粗供養や寄付など、
個人や個人の団体さんにからむ
事案が多いので、抜けがないように
しっかりしておかねばなりません。

まあ、それが会計というものなんですが、
祭りの時や日々の自治会総会の時に
自販機で買うジュースや、
作業時に急きょ支払う
細かい物品代なんかは
領収書も手に入らず、
会計に一任されている部分もあるので、
しっかり管理しておかないと、
他の個人にからむ案件に
抜けができたりしては大変ですから、
かなり慎重に精査をしておきます。

ほかにも、保険代の増減の理由、
蛍光灯をLEDに変えたことによる
電気代の成果とか、
補助金の返金分なんかもあるので、
普段ええ加減なことしかしていないので
大変なんです。

何度も何度も電卓をたたいて
確認をしてようやく出来上がった書類を
会計監査に持ち込んで了解してもらいます。

この監査がまた以前の自治会長だった人なので
事情をよく知っているから大変なんです。

質問想定を頭の中に置いて、
きちんと答えていけるように
頭の整理もしておかないとね。

で、総会時にはできるだけわかりやすく
説明をするようにしました。

司会者の方から

「ではいまの会計報告について質問がありましたら」

といったところ、
質問なしでホッとひと段落。

いやあ、一年間の責任が
肩から抜けて行きました。

よかったよかった。

これで総会も終わりかと思ったら、
実は今回はもう一つ気になる案件がありました。

自治会の役員改選です。

我が町の役員改選は、
まず立候補者を募ります。

で、立候補がなかったら
町内の各種団体の長が
6人くらい集まって別室で会議をし、
推薦者を決めはります。

それで推薦者が決まったら、
皆さんに拍手で同意をもらうのです。

まあ、たぶん自治会長さんが
根回しをしてあったと思うのですが、
今回は会長さんの交代劇がありました。

65歳くらいのしっかりした人が選ばれ、
大拍手で決まりました。

問題はこの後です。

周りの副会長とか会計の役は
この会長が決めることになるのです。

いやあ、もう自治会の役をやって16年。
これでおさらばかなあ
と思っていたら、
帰りに新しい会長さんに呼び止められて、
「留任」で頼むわなあ、だって。

ではどんな役で?て聞いたら
来週日曜に打合せして決めよか、だと。

新しい会長さんだから、
体制がガラッと変わると思ったのになあ。
何人かはやめ、何人かは新採になったのになあ、
留任かあ。

まあ、しかたないか。

こちとらはたから見れば
毎日日曜ののんきなオッサンだからねえ。
ほんとは忙しいのにねえ。

まあ、またぼちぼち頑張っていきましょかあ。


ぶらチャリ24 doiron百景

2017年03月19日 21時57分59秒 | 最近の出来事

電車の駅周辺の探索を終えた後は、
他の気になっている場所、
doiron百景をまわりましょう。

まず一つは、臨海から
市内に入ってくるところに
いろんな看板を張り付けている
ところがあるのを、
昔紹介しましたよねえ。
あそこの看板がまた増えている
ということで確認に行きましょう。

以前はこんな看板がありました。







ユニークでしょ。
で、今回どんな看板が増えているかというと・・・、



あれ?以前車で通ったときには
またユニークなと思った張り紙が、
あったはずなんですが、
どうもこの時は見つかりません。

チャリで止まって
いろいろ見てみましたが、
どうもはがれている紙が
下に転がっている
ということもありません。

結局、今回は唯一

「吸い殻捨てないでね」



の張り紙が増えているだけでしたねえ。

勘違いかなあ?
それともはがされた後なんかなあ。
また注意してみておくことにしましょう。

次に向かったのは、
市内の中学校です。

doironが中学生の頃は
市内に中学校は
2校しかありませんでした。
その2校がなんと、
ちっさな溝を隔てて
並んで立っていたのでした。

うん、よく当時はもめたりしましたねえ。

こういう現象だけで
当時はナニコレ珍百景
だったかもしれませんね。

で、今回行ったのは
そのうちの南側の中学校です。

ありました。

これは道路沿いの
ブロック塀に作ってある
奇妙なものです。

それがこれ。



うひゃー、こんな小さな穴から
消防の人が進入するんですか?

しかも「隊」ですよ。
多くの消防関係者が
どんどんここから中に
侵入していくんですかねえ。



中にゃあ、でかい体で
詰まる人もいるでしょうし、
ちょっと火事時のすごい映像の中で、
ここを通過していく消防隊なんて
想像すらできませんねえ。

そしてかろうじてはいったとしても、
こんな狭いところですよ。
燃え移りませんか。

最悪消火栓でもあるのかなあ
と思いましたが、
ちょっと学校の中を
のぞくわけにはいきませんしねえ。

しかもしかも、この扉には
開けるための撮手なんかも
全くないのです。

どうして開けるんでしょうか。

むむ~謎は深まるばかりです。

とりあえず、ナニコレ珍百景に
投稿だけしておくことにしましょう。

さあ、ではチャリンコで
ぶらぶらしながら訪ねる
doiron百景の最後の旅が、
市内で唯一残っている
二つの溜池の内のひとつ、

「小寺池」です。

市内にはもう一つの溜池である
「中池」というところがあります。
いろんな水鳥が飛んだり、
水生植物が繁殖したりと、
大変市内には珍しい光景を見せています。

このときチャリンコで行ったときは
若干水は少なかったですが、
広々と気持ちい景色を見せていました。



そして今回問題としている
「小寺池」もそうです。

ひしの実が生えたり、
野鳥がたくさん飛んでくる
という池でありました。

この池は、よく行くスーパーから
出てきたときには
必ず目に入る池です。

で、今回もそうでした。

少し前からそこで大きな
工事が行われているのです。



も、もしかして泉大津の溜池が
また一つ減って最後に
中池だけが残るのかなあ。

とか、

水利組合がおおきな販売金額を
手に入れたんじゃないかとか、
魚もいっぱいいたようだったのに、
最後までちゃんと救えたのかなあ。
そしていまそれらは
どこにいるのかなあ、
などといろんな妄想を
膨らましていました。

これはもう調べなくてはと思い、
今回ぶらチャリで
確認しに行ったのでありました。

ぐるっと池の周りを守ると、
おおありました。

工事の内容を書いてある看板です。



発注者は、市の環境科です。
工事の中身は、改修工事のようでした。

ああ~よかった。
溜池は溜池のまま残るのでしょう。

工事の回収期間は、
おお~なんと今日まで。
いやあこれは終わりそうにないですね。
頑張って延期して仕上げるのでしょう。
なにせ、大量の税金を
費やしているようですから
しっかりしてもらわないとね。

で、この池が改修後どうなるか、
また次の機会にでも紹介しましょうかねえ。

ぶらチャリ、終わり~


ぶらチャリ23 泉大津駅周辺

2017年03月18日 21時41分43秒 | 最近の出来事

寒さも日に日にましになってきました。

春が近いねえ。
世間も何となくにぎやかに
なってきて、最近、
家の近所でいろいろと
気になることが
おこっているようです。

車で走っていると、
あちこち気になることを
ちらっと目にしたりします。

でもねえ、車だと突然止まるのも
申し訳ないし、降りてうろうろするのも
危ないし、これはもう、
ゆっくり移動できる、
ウォーキングかチャリンコで
確認しなきゃという感じなのです。

なので、そこでこれは
やはり久しぶりに
おじチャリの出番だろうと思い、
まだ少し肌寒い天気の中、
おじチャリ2号で
ぎこぎこと漕ぎ出したのでありました。

まず最初気になっていたのは、
南海本線の松ノ浜と泉大津の間で
電車道下の側道が通れるようになる
ということでした。

その日付が3月15日、
つまりそのおじチャリに
出発したその日でした。

まずはおじチャリの空気や
整備状況を軽く確認、調整をして、
午後2時に出発しました。

少し行ってからナビを
入れてなかったことに気づき、
セットして松ノ浜駅を目指しました。

途中、こんな遊具のある公園を過ぎ、



ルンルンと進んでいきます。

松ノ浜駅に行き、
道路を確認してみますと、

おお~もう通れるじゃありませんか。

これが海側の北向き一方通行で、



これが山側の南向き一方通行。



チャリンコなので山側を
進んでいきましょう。

この景色はやはり初めてで
新鮮でしたね。
見てたらもうこっちの道に向けて
看板をあげているお店もありました。
皆さんしっかりしていますねえ。

つつ~いと進んでいき、
首Dさんのマンションの
東側を越えていきますと、
交通量の多い広い道路に出ます。

で、ここはさすがに、
こういう安全策を真ん中に設けて



突っ切らないように
注意しているようです。

交通状況を見ながら中止してわたり、
しばらく行きますと
通行止め状態になっていました。



え~もう時刻は2時10分。

予告ではもう開通している時間です。



車道はふさいでいるようなので、
仕方なく歩道を自転車で
スイスイ行くと、向こうの方から
警備員がマークを出しています。

どうも何かトラブルがあったようなので
まだ開通していないようです。

止められているのは
勅使道との交差点から。



仕方ないので警察の裏を
まわり遠方から見てみようと行くと、
どうもその頃にはオープンしたようです。

では、中に入っていって
様子を見てみましょう。



高架下が開発されて
いろんな店ができているようです。

まず最初にあったのが、このお店。



「WASH CAFE」
と書かれてあります。
そう、コインランドリーの横に
喫茶店がくっついてます。
最近はこの類のお店も
よく見ると聞きました。

次がこれ。



この周辺では、最近過当競争気味の
スポーツジムです。
宣伝では女性向けのヨガを
宣伝しているようですが、
男性も入会可だそうです。

4月1日から始まるようで、
この日は社員が椅子に座って
研修中のようでしたね。

そしてこれはラーメン屋さんですね。



「小鉄」かあ。どんな味かなあ。
平日昼間に行ってみましょうかねえ。

これは焼とり屋さん。



メニューにある、「博多もつ鍋」に
興味がわきますねえ。

で、これが居酒屋ですね。



う~ん、新鮮そうでよろしいなあ。
店の前で割引券含みの
チラシを置いてましたので
いただいてきました。

結構ランチも安そうですねえ。

これは板原のところにあった
イタリア料理店ですねえ。



そしてその横には「立ち飲みバル」で、



ほかにも「パン屋」



「スーパーマーケット」



も並んでいるようです。

16日にミセスが見に行ったら
どこも大混雑だったようで、
別にあらためて行った方がよいかなあ。
とまあ、電車添いは
こんな感じになっていましたとさ。

続く


倉本聡の「走る」3

2017年03月17日 21時17分05秒 | 最近の出来事

とにかくまあ、
今回の「走る」という観劇は、
様々な感想を残して
フィナーレを迎えました。

ああ、一般の出演者には
顔も見せなかった
倉本さんもまあ
大阪南のここまでは
来てないのかなあ
とか思いながら、
ラストシーンとなりました。

出場した劇団員が全員舞台に並んで、
左手を下に広げて案内すると
演出家?かな、横から出てきました。

そして右手を下に広げて案内すると、
おお~出てきました。

倉本聰さんです。



「おお~っ」と声を上げてしまいましたね。
82歳というお年になっておられますが、
さすがに舞台には颯爽と
出てこられましたねえ。

いやあ、ここまで来るとは
やはり見にきてありがたかったです。

実は、この演劇が始まる前に、
NHKで彼の特集をしていたのです。

「プロフェッショナル」という番組です。

かれの原稿への向かい方、
俳優の指導方法など
いろんな紹介がされ、
後半はこの「走る」という劇の話でした。

彼が原稿を書いている姿は、
今まで一度もテレビには
出てこなかったそうで、
視界に入らないところから
うつすのならいいよ、
ということで、
屋外の遠くから
窓ガラス越しに
テレビ撮影していましたね。

彼は朝5時くらいから
原稿を書き始めるんですね。

3時間くらい根を詰めてから
休憩、仮眠をし、
また書き始めるというのを
続けているそうです。

そして、マラソンランナーや
ボクサーが練習をとめないように、
彼はできるだけ毎日書斎にはいくそうです。

ああ~この辺はブログを書いたり、
絵を描いたりするdoironと同じですね。

中身は全然違うし、
朝五時は無理ですけどね・・・。

まあ毎日何かを書いたりはしています。
走って記憶が残るみたいに
書くことで自分の分身も
残っていくみたいな
感触がないことはないですね。

彼は今回の「走る」が
たぶん若い劇団員を指導する
最後のドラマになるかもしれない
といってましたね。

そんな番組でしたから、
今回の観劇はなお一層
楽しみなものになりましたね。

舞台が終わって、
外に出るとジダンも
もう出てきました。

ブログ用に写真を撮ったりしていますと、

「あそこに倉本さんが来てサインしてるよ」
というので見に行こうとすると
「写真はあかんよ」といわれますよとのこと。

残念です。

でもまあ、倉本さんと
一番近づいた瞬間でしたね。

doironは走り始める
直前の年くらいから始まった
あのドラマ「北の国から」の
大ファンでした。

2002年の遺言まで、
たぶん全部見てると思います。

それに遺跡を訪ねて
北海道まで行ったくらいです。

最近ではこのドラマを
毎回ついている
DVDマガジンが出ましたね。

一瞬買おうかと思ったくらいです。

倉本さんは現場で売ってた
案内本にサインをしてはりました。

ではサインをもらって帰ります
というbabiさんと別れ、
案内本を持たないdoironと
ジダンは一杯飲み屋へと
向かうのでありました。

サイン付きの案内本の映像は、
後日ジダンの友達が
送ってくれたそうです。

これ。



さあ、では飲みに行きましょう。
この辺のことならよく知っており、
外環の泉北ニュータウンに曲がる
交差点あたりに
「王将」があることを思い出しました。

そこへ行きましょうと決定し、
テクテクと歩いていきました。

おお~ここです。



時刻も夕方となり、
PLの塔も夕刻の中に
そびえておりましたな。



生ビールで餃子をつつきながら、
「いやあ、倉本聡のドラマに
出れるなんて夢にも思わなかったなあ」
というジダン。

確かに、いい機会に恵まれて
よかったですねえ。

頑張ってナニコレ珍百景に出て
小芝居打って、泰三に
だめだしされたのとでは
全然違いますなあ。

いやあいい経験をさせて
いただきましたなあ。

最後に遠路はるばると
babiさん、お疲れ様でした。


倉本聡の「走る」2

2017年03月16日 21時16分40秒 | 最近の出来事

開催されるのは富田林の



「すばるホール」です。



ここの大ホールで
観客数は806席に
臨時で簡易チェアも
置かれてましたね。



この劇を教えてくれたbabiさんは、
奈良から車でやってきました。

いまは、南阪奈道もできてるから
便利ですねえ。

劇場に到着し、待っていますと、
スタジオの方から
黒いネクタイに地味なスーツを着た
一団が出てきます。
なんかラフな服装の中に
変な一段です。

あれ?きょうはどこかの結婚式でも
重なってるのかなと思っていたら、
その中に俳優顔をしたジダンがおりました。

そう、そのスーツの一団は
出演者の皆さんだったのですね。

「地味なスーツとネクタイで、
革靴はいて走ってもらいます」
という注文だったそうです。



出演方法の打ち合わせは
ドラマが始まる1時間ほど前に
あったそうで、

「あのさあ、倉本さん。
走るってこういうことじゃないですか」
と注文付けた?

って聞いたら、倉本さんとは
顔も合わすことはなかったそうです。
ああ~ここまでは来てないんですかねえ。

俳優デビューは難しそうですなあ。

幸いジダンの風貌から、
日本人のサラリーマンは
年をとっても頑張って
走っているという雰囲気を
出すために、最前列で
走ってくれと言われた
そうですからよかったですね。

出演は、全部で一時間半の
ドラマの、始まって一時間後くらいに
50人くらいが
全員で1分ほど走るそうです。
さあ果たしてどうなりますことやら。

とまあそうしているうちに
babiさんも無事に到着し、
さあいよいよ客席入りです。

ホームページで見てみますと、
この「走る」のドラマは
どこのホールの観客も
すべて満席になっていましたね。

我らは2階席に座りました。

出演者の顔はちょっと遠いけど、
全体はよく見えていいかもしれません。

さあ、では開園です。

出演者はすべて走った格好で出てきます。

ピッチや走り方はよくできていて、
選手は全力で走っているように見えて、
動かずにいます。

大勢で走るときは
歩数もあわせて
リズムよく見せています。

聞いたところ、
この練習がやっぱり
大変だったようですね。

みんなリズムよく走っているので、
走ってる感はよく出ていましたね。

劇はレースの一部を見せたりしながら、
ランナーの群像劇みたいに
進んでいきます。

中には笑ってしまうような
セリフを言うランナーがいたり、
おかまのランナーもいたようです。

中身は詳しくは言えませんが、
ところどころ楽しかったです。

そして一時間、
ぼちぼち一般ランナーの出番です。

これまでの出演者は、
みんな歩数があって
きれいに走っていましたが、
この一般参加の人たちは
歩数を合わせることなく
「ザワザワ~」と走っていましたね。

まあ、いろんな姿勢で
人生を走るという意味で
それでいいんだ
ということだったそうです。

さあ、出て来ましたよ。

ジダンはどれだ?
と目を凝らしてみましたが
わかりません。
ステンドグラスを持ってきたら
よかったかなあ。

で、やく1分半で出番は終わり。
劇は続いていきます。
怪我をしても頑張って
走っている姿なんかも出てきて、
盛り上げようとしています。

でもねえ、欲を言えば
やはりこれは走る人が作った
芝居ではないような気がしたなあ。

劇を作る人が走って作った芝居
という感じがぬぐえなかったです。

そもそもスポーツと演劇を
比べるなんてちょっと
無理があるよねえ。

それぞれの走っている人の
後ろにある膨大な日常が
やっぱり全然違うんだもん。

倉本氏の気持ちもそうだったのでしょう。

それでもドラマとスポーツを
近づけようとする、
そのどこか無理のある取り組みを
何とか埋められないか
と苦悩した彼の気持ちが、
このドラマのあちこちに
見られたのはよかったかなと思いました。

続く


倉本聡の「走る」1

2017年03月15日 22時28分58秒 | 最近の出来事

倉本聰は先日テレビの中で
こんなことを言ってた。

「僕たちがどんなに苦労して
演劇を作って演じても、
一本のスポーツの試合の方が
感動が上回ることがあるんだよね」と。

それがいいのかどうかは知らないが、
彼は演劇とスポーツを
比べていたりしていたのだ。

確かに1本のスポーツに
心震わすような感動は、
doironの人生の中にも
いくつもあった。

自分自身に関してもそうだ。

毎日、毎日走り続けることで、
自分はそういう感動にあえるのだろうか。
こんなに体を酷使することで、
何が得られるのだろうか
とそんな答えを得られないまま、
わからないから、
もう少し走ってみよう。
体をカラにしたら、
逆に何かが浮かびあがって
くるのかもしれない。
などと思いながら
競技を続けてきたのかもしれない。

わからんままに死にそうになって
激しいのはやめてしまいましたがね。

彼はそんなドラマとスポーツの
違いを何か演じることはできないか、
時という時間を走るをテーマに、
彼の手がける最後のドラマに
なるかもしれないという思いで、
この「走る」という劇をつくったのだそうだ。



5カ月かけて日本中を回るという
この劇が富田林で行われる
というお誘いを受けて、
先日見に行ってきたのだ。

泉州マラソンの次の土曜日だったな。

一緒に応援したジダンには、
その時にまずこのドラマを
見に行くねんと話していたのだが、
その時は「ふ~ん」という程度の
感想しかなかったのです。

でもねえ、このドラマが
走るサラリーマン役として
一般の人を募るということをしており、
なぜかその一般ランナーの役が
ジダンに回ってきたのだそうです。

なので、そんな話になったときに
あれ、doironが先日倉本聡の話を
してたなあと思い出し、

「あの~今度見に行くドラマは
富田林の倉本聰のドラマですか」
とdoironにメールが来たので、

「そうですよ」と答えたら

「な、なんと、私、そのドラマに
出ることになりました」とのこと。

え~、宇宙人の役?
それとも、世間の目から
逃れるように走る犯罪者の役?
と思っていたら、
ちゃんと走るサラリーマンの役ですよとのこと。

うひゃー、倉本聡のドラマに・・・
ジダンが・・・
関ヶ原の落ち武者じゃなくて・・・
アラビアの放浪者の役でもなくて・・・
もういい?

それにしてもこんな偶然があるんですねえ。

これは大事件ですね。
金返せ~と叫ばねばならないでしょうか。

でもこれはしっかり写真を撮って
記憶に残しましょうと思いましたが、
さすがにドラマはうつせないでしょうね。

仕方ないので、
しっかりと見ておくことにしましょう。

当日は、ミセスが松原まで
行く用事がありましたので、
それに載せて行ってもらい、
松原から富田林へと
向かうことになりました。

ここが河内松原の駅です。



仕事をしていたころは
よくうろうろしていたところですねえ。
昔の駅前の電光掲示板の
記事なんかも元ネタ渡してましたねえ。

おっ、なんか選挙関係の
ポスターが張られていますが、



おお~当時の後輩が
今は議員になっているんですねえ。
現役の頃はそんな風に思えなかったけど、
頑張りましたねえ。
がんばってくださいねえ。

で、そんなのを眺めながら
懐かしいこの駅から電車に乗って
富田林まで行きましょう。

といっても降りるのは
富田林も過ぎた「川西駅」です。



ああ、この駅で乗り降りは初めてかなあ。

ではここから歩いてホールまで行きましょう。



それにしても、テーマが「走る」
という劇ですから、
ランニングをするような人が
たくさん見に来たりするかなあ、
と思っていたのです。
しかし電車に乗ってる客や、
駅からホールに向かって歩いていく人を
見てたら、どうも
そんな感じではなかったですね。
ちょっと上品そうな高齢者が多かったでしょうか。

背中にリュックを背負って
会場まで走っていく、
なんて人もみませんでしたね。

きょろきょろしながらテクテク歩いて、
外環のところに来たら劇場がありました。
とか何とか言いつつ、
劇場に入るまで1話使ってしまいました。

続く


もう還暦から1年

2017年03月14日 21時26分48秒 | お絵かき

今日はdoironの誕生日です。
もう還暦から1年経ったのですねえ。
早いものです。

今年一年もいろんなことをしたなあ。
なかでも一番熱心にしたのは、
四国八十八ヶ所のお参りと
そのお参り時に見てきた
寺の景色のお絵かきかなあ。
何かよくわからんまま取り組み始めて
書いてみたら面白く
こりゃあ88枚絵を描いたら
少しは上達するかもなあと思い
あれやこれやと考えながら
ここまでもう58枚の絵を描いたです。

あと残すは30枚やな。

このお絵かきで
ああ~こんな絵を描きたいときは
こんな風にすればいいのかと
小さいことだけどいっぱい学習したなあ。
そしてこうして学んだことは
また次の絵にもつながっていくんだよね。

お参りの他
絵の結願も楽しみです。

天気が良ければ歩き回ったり
山に登ったり、旅行をしたり
天気が悪ければ絵を描いたりしながら
そうしてすごした還暦の一年でしたね。

おかげさんで、体の方も元気で
今日受けた定期検診も
血液検査の結果からは
何も異常はなしやったしねえ。

そうそう、病院でこんなことがありました。
待合室で診察を待ちながら
文庫本を読んでいたんです。
そしたら、左の隣の席に座っていた
doironくらいの年齢の女性ですかねえ
静かな待合室で話しかけてきました。

「え~、これ読んではるの?」
「あ、はい」
「メガネなしで読めるの?」
「読めますよ」
「そんなに目がいいのやったら
病院に来ることないのに」
「いや、眼科ちゃいますから」
といってたら、今度は右隣の
同様の女性から
「ふわー、うちなんかまったく読めんわ」と
たたみかけてこられました。
「兄ちゃん、何歳?」と聞かれたら
「今日で61歳」と答えたかったなあ。
聞かれへんかったけど・・・
まあ、とりあえずは目は良いようですな。

静かな待合室でちょっと
話題になってしまいました。
大阪の女性は皆さんお元気ですなあ

でもまあ、おっさんもそんな風に
ぼちぼち頑張ってます。

年金をもらうまであとすこし。
細々と暮らしながらも
さて今年はどんなことして
過ごしましょうかと考えています。


四国巡礼三十一番竹林寺

2017年03月13日 21時54分52秒 | ウォーキング

「土佐の高知の はりまや橋で 
坊さんかんざし 買うを見た
よさこい よさこい」

そうあの高知県民謡「よさこい節」です。

この竹林寺にいた坊さんの
「純信」ときれいな娘「お馬」の
道ならぬ恋がもとになっています。

寺の金を持ち駆け落ちした二人は
関所破りで捕まった。

その後二人はさらし者にされた後、
純信は伊予に追放。
お馬は関東以西に追放され、
やがて大工と結婚をし、
東京に移り住んだそうだ。

いやあはりまや橋でかんざしを
買う坊さんは本当にいた
という話だったのは驚きです。

そんな竹林寺は五台山という
山の中にあります。





聖武天皇が唐の五台山で
文殊菩薩にあった夢を見たから
そこによく似た山に
寺院を建立するように命じて、



政治家を動かしごみの値段を
差し引いて低額で土地を買って、
できたのがこの寺でした。

なあんてことはありません。

山の中に静かにたたずむお寺で
しずかないいところでした。



ここには高知県内で
唯一の五重塔があります。



三重塔が明治の台風で崩壊し
そのままであったものが、
昭和55年に浄財でよみがえった
というものです。

ここではこれを絵にしておきましょう。



そしてこの寺の本尊は、
四国八十八ヶ所中唯一の「文殊菩薩」。



50年に一度開帳される
秘仏なんだそうですが、
残念ながら前回の開帳は3年前。

もう見ることはできませんな。

御本尊真言は
「おん あらはしゃ のう」。

この寺でだけ唱える真言です。

勤行でそれを唱えしっかりとお参りをして、
さあこれで今回のお参りは終わりです。
バスのところへ戻っていきましょう。

春頃に来たらこの辺りも
あちこち花が咲いてそうなところですねえ。

ん?なにか温室のようなものがありますよ。



近づいていったら
昭和33年に開園した
高知県立「牧野植物園」でした。

ああ、doironはずっと昔からの
趣味のひとつとして、
野生植物の観察という
趣味を持っていました。

今でこそ図鑑は立派なのが
たくさんありますが、
昔は数が限られていましたね。

お金のない若い頃には、
植物学の開祖ともいえる
「牧野富太郎」博士のこんな
「学生版 牧野日本植物図鑑」を
見たりしていました。



そんな懐かしい博士の出身地には
こんな植物園もあったんですねえ。

ツアーじゃなかったら
こんなところには
絶対飛び込んでいたでしょうねえ。

図鑑の中には植物分類だけじゃなくて、
様々な分類学の基礎的なところも
教えてもらったから



とってもありがたい人だったんですねえ。

いつかはまたこれたらいいなあ
と思いつつ、さよならしてきました。

さあ、ではこのツアー最後の
昼食に向かいましょう。
といってもまだ10時半なんですけどね。

きょうの昼食は「かつお船」という
名前の食堂に行きました。



外観もこんな船のような形をした食堂で、



飯の前に鰹節工場の中を見学しました。

工場の人は、
鰹節のおいしさを
試食品を分けながら
説明してくれるのですが、
後ろの窯から鰹節を取り出している姿が、



よくドキュメントなんかで見る
光景でしたね。

ここではしっかり
かつおのたたきをいただきました。



ニンニクもたっぷり乗った
なかなかおいしい
たたきでしたよ。

本当はこんな店で



自分でカツオのたたきを作る
カツオ道場なんかに
行きたかったのですが、
まあこれは仕方ありませんね。
しかしまありっぱな昼食でした。

さあ、これで今回の旅は終わりです。

午前11時過ぎにもう
大阪に向かって出発したので、



途中の淡路島も
こんな明るい時間によりました。



景色もこんな感じです。

こんなんだったら、
牧野植物園に入る時間あったのになあ
とか思いながら
結局6時頃に大阪に着です。

首Dさんはちょっとお疲れだったので帰宅。
doironはいつもの木曜日らしく
エイに向かったのでありました。

今回で掛軸もこんな感じ。
うんうん、だいぶちかづいてきましたよ。



前回トラブルで炭が飛んでいたところも
上手に処理してくれていました。



四国詣でもあと3回。
とりあえず四国9回目
これにて終わりです。


四国巡礼三十二番禅師峰寺

2017年03月12日 20時52分21秒 | ウォーキング

止まった部屋は、
窓を開けたらすぐに
太平洋の海が目の前に見えてきます。



この時はちょうど4寺目のお参りが終わったころに、
傘がいるほどの雨になったのですが、
お参り的には何とか傘もいらず
ちょうどよかったのです。
しかし宿から見える景色は
ちょっと残念でしたねえ。

ドヒャーんと広がる雄大な
太平洋の景色を眺めながら、
とりあえず駆けつけビールが
飲めなくて残念でした。

でもねえ、夜はよかったですよ。

寝てたらずっと波の音が
ざざーっと聞こえていて、
なんか気持ちのいい雄大な
睡眠をしたって感じでしたねえ。

そして朝は早めに起きて
少し散歩に出かけました。

雨も夜のうちに病んでいて、
ああ今日も気持ちのお参りできるかなあ、
などと思いながら
土佐湾を歩く龍馬のように、
海岸線をブラブラと歩いたぜよ~。



はい、では本日最初のお寺
32番禅師峰寺を目指しましょう。

先日頑張って4寺回ったおかげで、
3寺しか回れなかった別班とはちがい
余裕のお参りとなります。

観光案内もしてくれましたねえ。

四国の観光案内を聞いていて
よく出てくるのが、
甲子園で活躍した高校の名前です。

ここが、あの池田高校の地元です、
とか明徳義塾がこの先にあります
といった感じにね。

いやあ高校野球てやっぱり偉大ですねえ。

今日のお寺は土佐湾の
桂浜の上部にあります。

ここが桂浜ですと紹介してほしかったのですが、
いまはこういう大型観光バスでは
そういう場所には入れないんだと
添乗員さんが言ってはりました。

ひとつこの辺りで目についたのが、
「墓」でした。
海辺近くの道路沿いに
何キロにもわたって
どんどんとおかれています。
道路はまるでお墓の
お参り道みたいです。

一カ所のドワーっと立っている
墓地もあるけれど、
この道路沿いの墓が
とっても印象的なところでしたね。
もうまるで墓の数が人口より
多いんじゃないかというくらいありました。

禅師峰寺はそんな道を越えて
ちょっと高台のところにあります。

狭い住宅街を、ここでもまた
バスで立ち木をこするようにして
進んでいきます。

左の窓際に座っていると、
時にはザザザーと木にぶつかっていって、
思わず声が上がりそうになりましたね。

添乗員さんが言ってはりました。

「いつもはここですれ違いで
苦労するところなのですが、
今日のお客さんはスムーズで
ラッキーですねえ」だと。

バスがちょっぴり可哀そうになりました。



ここでは少し階段も登ります。
そしてなおかつ山門も越えて
さらに坂を上がっていきますと、
立派なお寺がありました。

禅師峰寺です。



峰山といわれる山の上にあり、
地元では「峰寺」といわれているそうです。

せっかくなので、
ここではお寺の見晴らし所から見渡せる
土佐湾を絵にしておきましょう。



これ。


やっぱりこういう海辺の寺は
山の上にありますねえ。
災害時には貴重な存在となるでしょう。

では、ここもしっかりと
お参りしておきましょう。







きのう倒れた人も今日は
機嫌よくお参りをしてはりました。



さあ、これでもう
あと残すところはひと寺です。
バスに戻っていきましょう。

時間はまだこの時点で
9時半にもなっていません。
あとひと寺回って昼食を食べに行っても
11時にもならんでしょうねえ。

でもまあ時間的にゆっくりなのは
落ち着いてていいですけどね。

さあ、最後のお寺は
31番竹林寺です。

なんか聞いたことのある寺名ですねえ。
そうあのはりまや橋で
かんざしを買ったぼんさんが
いたというあの寺です。

バスで走っていきますと
前方に山が見えてきました。

あれが五台山といいます。
竹林寺はあの山の上にあるはずです。
とおもいつつ見ていますと、
おお~あの山のてっぺんに
五重塔の屋根が
見えてきたではないですか。



続く