これは私が小学6年か中学1年の頃の話。我が家が火事になりかけたことがあった。ちょっと気付くのが遅かったら、間違いなく我が家は火事になり、焼け出されたことだろう。もしかしたら、死人が出たかもしれない。そんな緊迫した一瞬の出来事だった。
昔、我が家は、玄関を入ると、土間になっていて、正面に板の間、左側に座敷があり、そして、右側に納戸と竈、そのさらに先に風呂場があった。風呂場は座敷から土間を挟んで4,5メートル離れたところにあった。当時、まだ薪を燃やして風呂の湯を沸かしていたが、フロ釜の前に薪が燃えた灰が置いてあった。釜の中から灰を掻き出しても、水を掛けて消すということはしていなかったのだろう。
夜、8時か9時ごろだったと思う。ふと土間に通じる障子が赤くなっているのに気付き、障子を開けると、風呂場の方に火が見えた。私が火事だと騒いだのかどうか忘れてしまったが、兄たちが風呂場の方へ飛ぶように駆けつけ、風呂場の中に入ってフロ桶に張っていた水を掛けていた。私が風呂場の近くに行った頃には、壁に火が回り、どんどん上に登って天井に届きそうな状態だった。もし、あの時に私が障子に赤くなっているのを気付くのが遅かったら、火は天井に燃え移り、手の施しようもない状態になって、我が家は焼け出されていたことだろう。また、兄たちが風呂場の中に飛び込むことを一瞬でも躊躇っていたら、風呂場に入れなかっただろうし、もし、フロの水を抜いてしまっていたら、消すこともできなかっただろう。
全ては一瞬のこと。それで、我が家の生活はがらっと大きく変わってしまっていただろう。あの時、火事にならなかったのは、偶然の、一瞬のことが重なり、事なきを得たのであったと思う。今、考えてみても、ありふれている言葉だが、運が良かったとしか言いようがない。
しばらくして、村うちの家で火事があった。逃げ遅れたのだろう、一人が亡くなってしまったことがあった。当時、子供心に、我が家も同じようになってしまっていたかもしれないと思うと、他人事ではないような気がしてならなかったのを覚えている。