DonkeyMの部屋

Donkeyはロバ。格好良くなく、足も遅い。「のろま」とか「馬鹿」といった意味。日々の感動、怒り、愚痴等を記事にしたい。

運不運が全てが変わってしまう!

2016-12-18 23:39:52 | 雑感

 これは私が小学6年か中学1年の頃の話。我が家が火事になりかけたことがあった。ちょっと気付くのが遅かったら、間違いなく我が家は火事になり、焼け出されたことだろう。もしかしたら、死人が出たかもしれない。そんな緊迫した一瞬の出来事だった。

 昔、我が家は、玄関を入ると、土間になっていて、正面に板の間、左側に座敷があり、そして、右側に納戸と竈、そのさらに先に風呂場があった。風呂場は座敷から土間を挟んで4,5メートル離れたところにあった。当時、まだ薪を燃やして風呂の湯を沸かしていたが、フロ釜の前に薪が燃えた灰が置いてあった。釜の中から灰を掻き出しても、水を掛けて消すということはしていなかったのだろう。

 夜、8時か9時ごろだったと思う。ふと土間に通じる障子が赤くなっているのに気付き、障子を開けると、風呂場の方に火が見えた。私が火事だと騒いだのかどうか忘れてしまったが、兄たちが風呂場の方へ飛ぶように駆けつけ、風呂場の中に入ってフロ桶に張っていた水を掛けていた。私が風呂場の近くに行った頃には、壁に火が回り、どんどん上に登って天井に届きそうな状態だった。もし、あの時に私が障子に赤くなっているのを気付くのが遅かったら、火は天井に燃え移り、手の施しようもない状態になって、我が家は焼け出されていたことだろう。また、兄たちが風呂場の中に飛び込むことを一瞬でも躊躇っていたら、風呂場に入れなかっただろうし、もし、フロの水を抜いてしまっていたら、消すこともできなかっただろう。

 全ては一瞬のこと。それで、我が家の生活はがらっと大きく変わってしまっていただろう。あの時、火事にならなかったのは、偶然の、一瞬のことが重なり、事なきを得たのであったと思う。今、考えてみても、ありふれている言葉だが、運が良かったとしか言いようがない。

 しばらくして、村うちの家で火事があった。逃げ遅れたのだろう、一人が亡くなってしまったことがあった。当時、子供心に、我が家も同じようになってしまっていたかもしれないと思うと、他人事ではないような気がしてならなかったのを覚えている。

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おせちは必要?

2016-12-18 05:36:23 | 雑感

 年の瀬も迫って、おせちの注文の期限が残りわずか、今日明日にも決めなくてはならないのだが、どうも気が進まない。

 妻は、おせちを必要と思っているようだが、実際には、あまり食べない。私は、別に正月だからといってそれ程食べたいとも思えない。

 次男が家族を連れて大晦日にやって来て、元日の朝、我が家で雑煮を食べるらしい。そうなると、やっぱり何もないというのも、味気ない気もしてくる。おせちだけで済ませられるなら、良いのだが、他に、かまぼこや伊達巻など買って、煮物も作らないといけなくなりそうだ。

 そうなると、おせちに2,3万円使うのはもったいない気がするのだ。肝心の私の食欲は、今一、高まらない。そんなところが今の現状なのだが、おせちなしというわけにも行かずに、今日、午前中に適当に決めて、注文してくるしかなさそうだ!

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