DonkeyMの部屋

Donkeyはロバ。格好良くなく、足も遅い。「のろま」とか「馬鹿」といった意味。日々の感動、怒り、愚痴等を記事にしたい。

茶飲み友達 ①

2023-05-31 22:00:54 | 雑感
 茶飲み友達というと、真っ先に思い出すのは、父の日常の振る舞いだ。仕事をしていたかと思うと、いつの間にか姿が見えなくなり、どこかに雲隠れしてしまう。仕事が忙しくない時は、別に構わないのだが、仕事が忙しい時でも、しばしあ雲隠れし、母の表情が険しくなっていた。どこに行ったのだろうと、近所を探すと、近所の家の縁側に座り込み、お茶のみ話に耽っている。それが度重なるものだから、母の顔もさらに険しくなり、子どもながらに、ハラハラしたもを覚えている。父は、生まれた土地で育ち、幼友達と共にずっと一緒に生きてきた。まあ、こうしたことは、田舎だったから、一般的なことだったのだろうが、それにしても、父の雲隠れは少し度が過ぎていたように思う。
 そんな父の生活、今思うと、とてもうらやましいと思う。そんな交友関係が築けたらどんなに良いだろう。しかし、今は都会も田舎も同じ、家はどこも閉じられた閉鎖空間になってきている。敷地自体もフェンスが作られ、庭の方から勝手に入り込むなんてできない構造になってきている。都会に至っては、安全上の問題で、エントランスに入ること自体、自動ロックになった扉を開けてもらい、入るという仕組みになり、気楽にエレベータや階段を上り、ドアをノックするということ自体ができないようになってきている。
 1階以外の部屋は、外から部屋の中の様子を見るなどということはできないし、1階だって、カーテンが閉められ、部屋の中の様子を窺うなどということはできない。エレベータに乗り合わせた時、玄関でばったり顔を合わせた時、ちょっと挨拶を交わす程度、近所付き合いなどというものもないのが現実だ。まあ、御婦人の場合は、まだ、子どもを通じて、ママ友付き合いというものもあるようだが、男性に至っては近所付き合いなどというものはほとんどないのが現状のようだ。
 子供は独立して所帯を持ち、遠方での生活を始め、妻に先立たれた私は、全くの独り暮らし、人との交流は非常に少ない。辛うじて、卓球教室に行ったり、テニスに行ったりし、その時に、おしゃべりする程度、全く寂しい限りだ。こんな現状と昔の父の交遊を比べると、父の交遊が如何に恵まれていたものだったか、改めて思う次第だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テニスと私

2023-05-31 03:01:23 | 雑感
 今日、昼からテニスをする予定だが、まだ必要な人数が集まるかどうか分からない。いつもならば、昨日のうちに、メンバーのひとりから、「明日テニスをしましょう!」とLINEに書き込みがあり、それに応じて、参加するか参加しないかと返答があるのだが、昨日はその書き込みがなかった。その人は、すい臓がんの疑いがあるとの診断で、通院を続けている。診断がなかなか確定せずに、経過観察となっている状態なのだが、通院の予定が入っていない限り、率先してテニスに参加していて、私たちメンバーは、「テニスをしていても、大丈夫なのか?」と思っていた。先週は、通院のため参加できないとの書き込みが入っていた。今回は、それさえもない。ちょっと心配なことだ。
 ところで、私は、70歳を過ぎた今でも、テニスサークルに参加し、日曜日の午前中は、ほとんど外のコートに出ている。そして、水曜日は、スポーツジムのアリーナで三々五々集まって来るメンバーと一緒にテニスを楽しんでいる。子どもの頃から運動は大の苦手だ。何をやっても、人に後れを取り、競っても勝てたためしがない。そんな私がなぜテニスをしているのか?自分でも、不思議だ。
 テニスを始めたのは、中学のころだ。中学に入学して、部活動に参加するようになった。最初はバスケットボールをやっていたのだが、1年生の秋になると、3年生が引退し、メンバーが集まらなくなり、バスケットが出来なくなった。そこで、人数が少なくてもできるスポーツということで、テニスをはじめることにした。ところが、テニス部もやはり人数が集まらない。しかし、二人いれば、練習は続けられる。それで、中学の頃にテニスに取り組んだ。指導者なおらず、専ら本からの情報を元に覚えたというもの、全くの自己流といって良い状態だ。しかも、当時は軟式テニスで、今主流の硬式テニスとは全く様相を異にしている。
 その後、仕事を始めるまで、テニスのラケットを持つことはなかったのだが、仕事に就いて、昼休みの休憩時間にテニスをする人たちがいて、一緒に参加するようになった。とはいっても、熱心な人がいればやるが、いなくなるとやめてしまうといった状態が断続的に続いていた。
 仕事をやめて、こちらに住むようになったが、転勤族、各地を転々としていた関係で、この地に知り合いと呼べるような人は誰もいなかった。そうそう、地元の人との繋がりもない。
 地域でも出会いを求め、テニスサークルを物色し、サークルに参加するようになり、また、スポーツジムに通ううちに、テニスをするメンバーに出会い、テニスを通じての交流も出来、今では、その付き合いを生活の中心になってきている。まあ、一般的には、テニスというと激しいスポーツというイメージがあるが、老人になっても、動けないなりにも、自分の力量や体力に見合った取り組みができるという便利なスポーツだと思うし、これからも続けていきたいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする