テロ準備罪が野党が猛反対する中、衆議院を通過した。それも、担当する法務大臣が野党の追及にシドロモドロで、回答になっていないような答弁ばかりを繰り返し、本当に法務大臣は法律の中身をきちんと理解しているのか、法律の主旨を理解しているのだろうかと疑わしい状態の中での、採決だ。とても、まともな審議が行われたとは言えないだろう。
まあ、それはそれとして、今日は、テロ準備罪がなぜ危険な法律なのかを私なりに考えてみた。法律については門外漢で、法律的な説明は他の人に譲るとして、私が考えたのは次のことだ。
第一に、本当にテロを予防するならば、入国審査を徹底し、怪しい人物の入国を阻止すれば、それが一番だ。それをせずに、政府は、却って観光立国を看板にし、多くの外国人を無分別に受け入れようとしている。そして、ホテルが不足したというと、基準の曖昧な宿が影響できるように規制を緩和し、宿でもチェックも曖昧にしている。こちらの方面から規制を掛けようとする動きは一切見せていない。これでは、「テロは絶対に許されない。」と、世界各国でテロが起こると、おオム返しのように声明を発表している安倍首相の、真意を図りかねることだ。本当にテロを防止したいのならば、まずそちらに手を着けるべきだろう。
第二に、犯罪が行われる前に捜査を開始し、準備罪を適応して処罰してしまおうというのだが、いったいどのように準備している情報を察知するのか?もし、それを行うとなれば、膨大な捜査員を必要とし、警察は今の数倍に巨大化し、それこそモンスターになっていくだろう。医者は患者が減ってくると、新たな患者を作り出し、医者が飢えることは決してないという説があるが、警察も同様だろう。組織というところは縮小することを極端に嫌う傾向がある。縮小されないように仕事を作り出し、如何にも重要な仕事をしているように見せかけるのは得意中の得意なのだ。テロ準備罪ができると、それに対応する担当部署が必要になり、そちらがどんどん増強され、警察はますます巨大化していく。かつて、交通戦争と言われ、一年間に1万人以上の人が亡くなるという時代があった。その後、運転マナーの改善、自動車の安全性能の向上等々があり、交通事故の死亡者数は年々減ってきている。しかし、それに対応する警察官の数はそれに見合っただけ、減っているだろうか?部署はできた、人員は配置された、さて、何をする?多分、部署は現在の公安警察になるだろう。暇だといってのんびりしているなら、良いのだが、多分、忙しそうに働き出すだろう。そのうち、安倍首相の内心を忖度し、昔の特別警察を目指す警察幹部が出てこないとも限らない。
第三に、政府は一般人は犯罪捜査の対象外と繰り返し答弁していたが、対象外かそうでないかは捜査してみなければ分からないことだ。仮に、犯罪組織に関わっている人も、日常的には普通に生活しているわけだ。食堂にも入れば、学校の授業参観にも参加するだろう。そういう中で、多少、言葉を交わすこともあるだろうし、親しくしているのを警察が察知したら、組織に入ったのではないかと疑うようなことも出てくるだろう。そこではもう既に捜査の対象になってしまっているわけだ。また、例えば、息子がいて、大学で、過激派の人たちと話すことがあり、1,2回行動を共にすることもあるだろう。組織に勧誘を受けるかもしれない。そうなったら、もう、政府の言う「一般人」とは異なり、もう立派に捜査の対象者に含まれることになるだろう。政府のいう「一般人」というのは実に曖昧な表現なのだ。この疑問に、法務大臣は一切答えることができていない。
第四に、そのそもこの法律案が出てくる背景が問題。最初に述べたように、テロは国内では起こったことがない。まあ、赤軍事件とかをテロと呼ぶならば、話は別なのだが・・・。そもそも、テロは政治的に、経済的に、文化的に虐げられた人たちが、自分たちの居場所を確保するために、起しているものだろう。指導者がそういう人たちを虐げているために起こっていること、それが八つ当たり的に一般民衆に向けたものだと思う。テロを根絶するためには、指導者たちの意識改革が絶対必要なのだと同時に、テロをせざるを得なくなっている人たちの処遇を改善していくことが必要なのだ。小手先のことでは何も改善しないことなのだということを認識するべきだろう。
以上、今、思いつくことをまとめてみた。賛成、反対いろいろあると思います。コメント歓迎します。よろしく!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます