深夜に放送されているNHKの「ラジオ深夜便」で、昭和33年の歌をやっていた。私は8歳、小学2年、3年の頃、当時聴いたことのある曲が流れると、当時のことが走馬灯のように浮かんでは、消えていく。
自転車に乗れるようになるかならないかの頃だ。当時、私の中耳炎が始まった。フライパンに卵の卵黄を入れて熱っして行くと真っ黒な、黒い液状の物になる。それを耳に入れると、効くらしいという。まあ、民間療法の一種だったんだろう。今、考えると、とんでもない話なのだが、、、結局、それで治るはずもなく、耳鼻科に受診することになり、自転車の運転を覚えて、自転車に乗って、通院するようになった。それから、秋から冬に掛けて、毎年、通院することになった。
耳鼻科は江戸川を超え、おおよそ5キロメートル位はあったろう。当時、我が家に子ども用自転車はなく、「三角乗り」という方法で乗っていた。江戸川を渡る橋はとても狭く、ダンプカーなどがビュンビュン走っていたので、自転車を押して歩いて渡っていた。
当時、父はトーハツの100Cのバイクを乗っていて、バイクのガソリンタンクの上に乗せてもらって移動することが多かったのか、橋渡ってすぐに交番があり、交番の少し手前で降され、交番を歩いて通り過ぎたら、その先で待っている父のバイクに乗るといことを繰り返していた。子ども心にも明らかに悪いことをしていると思っていて、ドキドキもの、心が昂ったものだったよう思う。
話を戻すと、耳鼻科への通院は、私が外の世界をひとりで体験する絶好の機械になっていたように思う。私の住んでいるところはまったくの田園地帯、耳鼻科は都会?だった。お店も沢山あったし、アーケードなどもあった。通院のついでに、買い物も自分でするようになったし、買い物をするときに、値切るということも覚えた。まあ。怖いもの知らずの「ませた」子どもだったと思う。
深夜便は終わり、ラジオ番組は次に移り、現実に戻った。
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