(カメラ:LumixGF2+LumixG14mmF2.5)写真クリックで拡大
人気ブログランキングへ
陣屋は二重になっていて、外曲輪(そとくるわ)と内曲輪(うちくるわ)と言い、最初の門を
くぐったところが、外曲輪で、この四番長屋跡は外曲輪内にある。二番から五番まで長屋
跡があったが、一番がなかった。資料館で聞いてみないと不明です。
武士の家族はこちらの外曲輪内で暮らし、内曲輪内にある本陣や勘定所などに通勤して
いたんですね。ある意味現代の役所や学校なども同じようなものです。
ここの門から内曲輪(うちくるわ)に入るのですが、こちらには土塁の他にお堀も造られて
いて、より警備は厳重です。
内曲輪の入り口の門から本陣のある内曲輪をみたところ。
ふわっと明るく開けていて、外曲輪よりもいい感じ。
ここが内曲輪内にある本陣跡。くいが打ってところが柱のようなのでかなり広い。
内曲輪内に案内版があった。本陣の大きさは二棟建っていて、両方あわせて29m×
18mくらいとのことなので、結構大きな建物。
勘定所が本陣とは別棟になっている。会計員の武士はこちらに通勤していたんですね。
真田広之と宮沢りえが出てた山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」の勘定役人下級武士
たちを連想させます。
この漢字、難しいですが、調べたら厩(うまや)と同じ意味でした。要するに馬小屋。
本陣のすぐ脇に位置し、馬が重要な交通手段だったことがわかります。
いまなら黒塗りの公用車駐車場ですね。
厩あたりから内曲輪の入り口門をみたところ。木の前のくいは本陣跡です。
本陣前の大木。ひょっとしたら当時からあって、仙台藩士たちを見守っていたかも。
本陣の左側に位置する武器庫跡。当時は既に火縄中ではなく火打石式のゲベール銃が
主力になっていたようです。幕府側も長州征伐頃からはライフリング(銃身内のぐるぐる
螺旋)の入った新式のミニエー銃を使っていたが、薩摩、長州等の新政府軍はさらに
最新の連発式スペンサー銃(アメリカ製、南北戦争で使われた)を大量に買い入れ、
幕府軍を圧倒したようです。幕府側は伝習隊くらいしか使っていなかったようで、装備の
近代化が遅れた。
今も昔も内乱では双方に武器を売って兵器産業や商社は儲けているのです。
内乱をけしかけたり工作したりもかなりやっているようなので、最近の中東情勢
アフリカ情勢なども無関係ではないのです。
日本も武器商人の仲間入りをしようと画策していますが、使い方は買ったほうの
自由とは言え、紛争に手を貸して、一般市民の犠牲を増やすことになる
商売は良い商売とは言えません。
この兵器庫にはその他、槍や大砲も入っていたのかも知れません。
この内曲輪内は、とても心地よく、敷物ひろげてピクニックしたり、寝転んで
昼寝したりしたくなる、天気がよかったせいもありますがパワースポットにも
通じる気があふれているように感じました。また行きたくなります。
ひょっとしたら風水なども考慮して設計されているのかも。
江
これは内曲輪を出てきたところで気付いた、おそらく当時よりあったのではないかと
思われる松の巨木。倒れそうなので補強して支えてあります。
外曲輪の端のほうにあった稽古場跡。道場があって剣術訓練などをしたのか遺構が
ないので外の稽古場だったのかも。松の巨木は稽古をみていたかも。
外曲輪の入り口の門まで戻ってきました。
当時の人たちがタイムスリップし現代に来たら、巨大な鉄塔や空を飛んでる飛行機、
建設現場の大きな重機の音、なにより道路を突っ走るクルマにびっくりするでしょうね!