最近、NHK「プロフェッショナル」を見るようになった。
各分野のプロ中のプロたちが登場する。
それぞれのプロフェッショナルたちに共通するのは、
既成概念に捉われないということだ。
先人たちが切り開いた道をなぞるように歩いて行くことをしない。
敷かれたレールの上を進んで行くことをしない。
独自の視点と発想を持ちユニークでインパクトのあるものを生み出していく。
しかし、そこに到達するまでには、それなりの代償を払っている。
挫折や失意に喘ぎ、どん底の日々を過ごしている。
栄光の実績がある人でさえもすべてをかなぐり捨てて、
ゼロからの出発を果たしている。
介護の世界においてはどうだろうか?
22年前、特別養護老人ホームで働いていたとき、
“残存能力の活用”という概念すらなかった。
当然、ベッドで寝かせきり、外出の機会などあるわけはない。
トイレに行きたいと言ってもオムツの中ですればと平然と言う職員。
定時のオムツ交換のとき換えてあげるからと。
週2回の入浴時はバスタオル一枚で待つ車椅子の列、
お粥とお惣菜をごちゃ混ぜにして食べさせる食事介助、
本人の意思、意向はすべて無視され、
短時間で切り上げる人が優秀な介護職員と言われていた。
もちろん、すべての人がそうではない。
しかし、出る杭にはなりたくない。
一人だけ組織からはみ出し、村八分されたくない。
疑問を持ちながらも成す術なく、長いものには巻かれろだった。
そして私はというと、
介助員として介護職員(当時は寮母)の下働きで、
日々雑用の仕事ばかりこなしていた。
(つづく)
各分野のプロ中のプロたちが登場する。
それぞれのプロフェッショナルたちに共通するのは、
既成概念に捉われないということだ。
先人たちが切り開いた道をなぞるように歩いて行くことをしない。
敷かれたレールの上を進んで行くことをしない。
独自の視点と発想を持ちユニークでインパクトのあるものを生み出していく。
しかし、そこに到達するまでには、それなりの代償を払っている。
挫折や失意に喘ぎ、どん底の日々を過ごしている。
栄光の実績がある人でさえもすべてをかなぐり捨てて、
ゼロからの出発を果たしている。
介護の世界においてはどうだろうか?
22年前、特別養護老人ホームで働いていたとき、
“残存能力の活用”という概念すらなかった。
当然、ベッドで寝かせきり、外出の機会などあるわけはない。
トイレに行きたいと言ってもオムツの中ですればと平然と言う職員。
定時のオムツ交換のとき換えてあげるからと。
週2回の入浴時はバスタオル一枚で待つ車椅子の列、
お粥とお惣菜をごちゃ混ぜにして食べさせる食事介助、
本人の意思、意向はすべて無視され、
短時間で切り上げる人が優秀な介護職員と言われていた。
もちろん、すべての人がそうではない。
しかし、出る杭にはなりたくない。
一人だけ組織からはみ出し、村八分されたくない。
疑問を持ちながらも成す術なく、長いものには巻かれろだった。
そして私はというと、
介助員として介護職員(当時は寮母)の下働きで、
日々雑用の仕事ばかりこなしていた。
(つづく)