光のみちしるべ ~愛だけが現実~

私たちは皆、神様の子供。
内なる神の分光を輝かせましょう。
5次元の光のピラミッドがあなたを待っています。

プロフェッショナル ~オリジナルこそ命~ ③

2007年02月11日 16時22分01秒 | プロフェッショナル
ある日、私は一人の女性介護職員に呼び出された。
そうして、こう言われた。

「腰掛けの気持ちで、この仕事をしてほしくない。
私たちは真剣にこの仕事に取り組んでいるのだから」

私があいまいな勤務態度ではないということは、この人には伝わっていたはずだ。
おそらく、こう思われていたのかもしれない。

(この人は真面目に仕事をしているけれども、根本的にこの仕事を好きではない。
結局はここからいなくなってしまう人だ)と。

しかし、この頃の私はまだ若くて、
彼女の真意を汲み取るほどの思慮深さに欠けていた。
逆に開き直ってこう切り換えしてしまった。

「確かに私は腰掛かもしれないけど、
この腰掛けの私よりも真剣に仕事に取り組んでいる人は何人いるのか?
私より必死に勉強してよりよい介護をしようと思っている人はどれだけいるのか?」

今ふりかえれば、何とも傲慢で生意気な奴である。
こんな台詞は間違っても言えたもんじゃあない。
しかし、それを平然と言ってのけた当時の私は若かった。
そんな自信は何処から来ていたのだろうか。
とにかくこの女性職員に笑われないように、
更にリハビリテーションの勉強をし始めた。

リハビリテーションの視点に立った身体介護を身に付ければ、
相手の力や意欲を引き出すことが出来る。
片麻痺でも残っている機能を引き出しながら、
少しずつ自信を持てるようになる。
そして介護者も介護を受ける側もお互いに楽な介護になる。
この視点は今でも間違っていなかったと思う。

それから間もなく新しく結成された施設内リハビリテーションの一員に選ばれ、
毎週、東海大学病院リハビリテーション科へ研修に行くようになった。
それは入居者の外来受診という形をとり、
理学療法士の行なっている療法を実際に間近で見て覚えて、
施設に戻って再びそれを実践することだった。

しかし、マットを敷いて入居者の人たちに関節可動域訓練を行なっても、
誰も見に来て覚えようという職員は一人もいなかった。
そう、私は“出る杭”となり、組織からはみ出した存在になっていた。

(そんなことをやって何になるの?歩けるようになるわけではないのに)
そんな冷たい視線に囲まれていた。

プロフェッショナル ~オリジナルこそ命~ ②

2007年02月11日 11時17分16秒 | プロフェッショナル
私は次の新しい職場を見つけて、早く辞めてしまおうと考えていた。
言うなれば単に腰掛けのつもりだった。
それまで知的障害児通園施設で働いてきた私にとって、
老人福祉はすべてが時代遅れの産物のように思われ、
介護は児童の療育分野より200年も遅れているような暗い気持ちなっていた。

それは老人介護が医学的または科学的な見地から程遠く、
すべては経験がものをいう世界であり、
声の大きい人の主張が優先されていくという現状だったからだ。
早くここから脱出せねばと考えていた。
単に生活の糧を稼ぐ手段が見つからなかったからここにいるだけなのさ、
と自分自身に思い込ませていた。

しかし、そういう私にもプライドがある。
それまで知的障害児の療育で教えられてきたことを、
そのまま老人介護に実践した。

このお年寄りはどうしてここに来なければならなかったのか。
このお年寄りは今どんな気持ちで過ごしているのか。
今、何を一番求めているのか。

そんなことを考えながら入居者の人たちと接するようになった。

そして、リハビリテーションの本を買い込み、
トランスファー(移乗動作)や基本的な身体介護の勉強をし始めた。
徐々にお年寄りの方たちが、
「いい人が来てくれて本当に良かったわ」と言ってくれるようになった。
しかし、まだ本気でこの分野に取り組もうといく気持ちにまでは至らなかった。
ところが、この気持ちを一変させることが起きた。


つづく

[注]
老人福祉、老人介護の言葉は、
現在、高齢者福祉、高齢者介護と呼ばれていますが、
当時の言葉のままで使っています。