光のみちしるべ ~愛だけが現実~

私たちは皆、神様の子供。
内なる神の分光を輝かせましょう。
5次元の光のピラミッドがあなたを待っています。

プロフェッショナル ~オリジナルこそ命~ ④

2007年02月12日 08時50分23秒 | プロフェッショナル
介助員という職種は基本的に介護職の下に位置し、
寮母さんたちを補助する役割が主な仕事であった。
だから私の補助を行なうということは基本的に有り得なかった。
そういう役割は存在しないのである。
同じリハビリチームの介護職員も私と一緒に行なおうとしなかった。
孤立無援の闘いが始まった。

基本的に施設内でリハビリテーションを行なう時間帯はない。
毎日が流れ作業のように繰り返す時間の中で、
10分でも20分でもその時間帯を捻出しなければならない。
しかし、その時間帯はあった。

それは3時のおやつが終了すると、
職員たちは一斉に寮母室へ入り休憩してしまう時間帯だった。
かねてから何故こんな摩訶不思議な時間帯が存在するのか理解できなかった。
夕食前のオムツ交換(トイレ介助)まで、約20分の空白時間があったのだ。

私は決してこれを見逃さす、寮母室へ入っていく職員を尻目に、
すかさずリハビリテーションを行なう準備を始めた。
皆は一人だけ逸脱した行為を始めた私を迷惑そうに眺めていた。
しかし、そんなことにはお構いなしに、
空いている居室にすぐにマットを敷いて、
二人の女性入居者を横にし、マット上のリハビリ訓練を行なった。
まず最初にホットパックで関節部位を温めたのちに、関節可動域訓練(ROM)を行なった。
とにかく、東海大学病院の理学療法士(以下PT)に教わったことを忠実に行なった。

決して無理をしないこと。
あとで疲れてぐったりしてしまうまで行なわないこと。
ちょっと物足りないぐらいで終了することなどを心がけた。

来る日も来る日も私一人だけのリハビリが続いた。
それに正比例して、来る日も来る日も冷ややかな視線を浴び続けた。
誰も協力しない。
同じリハビリチームの職員も一緒に行なってくれない。
しかし、それでもやめなかった。
孤立無援の状況でありながらでも、“継続は力なり”をとことん信じた。

時間はほんの20分ぐらいしかないのだ。
その20分で出来ることはわずかだけど、自分が覚えた訓練は精一杯やった。
そして20で切り上げないと、
すぐに介護職員たちから次の仕事に支障をきたすと苦情がくる。
しかし、そのリハビリの効果は徐々に現れつつあった。



[注]寮母→当時1980~90年代の介護職は寮母と呼ばれていました。