リハビリテーションの視点に立った介護は、障害児療育の中で養われた。
小児精神科医師、PT(理学療法士)、OT(作業療法士)、ST(言語聴覚士)などの専門職が、
それぞれの立場から意見を交換し合い、日々の療育の場面で実践していった。
それぞれの子供たちのよりよい発達のために一丸となって進んだ。
しかし、最初から順風満帆であったわけではない。
肢体不自由、ダウン症、自閉症、知的障害などの子供たちに囲まれて、
児童指導員として社会への第一歩を踏み出した私は、
それまで大学で学んだことが何も通用しないことに愕然とした。
大学で学んだことが間違っていたわけではない。
机上で得た知識が私の血肉になるまで昇華されていなかったのだ。
何をやってもヘマばかり。
仕事をとちってばかり。
先輩職員に叱られてばかり。
記録を書いては何度も書き直しを命じられて、
毎日が忍耐の日々だった。
当然、子供たちと打ち解けることが中々できず、
皆私のもとに集まって来ることはなかった。
そんなときに出会った女の子に、Mちゃん(4歳)がいた。
いつもキャーキャー笑いながらあちこちを走り回っていた。
一つの遊びに集中することがなく、
言葉を発することも少なく、
他の子と一緒に遊ぶことはなかった。
私が「Mちゃ~ん」と呼んでも返事することはなく、
ふり向いてくれることもなかった。
他者との関わりが希薄なため、
言葉というコミュニケーション手段が発達しきれていなかった。
そんなとき、
「何度も名前を呼んでください。必ずふり向くときが来ます」
という小児精神科Drの助言をいただいた。
その日から他の職員から「Mちゃんパパ」と言われるぐらい、
何度も何度も「Mちゃ~ん」と名前を呼び続けた。
そんな日々が1年になろうとしたある日、
自由遊びの時間が終わって遊具を倉庫に片付けていたとき、
開けていた扉が何かの拍子に閉まってしまった。
中に一人取り残された私は扉を開けようと振り向くと、扉がゆっくりと開いた。
誰かが扉を開けてくれたのだ。
「すじゅき、せんせい‥」
Mちゃんが扉の間から顔だけのぞかせて、心配そうに私を見つめていた。
「Mちゃん‥」
涙が出そうなほどの瞬間だった。
「Mちゃん、心配して扉を開けてくれたの?ありがとう!」
思わず抱きしめて、素直に喜んだ。
何か大きなものをMちゃんから与えられたような気がした。
それからというもの、どんなに遠くで遊んでいても、
名前を呼ぶとキャーキャー叫びながら戻って来てくれるようになった。
その経験が私の中心、核となり、揺らぎのない自信となっていった。
そのときのことがあったから、必ず結果を出せるという信念があった。
一人、居室の片隅で20分間のリハビリに集中した。
私を信じてくれる入居者の思いが後押ししてくれていた。
そして、その効果を実感し始めたのは私ではなく、他ならぬ寮母さんたちだった。
小児精神科医師、PT(理学療法士)、OT(作業療法士)、ST(言語聴覚士)などの専門職が、
それぞれの立場から意見を交換し合い、日々の療育の場面で実践していった。
それぞれの子供たちのよりよい発達のために一丸となって進んだ。
しかし、最初から順風満帆であったわけではない。
肢体不自由、ダウン症、自閉症、知的障害などの子供たちに囲まれて、
児童指導員として社会への第一歩を踏み出した私は、
それまで大学で学んだことが何も通用しないことに愕然とした。
大学で学んだことが間違っていたわけではない。
机上で得た知識が私の血肉になるまで昇華されていなかったのだ。
何をやってもヘマばかり。
仕事をとちってばかり。
先輩職員に叱られてばかり。
記録を書いては何度も書き直しを命じられて、
毎日が忍耐の日々だった。
当然、子供たちと打ち解けることが中々できず、
皆私のもとに集まって来ることはなかった。
そんなときに出会った女の子に、Mちゃん(4歳)がいた。
いつもキャーキャー笑いながらあちこちを走り回っていた。
一つの遊びに集中することがなく、
言葉を発することも少なく、
他の子と一緒に遊ぶことはなかった。
私が「Mちゃ~ん」と呼んでも返事することはなく、
ふり向いてくれることもなかった。
他者との関わりが希薄なため、
言葉というコミュニケーション手段が発達しきれていなかった。
そんなとき、
「何度も名前を呼んでください。必ずふり向くときが来ます」
という小児精神科Drの助言をいただいた。
その日から他の職員から「Mちゃんパパ」と言われるぐらい、
何度も何度も「Mちゃ~ん」と名前を呼び続けた。
そんな日々が1年になろうとしたある日、
自由遊びの時間が終わって遊具を倉庫に片付けていたとき、
開けていた扉が何かの拍子に閉まってしまった。
中に一人取り残された私は扉を開けようと振り向くと、扉がゆっくりと開いた。
誰かが扉を開けてくれたのだ。
「すじゅき、せんせい‥」
Mちゃんが扉の間から顔だけのぞかせて、心配そうに私を見つめていた。
「Mちゃん‥」
涙が出そうなほどの瞬間だった。
「Mちゃん、心配して扉を開けてくれたの?ありがとう!」
思わず抱きしめて、素直に喜んだ。
何か大きなものをMちゃんから与えられたような気がした。
それからというもの、どんなに遠くで遊んでいても、
名前を呼ぶとキャーキャー叫びながら戻って来てくれるようになった。
その経験が私の中心、核となり、揺らぎのない自信となっていった。
そのときのことがあったから、必ず結果を出せるという信念があった。
一人、居室の片隅で20分間のリハビリに集中した。
私を信じてくれる入居者の思いが後押ししてくれていた。
そして、その効果を実感し始めたのは私ではなく、他ならぬ寮母さんたちだった。