1年前の今日、激しい揺れに尋常ならぬ地球の異変を感じました。
当時、入院していたしとりんのことがとても心配になりました。
そして、震源地に近い山形の実家のことも心配でした。
すぐにテレビをつけると、津波がまだ到達していない港の様子が映し出されていました。
あのとき、まだ多くの人たちの命は無事だったのだと思います。
しかし、その直後に巨大津波が押し寄せ、多くの尊い命が失われました。
実家に電話すれど、一向に繋がらず安否の確認が取れないままでした。
その後、しとりんに会いに行くため、自転車に飛び乗って走り出しました。
案の定、電車は止まっていました。
踏み切りは開いたままで、駅に動かないままの電車を追い越して、
青梅街道に出たらもう一直線でした。
果たして、しとりんはじめ妊婦さんたちは無事にいました。
余震が続き、騒然した中でも、
少しでも落ち着きを取り戻そうと看護師さんたちは平静さを保っていました。
しとりんと同室の妊婦さんたちは私の姿を見て驚き、
電車が止まっているのにどうやって来たのかと不思議そうでした。
自転車で来たことを伝えると、よく新座から荻窪まで来たと驚嘆されていました。
しとりんは私の顔を見て安心した様子でした。
東京は大丈夫だろうか?という不安がありましたが、
「絶対に大丈夫!」という妙な自信がありました。
東京には数多くのスピリチュアルな方々が、
大地震が起きないように天と地をつないでいるからです。
東京が壊滅してしまうのは日本にとっても地球にとっても、
ネガティヴなエネルギーを創出してしまい、
アセンションに多大な停滞を及ぼす可能性があります。
とはいえ、100%安全な場所ということではありません。
けれど、妙な自信が私にはありました。
次へつづく