山での生活は町では考えられないくらい自然との共存の毎日。不便さの中に人間の知恵が活かされ身体を使って“生きている”ことを感じさせてくれる。
静かに流れる時間がとても心地よくて・・・。人との会話は家族だけということも珍しくない。そんな暮らしが8カ月ほど経とうとしていた頃、久々にE表現の活動に参加することになった。
「赤ちゃん大学」で久々に会ったたくさんの子どもたちやお母さんたちでにぎわう会場で、いつもの環境とのギャップに、自分の身体と頭がうまくかみ合わず少し戸惑いを感じていた。まるでアフリカのサンコンさんみたいな気分!(←古い?)
皆さんの前で話をすることになっていたので、当日までに自分の子育てを振り返ることになったけど、はっきり言って余裕のないお母さんだった。こだわりが多くて、それに自分が囚われ苦しかった。でもそこに一つの信念もあり、家族に迷惑をかけながらもこだわり続けさせてもらえた。
それから子どもにはたくさん話しかけた。実家の母に「うるさいんじゃない?」って言われたこともある。
そして何より私の心に子育ての充実感として残っていることは、“子どもとたくさん遊んだこと!!!”
私の足の裏は小さい子どもの身体を持ち上げ、飛行機にしてあげたり、私の脚は滑り台になったり・・・狭い6畳の部屋は野球場になったり、鬼ごっこ・かくれんぼの遊び場に、踊りの舞台に、発表会の会場にと変化した。
毎日毎日子どものために生きていたような気がする。そのことにときどきストレスも感じて爆発したこともたびたび。それでも子どもの寝言はいつも「おかあさん」だった。
私が今生で一番したかったことは“子育て”だったし、私は“お母さんになりたかったから、子どもを育てられたことは私の喜びだった。
わが子はもう12歳になり不便な暮らしのおかげで私を助けてくれることが多くなった。「子育て」というよりも今は「家族として支え合う関係」。
赤ちゃん大学で出会ったお母さんたちを見ていると、しばらくは大変だけど、「とても大切な時間だから頑張ってほしい」と思わずにはいられない。子育てはすごい仕事だとわかってほしい・・・。
訳のわからない怪物を育てるのでなく、「知性ある尊い生命を育むこと」だから。
私は、子どもは一人しか育てられなかったけど、今年は子ヤギの「子育て」に挑戦した。わが子と同じような感覚で育ててしまったような気がする。この頃はもう大人になりつつあるので「家族として支え合う関係」かな?
子どももヤギも私にとってかけがえのない存在。あっ!夫のこと忘れていた
K・T