初めてこの記事をアップしたのが、
2007年8月。
その後、何度か再掲しました。
前回は2018年4月
今回、ありがたいことに再度リクエストを頂きました。
改めて再掲いたします。
HimsanによるPixabayからの画像
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ニューヨーク大学リハビリテーション病院の壁には・・
大変有名な詩が書かれています。
作者は不明ですが、心も体も傷ついた
ベトナム戦争帰還兵の若者という説や
ここに入院していた神父という説もあるようです。
以前、この詩をここで記事にしたところ、大変な反響を頂きました。
学校で先生がこの記事をご紹介してくださったり、
この数年間、「リハビリ 壁 詩」といった検索語で
ここにお訪ね下さる方が 続きました。
再褐させていただこうと思います。
失ったことや対極を知ったことによって
その本質の尊さや豊かさに気づくことができた
この詩は、そんな意味を伝えてくれます。
私は、医師になって
本当によかったと思います。
患者さんと共に過ごすことで
自分の一回だけの人生では分からなかったことを
気づき、知ることができ
何倍も豊かにしてもらったと感じています。
キラキラとした宝物を
心に感じることが出来きているような・・
上手くいえませんが。
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「苦難にある者たちの告白」
-ある患者の詩-
大事を成そうとして、
力を与えてほしいと神に求めたのに、
慎み深く、従順であるようにと
弱さを授かった。
より偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた。
幸せになろうとして
富を求めたのに、
賢明であるようにと
貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようとして、
権力を求めたのに、
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった。
人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるように
命を授かった。
求めたものは一つとして
与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた。
私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されたのだ。
A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED
I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...
I asked for health, that I might do greater things
I was given infirmity, that I might do better things...
I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...
I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...
I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...
I got nothing that I asked for -- but everything I had hoped for
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed!
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God Bless You!
ところで、有名なお話「アルブスの少女ハイジ」の、子供向けバージョンではカットされているこんなエピソードがあるのをご存知ですか?
心ならずも都会に来てしまい、早く山に帰りたいと願うハイジは、クララのお祖母様から神様に祈ることを教わりますが、直ぐには山には帰れないことが判ると祈ることを止めてしまいます。
そんなハイジにお祖母様は「神様は貴方にとって一番良い方法で貴方の祈りに応えようとされているのだから、信じて、諦めないで、祈りつづけなさい」とアドバイスし、文字を教えてくれました。そうして時が過ぎ、いろいろな出来事があり、晴れてハイジが山に帰れるようになった時には、彼女は聖書を朗読できるまでになっていました。
おかげで、盲目となって以来聖書を読めなくなっていたペーターのお祖母さんに、久しぶりに朗読をしてあげることができて、お祖母さんは泣いて喜びます。
それを見てハイジは、確かに神様は、早く山に帰りたいという自分の願いはかなえてくれなかったけれど、かわりに本当に一番良いときを選んで山に帰してくれたのだと理解するのです。
>求めたものは一つとして
>与えられなかったが、
>願いはすべて聞き届けられた。
自分が望んだものが手に入らなくとも、本当に自分にとって大切なものはちゃんと持っていることが自覚出来る・・・そんな人間になりたいと思っています。
ちょうど苦しいな、と感じていたときだったのでとても心に響きました。
病と闘う患者さんの苦悩と比べればささいなことかもしれませんが、ときに人は「何一つうまくいかない!!」と思ってしまうことがあります。
でも人生のすべてに意味があるのだな、と思いました。
時々、どうして上手く行かないのか、と全てが嫌になってしまうことがあります。
でも今振り返ると、それらの挫折があったから今があるのでは、と思います。
意味のないことなんて1つもないといいますが本当にその通りですよね。
これからもたくさんいやな事、挫折があると思いますがその時はこの詩のように前向きに頑張りたいと思います。
ハイジの子供向けには盛り込まれていないバージョンがあったなんて、はじめて知りました。まさしく、この詩に共通する話ですね。お書きくださった話を、本文にアップさせてください。是非、多くの方に知っていただきたいと思いますので、どうぞ、よろしくお願いいたします。
キャサリンさん
我を捧げたマザー・テレサの生き様そのままの言葉であり、キャサリンさんの生き様でもあるのですね。祈りの言葉、シェアしてくださり本当にありがとうございます。また、毎晩ご訪問くださっていること、心から感謝です。書くことへの支えです。
runa123先生
苦しさを知らない人より、苦しさを知っているからこそ、言葉が心に染み入ることができるのだろうなあと思いました。先生のブログに取り上げてくださり、リンクとTB、本当にありがとうございました。
Mayさん
本当ですね。辛いとき、この詩を思い出すことで、辛さが無駄にはならない成長があるかもしれないと希望を持つことができそうです。
緩和ケアは最期はお別れが待っているのだけど、
患者さんやご家族と宝物のような時を過ごすことがあります。
あたたかくて、優しい時間です。
先生も同じような時を過ごしていらっしゃるんだなぁと嬉しくなりました。
そんな宝物のようなことがあるんだよって、周りの人に伝えることができたらなぁと思っています。
同じ志を持っていて、同じような経験をしているってわかると本当に嬉しいもので、セローさんの周りの患者さん達も最後の大切な時間を宝物のように過ごせていらっしゃるのですね。多くの方にそう感じていただけるとよいですね。
実はつぃ最近学校であった学年集会である先生がこの詩(正確には、この記事を)を読んで聞かせてくれたんです。
あたしはその言葉に感動し、直接教えてもらいました。
そしてここに辿り着きました。
よかったらあたしのブログにも遊びにきてくださぃ^^詩を書いてます。
トラバ貼らせてもらいます。
友人から雑誌に掲載されている詩を見せてもらって、心に突き刺さってしまいました。
「私は諦めない」と思っていても、弱い自分が顔を出す。でも、病気に成ったから会えた人もいます。助けてくれた方々を裏切らない様にしないと。
平坦なままなら、弱さも強さもないのでしょうが、諦めたいと感じたとき、諦めない自分もいることに気づくことができ、弱いからこそ強い自分にも気づくことができる・・そういうことなのでしょうね。コメントありがとうございました。
密かに・・・。病院で、本当に、裏方の裏方のボランティアをさせていただくようになり、1ヶ月がたちました。
週に1度だけなので、まだまだ、うろちょろするだけで、足手まといの人でありますが。私。
病院のスタッフの方に、私について、話し合いをしていただいてしまうほどでしたし・・・。(緩和ケア病棟での慶弔のボランティアをする前に、私自身の地固めを頑張って、やりましょう!!との話し合い)
緩和ケア病棟での傾聴ボランティアをする前に、裏方に徹して、少し、自分の足で立てるように、頑張ってみて下さい。と、暖かい受け入れをしていただいています。
まさしく「より偉大であるために」求めた事で、「慎み」と「ひざまずく謙虚さ」を与えていただいています。
棚にある本のどこかのハズ…
探そうとすると見つからないものなんですが、
ここで紹介していただけるとは、ありがたいことです
若干話がずれますが、今年になって
この詩のように続けて目にした(耳にした)ものに
アンブロワーズ・パレの言葉があります
To Cure Sometimes
To Relieve Often
To Comfort Always
連続して掲示される言葉は 大きなメッセージだなぁと感じているこのごろです
私自身、忘れないように大切な言葉などを書き留めているのがブログであったりしています。
床屋から外科医になったパレは、緩和の心を早くに表現されていたのですね。relieve(症状をとること)が難しくても comfort(心地よさ)を求め続けることをあきらめてはならないと、今日は、教訓めいて読んでしまいました。前者を和らぎ、後者を癒しと訳しているものもありますが、単純にそんな風に私は訳しています。えびさんはどのように読み取られましたか?
昨年頃からブログを読ませてもらっていました。
臨床での考えさせられるエピソード、心が洗われるエピソード、最新の緩和医療の情報などいつも勉強になっています。
この詩は以前どこかで目にしたんですが、特にそのときはただ「いい詩だなぁ」というだけでスルーしてしまっていました…けど、今はなんだかこの詩の訴えかけてくるものを感じることができている気がします。
記事のTBをさせていただけたらと思います。
パレの言葉を読み、ケアってどんなこと?を
示唆する味わい深いものだなぁと感じました
今これを書きながら、某精神科の先生が講義の最後で使った
“Lika a bridge over troubled water I will
ease your mind”が頭の中を周っています
弱いから見えてくるものってあるんだと、感じる、今日このごろ。
昨年から・・。長くお付き合いくださり、心から感謝です。また、そのことをこうしてコメントに残してくださり、本当に励みになります。TBとても、光栄です。ありがとうございます。
えびさん
重ねてのコメント、また、問いかけにお答えくださったこと、本当にありがとうございました。
本当にそのとおりだと思います。
受け取り手の、その時、その時で同じ詩も違って見えてくることもあり、そうした自分の反応で、今の自分に気づく時もあるものだと感じた次第です。
「がん細胞は24時間眠らない、がん患者のがんとの闘いも24時間休みなく続いている」と1985年アメリカのシアトル郊外で、アメリカ対がん協会の1人の医師が、がん患者救済やがん予防を訴えその為の寄付金を募りたく始めたチャリティーイベントです
私2006年(つくば)2007年(芦屋)とスタッフに加えて頂きましたがドクターストップがかかり参加できませんでした
昨年心臓のアブレーション治療(完治ではありませんが)のお陰でお許しが出ました
今年は地元である横浜「新横浜」で開催されます
(9月14日から15日)
女性最高齢(笑)の実行委員として参加しております
娘も私をサポートしながら参加
諸外国ではボランティアが開催サバイバーは参加なのですが、日本では実行委員の殆どの人々が治療中、経過観察中の患者です
8月31日北海道の室蘭から新横浜・芦屋・徳島・高知・大分県で開催されます
参加方法や詳細、最新情報はWEBで発信中です
先生 是非お目を通して下さい
http://rflyokohama.ninja-web.net
この度私のブログにリンクを
貼らさせてもらいました。
もしよろしければ
相互リンクお願いできないでしょうか?
作業療法士を目指す学生のブログです。
まだブログはじめたばかりで充実してませんが、
こんなブログでよければよろしくお願いします。
ただ、私のほうでリンクを張らせていただくのは、もう少し先になりそうです。時間があるときで、ご容赦ください。
時間のあるときで構いません♪
記憶のどこかにあり、ふと読みたくなって、色々と探してこちらに辿りつきました。
だいぶ昔にこの詩を読んだ時にはあまり心には響かなかったのですが、人生で色々と苦労をした今、この詩を読んで涙が止まらなくなりました。この文章を書いている間も涙が出続けています。
人生で苦労すれば苦労するほど、この詩は深く、重く感じられることを痛感しました。
私は金子みすずさんの「私と小鳥と鈴と」という詩も好きですが、今はこの詩が一番好きになりました。
この詩は、本当に素晴らしい詩だと思います。
時間をあけて繰り返し読むと、かつては気が付かなかったことに気付いたり、異なった感想を持ったりします。
これは、“成長”なのでしょうね。
そして、苦労なさったことが、無駄なことではなかった証しですね。
涙とともにコメントを寄せてくださり、本当にありがとうございました。
率直な言葉に、心うたれます。
「そんな先生のところで最期を迎えられたらどんなにか幸せかしら・・」と言われたことを思い出しました。医師である前に良い人間でなければならないのに、そうでない例をしばしば耳にします。病人の弱った心が更に痛めつけられている現実。聞いていて悲しいです。すべての先生が有賀先生のようであったら・・。有賀先生の許で最期を迎えられる患者さんは本当にお幸せだと思います。
先日の緩和ケアに対する印象は?という質問ですが、正直に申し上げます。がん告知そのものが「死刑宣告」ならば緩和ケア行きは「死刑執行台」行きに値します。がん患者にとってこれほど怖いものはなく、末期になると緩和に行くか治験をやるか迫られ、死刑台行きは嫌だから「治験」を選択する。結局ボロボロになって病院を追い出され、受け入れ先病院探しに奔走する・・という結末を迎えます。本当に悲惨です。
頑張ってらっしゃる先生には申し訳ないのですが「緩和」に対する認識は余りにもマイナスイメージなのです。末期の方たちは痛みが来ることを大変恐れています。緩和=死刑執行ではなく、痛みを和らげ長く生きる手助けするところという風に広まれば良いのですが。ちなみに私が耳にしている緩和の先生は人間的に温かみが感じられず「行くのが辛い」という声ばかりです。緩和科では痛みのコントロールはもちろんですが心のケアは大変重要と思われます。命には限りがあるので仕方がないとしても、せめて心だけでも救って欲しい。そう願わずにはいられません。
人間の最期を看取る医療、それがお粗末なものであってはならないと思うのです。緩和ケア医は医師であると同時に「天国への水先案内人」という大役を果たさなければならないわけで、治療して生かす医療を遥かに超えた重責があると思います。どうか1人でも多くの方が幸せに天国に行ける様、研鑽に励まれることを願って止みません。益々のご活躍をお祈りしています。
読んでいたら
「(目が見えないのは)神様は、私を不正行為のできない存在にしてくれたのだ、と考えることにしました」
と、弱視の方が語っていました
詩と言わんとすることとちょっと違うかも
しれませんが…
今就職活動中ですが、askした道ではなく
hopeした方向に進むのかな、という感じが
しています
この時期にまたこの詩を目にできて
ちょっと嬉しいです
>緩和ケア行きは「死刑執行台」行きに値します。がん患者にとってこれほど怖いものはなく、末期になると緩和に行くか治験をやるか迫られ、死刑台行きは嫌だから「治験」を選択する。結局ボロボロになって病院を追い出され、
はかりしれない悲しみを感じます。
帰国して日本の緩和ケア病棟に勤務を始めた15年前、国内の緩和ケアは、がん治療の継続が困難となった患者さんのための緩和ケア病棟に限定されて提供されていました。当時の患者さんたちは、緩和ケアへ進まないためにをスローガンのように励まし合っていました。
でも、そのような時代はとうに過ぎ去ったと思っていました。
がん治療と緩和ケアを並行して受けた患者さんは、がん治療のみ受けた患者さんより生命予後が延長したという論文がNEJに掲載された時代です。
あえていうなら、がん治療の継続が困難になった次のステップは、Best supportive care (BSC)という言葉を使うことが主流になりつつあります。
どのように啓発・啓蒙活動をしていけばよいのか、予想をはるかにしのぐ問題の大きさに、立ちすくみ、戸惑っています。
ここにお書きくださり、心から感謝しています。率直にお書きくださったことで、直接は見えていなかったことに気づかせていただくことができました。次にできることを探していきたいと思います。
他のものを読んでいて、無意識の内にあった詩から語りかけられていたことが、ふと意識にあがってくる・・とても、根源的なものを感じます。
そんな体験を読ませていただき、心に温かさを覚えました。
hopeの道が近づいてきますように。
この詩は、雨の日も晴れの日も越えてきたからこそ、共鳴するのだろうと思います。
素敵な道を歩まれてきたこと、これからも歩んで行かれますことを祈っています。
ブログを続ける意味を与えてくださるコメント、本当にありがとうございました。
再掲載、ありがとうございます。
優しさと力をくれる言葉でした。
先生のような方の元で過ごせる患者さんは幸せだと思います。
私は、「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に出会った時から、今、ここに自分がいるということ自体が、目に見えない何かの力によるものだと思うようになりました。
不満をもつのではなく、前向きに上手に受け入れ、その場所でできることをしながら一生懸命過ごし、
そして、周囲にいる人と様々な出来事や想いを分かち合える人間になりたいです。
先生のブログに出会えたことも大きなご縁、これからもどうぞ宜しくお願い致します。
シェア、もちろんです!
丁寧にコメントに一言残して下さり、心から感謝です!!
aruga
渡辺和子さんの素敵な言葉もご紹介下さり、合わせて感謝です。
学長をされていたノートルダム聖心女子大は私の生まれ故郷にあり、折に触れ思い出す言葉の一つです。
m-tamagoさんから頂く言葉の数々は、明日の力を与えてくださっていて、こちらこそ、この繋がりに唯々感謝で一杯です。
ありがとうございます!!
aruga
ありがとうございます。
この記事を拝見して、ニーバーの祈りを思い出しました。
ニーバーの祈り↓
http://www.gajapan.jp/jicsp-sp.html
今晩、布団に連れてきた本にちょうど載っているラスクリハビリテーション研究所のロビーにかかげられてる有名な詩!ブログにも書いてあって、これはシンクロでしょうか。とっても嬉しいです!
星野富弘さんの詩が
私の中で重なりました
思い出させて頂き有難う御座居ます✨🙏✨
いつも繋がっていてくださり、本当にありがとうございます。
今日も、温かなコメント、ありがとうございます!
二ーバーの祈り・・
若手の不満を聞いて、”変えられることは、あなたも変える努力しようよ!!”といって、一節を引用したことに、汗・・
aruga
お訪ねくださり、また、優しいコメント頂き、本当にありがとうございます!!
有名な詩ですから、色々なところで引用されていますね。
コロナ禍が影響しているのかもしれません。
aruga
お訪ね下さり、そして、コメントを残して下さり、ありがとうございます。
望んだこと、失ったこと、その中で見出したもの、多くの人に共通したものなのでしょう。そして、読み手の私達も、共鳴するのだろうと思います。
気づきのきっかけを下さり、ありがとうございました!
aruga
https://blog.goo.ne.jp/kinpatkibun/e/efe6a80390202b65761a40b41fdc400e
こちらこそ、ありがとうございます。
ブログ、訪問させて頂きました!!
aruga
先生のこの記事は、奇しくも私の誕生日にアップされていたのですね。
今日一週間遅れの誕生日プレゼントのような思いで拝読させていただきました。
年の初めに体調を崩して、かかりつけがまだお休みの日に初めてのクリニックで、とても傷つく事を言われて悶々としていました。
病気になったことが悔しい。惨めだ。
そんな思いを抱えて一ヶ月が過ぎ、この詩と出会いました。
近いうちに私のブログでも詩をシェアさせていだたきたいと思います。
実は今日、その嫌な経験をブログに書こうかと思っていたのですが、他の話題を選んだところでした。
これもまた、タイミング、だったのだと感じます。
私は先生のようなお医者様と出会いたかったですが、ブログを通してでも、ご縁があって幸せなことです。
ありがとうございます。
コメントが長くなってすいません。
2月6日、お誕生日でしたか。
おめでとうございます! また、1年、素敵な時間となりますように!!
それにしても、医療者によって、お辛い時間を過ごされたとのこと。本当に申し訳ないかぎりです。何があったのだろうと想いを馳せています。
一方で、そうした中にあっても、この詩やこの場を温かに見守って下さり、感謝で一杯です。
詩のシェア、よいタイミングで是非、お願いいたします。
この詩が多くの方の支えになる機会を頂けるのは、本当にありがたいことです。
aruga