緩和ケア医の日々所感

日常の中でがんや疾病を生きることを考えていきたいなあと思っています

切迫流産を思い出して・・

2012年03月11日 | 家族

(写真は、長男5歳、次男3歳の時)

今日、私のキャリアパスについて話させて頂く機会を頂いておりました。

話を組み立てながらすっかり忘れていたことを、思い出していました。


長男が1歳を過ぎ、2人目を生むならそろそろと思いながら、臨床には戻らず学位論文につながる実験を始める準備をしていました。そして、次男を妊娠しました。

長男を連れて、近所のとても綺麗な桜を見に行き、不正出血に気づきました。
切迫流産でした。(切迫流産とは、流産してしまったことではなく、しそうな状態をさします)

医師から絶対安静だと言われ、1週間ゴールデンウイークに入院となりました。
トイレ以外はベットから出てはいけないと言われました。
私は、混乱していました。
同僚は、新たな治療に取り組んでいるなど誇らしげに話し、取り残されそうな自分に言い聞かせ、何とか学位をとろうともがき、やっと始めた実験に、何をやっても自分は前に進めない・・・そんな気持ちになっていました。そして、切迫流産は自分のせいだと責め続けている自分がいました。

幸い出血はすぐにとまり、リスクはあるけれど、まあいいんじゃないと主治医言われ、退院の準備をしようと思った時でした。ナースステーションで、私が卒業した大学の産婦人科の講師にばったり出会いました。懐かしさで心の糸が切れ、切迫流産で入院していることを矢継ぎ早に話したことを思い出します。

その先生は、微笑みながら、7~8週くらいの時期は花冷えといって胎盤が子宮に根をはる時期だから切迫ではなく出血することもあること、もしそうでなかったとしても、母体の問題だけではなく流産することもあり、大事にし過ぎることはないことを話してくれました。この後者は、児の遺伝子の問題などを指しており、生まれる運命もあれば、流産することも自然な運命であることと理解しました。

全身から力が抜けていくようでした。
自分のせいだけではない、
このまま気をつけながら続けていいんだ・・
そう思えたときから、お腹から、
「お母さん、大丈夫だから。しっかりしがみついてるから。大丈夫。がんばって」
そんな応援を感じました。

実験を続け、座ってできることを予定日数日前まで行っていました。
さすがにそろそろ休もうと思い、ラボのスタッフに産休に入ることを伝えたその日の明け方、陣痛が来て、生まれました。
20年前の11月23日の早朝、とてもよい天気でした。

出産のとき、胎盤が剥がれづらく600ml程度の出血があったようでしたが、鉄剤を飲んでいたためか、ヘモグロビンがたいして下がることもなく、退院しました。
やっぱり、切迫流産で剥がれそうになっていたため癒着していたのだろうと思いました。
子供は元気でした。




その時、お腹の赤ちゃんにも、支えられ、励まされたことを今改めて想いだしました。
本当に沢山の方々に支えられてきました。

今日のセミナーにお招きくださった関係者の皆様に心から感謝しています。
参加者の多くの方に、大丈夫なんだ・・何とかなるんだ・・と言っていただき
肯定的な言葉に、さらに、ここでも支えらていることに気づきました。

沢山の女性医師ががんばっています。
男性医師も自分の生活に目をきちんと向けています。
心から、応援していきたいと思っています。


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16 コメント

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rosaさん (aruga)
2012-12-16 17:11:30
関係性を保ちながら生きていくことは、単純なことではないことを思い起こさせてくださるコメントでした。
そこには、様々な感情がまとわりついています。
今、日本は超高齢化社会に入ろうとしていて、沢山の在宅訪問歯科診療を待っている高齢者がいらっしゃいます。
お子さんが母親の手をそう必要としなくなるのに、あまり時間は必要ない年齢に差し掛かられているように思います。早い時期にお子さんを出産された強みだなあと思います。後数年今の選択を充実させられたころ、他の人にはないその背景に、社会から必要とされ、十分社会に還元できるだけの時間的な余裕が感じられる時期が来ると思います。
きっと、その時、お子さんにために我慢したはずの事が、自分にとって必然だったと思われるのではないかと思います。

女性が本当の意味で働き続けられるのは、社会からの求めに答えられる力をどれだけ蓄えられているかということだと思います。辛い時、我慢の時に、蓄えたものは、後で驚くほど力を発揮してくれます。

rosaさんの見えないものを探索されている文面にとても、心は熱く感じました。
大丈夫です。
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自分ひとりではないと、、、 (rosa)
2012-12-11 02:15:00
先日有賀先生のfacebookに入れていただきました。改めてありがとうございました。私は37才で今年17歳になる息子を出産しました。翌年、主人の勤務で息子が5ヶ月のときにアメリカへ渡ったのですが、その後約10年は息子を連れ日本の実家で歯科医として働いていました。小学校3年になった息子から父親と一緒に生活したい、アメリカで勉強したいという希望から8年前にこちらに戻ったのですが、何十年も歯科医として仕事をしてきた私には、こちらでライセンスもなく何もできない自分をもてあまし、辛かった日々を思い出します。同職の友人たちは開業も順調で、アメリカで遊んでいるんだろうという心ない同僚の話に辟易したり、、、。今は一年に数回日本に戻り実家の歯科医院を手伝っています。仕事と自分のはざまに悩まされた10年でしたが、今やっと今後の自分の方向に目を向けられてきたのかな、という印象です。年齢は関係ないという主人の後押しもあって、以前から興味のあった老齢学を大学院で勉強し始めていますが、入学に一番喜んでくれたのは息子でした。小さい頃から白衣を着て仕事をする私の後ろ姿ばかりを見て来た息子には、母親が毎日悶々とする姿を見るのが辛かったと思います。あなた達のために、私はここ(アメリカ)にいなければならない!なんてひどい事を言ったこともありますし、、、。そういう私がたとえ歯科専門の分野でなくても、何かに集中し向っている姿は(息子は)誇らしいと思ってくれているようです。今更ながら、歯科以外の知識の乏しさに頭を抱え、それでも新しい事を知る驚きもあり、これも自分の人生の一部なのだとしみじみ思っています。老齢学のコースも始まって3ヶ月、そしてもうすぐ一つのクラスが終わりますが、この間、3年前に他界した父と87才で健在の母と一緒に学んで来たような気がします。歯科から離れた10年が無駄ではなかったのかも、、、そう自分に言い聞かせながらの毎日です。有賀先生のブログを通して、お互いがケアしケアされている、そう感じざるを得ません。
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hanaさん (aruga)
2012-04-15 22:53:45
hanaさんと私は同じくらいの年代なのですね。
経済学がご専門なのですね。

政府の審議会は御用学者が長となった集まりであることは周知のことと思います。つまり、政府の方針にyesと言って後押しをする会議ですから、例外はあるでしょうが、個々に多くは求められてはいない会議が多いのでないでしょうか。女性を含めることに意味を置いていることもしかりです。

国直下の施設に勤務していた時は、口の多いできる女性より、何もしない男性の方が価値があるとあからさまに言われました。
これが数年前のことですから、20年以上前に、こうした人たちが設定した会議の裏側はもっと激しい時代だったと思います。

そのような時に、形だけと感じられたかもしれませんが、表舞台に引っ張られたことには意味があったように思えてなりません。
それに加えて、1歳の第二子の方の切迫流産を乗り越えられ、その方はhanaさんの専門とされる分野に進まれているという結果が語っているように思います。

失望とは、望みを持っていたことを意味します。国の会議にお子さんとの時間や労力を注いだことが無になったと感じられるのかもしれません。そもそも国の会議には望みをもってはいけないものだったのかもしれません。そういうものなのだと思います。そんなことに、お子さんを犠牲にしてしまったのか・・・と思われるかもしれませんが、もし、そうだったら、お子さんは、経済学の道を選ばなかったかもしれません。反面教師として選んだとしても、それには意味があるように思います。

よくわからず、書き進めてしまいましたが、hanaさんの高い能力に敬服します。そして、同じ時代に、同時にもがきつつ今に繋がっていることに、同志として誇らしく思うのです。
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Unknown (hana)
2012-04-15 16:28:37
有賀先生、
 お久しぶりです。先生のサイト、今も時に拝見し、おおいに力づけられております。
 私も第2子は切迫流産で、実は2度も入院いたしました。無事に生まれてくれるのか、と懸念し、病院のベッドでずっと祈っておりました。その子が無事に今は大学2年生です。しかも私の専門と同じ経済学を勉強しています。神様に深く感謝しています。
 でも、他人からどう見えるかは別として自己評価では、自分がいい形で仕事と家庭の両立をできた女性の事例だとは到底思えません。娘もそうは思っていないでしょう。大学教員になった時には、第2子は1歳でした。当時、おそらく女性の審議会委員割合の増加が求められていたという社会的な背景もあったのでしょうけれど、そのとたんにさまざまな公的な仕事が大波のように毎年押し寄せてきました。自分としては大変な無理をし犠牲を払ってそれをこなして乗り越えましたが、あとから考えると、別に政府が、子供のいる女性という私の意見を必要としていたわけではなく、そういうメンバーが審議会にいるという証拠のみが必要だっただけなんだと、経験の末に失望から学んで脱力しています。その当時の失望が今なお続いてしまって力が出せない自分はダメなやつだと思いますが・・・。でも、あれほど(当時の自分の立場を考えて、家庭的にはかなりの)無理をしたのが、意味がなかったということの失望からどうしても簡単には抜け出せません。そんな自分も持て余しています。その一方で、やはり変わらない社会があると、(今はほとんど政府委員をしていませんが、自分でない他の委員が委員になってもやはり政策はほとんど変わらないのだなあと)再認識、やっぱりなー、委員をやめて良かったと思わざるをえません。
 そう思いつつ、元気が出ない自分を叱咤し、有賀先生のサイトを見ています。
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yumisivaさん (aruga)
2012-04-14 21:58:55
コメントありがとうございます。
共通の悩みだなって、つくづく感じます。仕事と育児のはざまでシーソーのように揺れ動く心・・
yumisivaさんのコメントには、揺れているからこそ、優しさと温かさを感じます。
そうゆれながらも、決めるのは自分・・と責任を持つ母の姿勢って、また、凛としてきれいだなあって思います。
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ありがとうございました (yumisiva)
2012-04-09 14:51:29
先生のお話、みなさんのコメントを読ませていただいて、、、
自分も今を頑張っていこう、と思いました。
私は子持ちの薬剤師ですが、仕事も育児もなんだか中途半端な気がして、両方とももっと頑張れるんじゃないかと、いつも思っています。
仕事を頑張れば頑張る程、子供にとっては良くないんじゃないか・・・とか・・・思ってみたり。。。
でも、今のこの時期を、後で後悔しないよう、自分の思うようにやっていくしかないですね。
ありがとうございました。
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lullabyさん (aruga)
2012-03-20 23:44:54
嬉しいコメントありがとうございました。

あるがまま・・
そうなんです。

医師なりたてのころ、ICUで重症の患者を受け持っていて、医局飲み会に行けなかったとき、主任教授に
「なんで、有賀君はまだなんだ」
と言われ、同僚があわてて
「化粧を念入りにして遅れております。」
と、言ったところ
「有賀君は、あるがままがいいのにねえ」
それで、ICU治療に専念できたという逸話もありました・・・
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あるがまま (lullaby)
2012-03-18 11:44:52
素敵なお話をありがとう御座います。
いつも拝見させて頂いております。
私はついぞ女としての仕事は何もして参りませんでしたが、
先生はお母さんになられる事で本来のご自分をもう一度取り戻されたのだなと思いながら読んでいてふと先生のお名前にママを付けると

あるがまま

になることに気づきコメントさせていただきました。

今後もご健康とご活躍をお祈り申し上げます。
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わかめちゃん (aruga)
2012-03-18 03:08:44
物事には性良し悪し、幸不幸といった性質は実はなにも決まっていないのだろうと思うのです。それを体験した人の価値感で決まるものだろうと思います。
お書きくださったようなメッセージは、今だからこそ、なるほどと思えるのだろうと思います。茨の道の中では、真逆なことにとらえていたかもしれません。

素敵な視点に気づかせてくださり、本当にありがとうございました。
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くまごろうさん (aruga)
2012-03-18 03:03:05
女性の苦悩に思いを馳せてくださり、心が熱くなります。

ただ、医師のピアサポートは時に難しいようです。この会でも若い女性医師に言われました。
年上の女性医師から、自分たちは大変でもがんばって乗り越えてきた、あなたたちは甘い・・って。がんばっただけに、求めるものも多いのでしょう。私も時に、そうした感情に陥ることを自覚しています。難しいものです。
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子供からのメッセージ (わかめちゃん)
2012-03-17 13:12:09
仕事をする上で、子供がいることは、邪魔な時もあると思います。
でも子供がいることは、本当は、お母さんの仕事を後押しするためにいるのかも知れません。
11月23日生まれ。産まれてきた彼は、まさにその通りのお子さんだったのではないでしょうか。 
偶然とは言え、勤労感謝の日に生まれてきたこと、きっと何かを伝える子供からのメッセージだったのだと思います。
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相談相手 (くまごろう)
2012-03-16 23:56:57
今年に入ってから、日本女医会が、「女性医師が輝いて働くために」というテーマで、提言を含めた作文を募集していました。私は、以前に、「女性が働く事」についての研究をしていたので、私も書いてみようかなと思っていました。
学位取得とか、臨床経験を積むこととか、今は専門医を取ることでしょうか、お子さんができると誰でもあせってしまうようです。
結婚したり、子供がいなくても、悩みはいろいろあると思うのですが、同じ目線にたった相談相手がそばにいてくれると、乗り越えられる力も違うのかなと思います。
だから、「子育て」についてのブログがはやったりするのでしょうね。
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みえママさん (aruga)
2012-03-13 22:59:52
まあ、本当でしょうか。そうだったら、嬉しいなあ・・
娘さん、同じような方向に進まれていますものね。息子しかいない私としては、ちょっとうらやましい・・
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まるさん (aruga)
2012-03-13 22:57:30
育児のピークは10歳ごろでした。
生まれたころは、誰かに託すこともできたのですが、小学校高学年ごろは、母親に求められることも多く、きつかったです。
私などは、育児9、仕事1なんて時期もありました。トンネルは抜けてみて、初めて状況がわかるものですね。
自分との対話をしつつ、まるさんの幸せ探究を続けてください。

ケセラセラ・・(なんとかなるさ)です!
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母は強し (みえママ)
2012-03-12 21:08:49
子供って、親を選んでうまれてくる、と聞いたことがあります。先生の息子さんたちも、先生なら、と生まれてきてくれたんですよ、きっと。
まるさんの子供さんたちも、きっと背中をみて育っていると思いますよ。我が家の子供たちは、ほんの一部ですが、親の背中をみていて、のんびりマイペースに育ちました。私も、仕事と子育ての両立は無理かなと思いましたが、なんとかやってこれました。来年、一応子育て終了です。母は強し…です。
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がんばらねば (まる)
2012-03-11 23:21:08
先生のようにしなやかに、力強く、家庭と仕事を両立させられたらなんと素敵なのでしょう!
私はといえば、家庭も仕事も、なんだか8割で、どうにも抜けられないトンネルにいるようです。子どもが大きくなれば、きっと解決するに違いないと思いながら、必死に、男性に負けないように、子どもがいるからって負けないように、頑張ったつもりでしたが、ふりかえってみると、べつに当たり前のことをしていただけなのかな?と。ちょっぴり、虚しさにとりつかれています。
でも、自分のできる範囲で、できる限りのことをしなければならないですものね・・・・。もう少し、医師としてがんばってみようかな・・・・。
子どもに寂しい思いばかりさせているのでは?という気持ちってなかなか、なくなりません・・・。
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