マッサージをしたり、音楽をかけたり、声をかけながら
最期の2日間ずっと傍にいることができました。
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夕方の4時ごろ、顔を拭きながら母に言いました。
「お母さん、もう、いいのよ。
そろそろ、逝った方がいいよ。
おばあちゃん、待っててくれてるから。
また、会おうね」
それまで、意識が混濁していた母が
はっきりと、うなずき、「ウン」
と言ったことを覚えています。
物事には、“その時”があります。
それをなすのに、時が満ちているという感覚です。
“It's time to go.”
そういう会話でした。
それから、次第に意識も血圧も低下していきました。
夜中の2時ごろ
ベットの脇に椅子を並べていた父が
「止まった・・」
そうつぶやきました。
骨髄異型性症候群と診断され
急性白血病化していることがわかり
6ヵ月後のことでした。
母の死は私にとって大きな意味がありました。
母は、死を持って、私に、
私が日々行っている診療が
間違っていないということを教えてくれました。
症状緩和薬の使い方
死に逝こうとしている患者を見守る家族の心情
そこへの関わり
貴方は間違っていないよ
自信を持っていいのよ
そう、母は人生をかけて
私に教えてくれたように感じています。
最期の最期まで、母であり、教師でした。
母の日に寄せて・・・
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ご冥福をお祈り申し上げます。
「ねぇ、ねぇ、もう疲れちゃった?疲れたねぇ。」って主人に、耳元でささやいてしまいました。
その後すぐに、主人の呼吸が凄く浅くなり、足には、素人の私にも解るチアノーゼ状態が出て、サヨナラになってしまいました。
言わなきゃ良かった。あんな事。と今まで言えませんでした。1年以上過ぎた、今、3人の友人にしか言えませんでした。良かったのかなぁと、今でも一生の不覚・・・。でも良いのよっと友達は行ってくれているのですが・・・。
いつも電車の中で頂いたコメントを読みながら通勤しているのですが、先生の言葉に思わず涙ぐんでしまいました。周りの人はほとんど寝ていたので、よかったのですが・・・本当にありがとうございました。
ぴょんさん
よかったのかよくなかったのか・・それは、きっとぴょんさんしかわからないような気がします。それまでのお二人の歴史を知っているのは、ぴょんさんに勝る人はいないとおもいますから。
たぬくまぞうさん
そうですか、同じ骨髄異型性症候群だったのですね。ブログにお邪魔いたしました。低血糖、低体温、「どうしてこんな状態で退院させたのか」という救急の医師。大変なことでした。でも、その病態でしたらきっと苦痛はなかったと思います。痛みとせん妄と腎不全の最期だった母を思うと、もしかすると羨ましいと言ったかも知れません。