10月6日(土)は東北緩和医療研究会に
参加するため、盛岡です。
7月にも盛岡に呼んで頂いて
今回、同じ会場のアイーナです。
ちょっと嬉しい・・
プログラムを頂いたのですが
学会並みの大きな会です。
土曜日のランチョンに
「早期からの緩和ケア」と題して
他の大学病院で痛みがとれず
経口困難で衰弱されていた方に
行った疼痛・便秘治療について
WHO方式の基本に立ち戻ると
こんなにも症状が緩和できます
という解説を予定しています。
もう一つ、オピオイドローテーションが
著効した症例をあげ
オピオイドローテーションの手順と
上手く行うためのコツについて
解説したいと思っています。
先の症例は、症状が緩和されて
経口抗がん剤が開始できたのです。
是非、外科医をはじめ
がん治療現場にいる医師に
お伝えしたいと思うのですが・・
緩和医療研究会となると
急性期病院の医師は少ないかなあ・・
ご家族のがん治療。ここでシェアしてくださりありがとうございました。治療が上手く進んでいきますように。がんに関わらず、健康相談ができるかかりつけ医が見つかるといいですね。
ぴょんさん
今日は、昨日より10度位低く、盛岡はさらに涼しいようですね。羽織れるものを持って行きたいと思います。お教えくださりありがとうございました。
(母は、父の姉と一緒に行くと気を遣うので、お留守番でした)
主人と父。ダブルヘッダーでの癌患者を抱えていた時には、必死でしたが、まだまだ父が動けますので、旅行に行きたい希望がある内は、希望に添おうと考えています。
盛岡、涼しいです。1枚多めに着る物をお持ち下さい。
私の姉は、大腸癌から頸椎への骨転移があり、大変苦しんでいます。
大腸への外科手術、頸椎への放射線、抗ガン剤の投与とやってきて、頸椎への癌そのものはだいぶ小さくなっているのですが、首に対しての不安が大きく、先日、手持ちの薬を大量に飲みました。
ICUで一晩過ごし、今はどうにか家で過ごしております。
骨転移が発見されたのは、大腸癌の手術から6日程の時でした。放射線治療と、首への装具をつけることとなり、背中の痛みを強く訴える姉に対し、オキシコンチンノ投与が始まりました。麻薬であるという説明があり、今は始めから使えるということも医師から伝えられたようですが、麻薬=末期という公式が姉にはあったようです。
私には、急性期病院の若い医師たちは患部のみしか見ていないように感じました。首への装具に対して私は無用と訴え、外科の医師は保身かもしれないと言ってくれましたが、整形の医師には届きませんでした。一度つけてしまえば、首の筋肉はあっというに落ち、本人も装具なしでは不安になるという状態に陥りました。
とはいえ、退院してしまうと、一緒に暮らしていない私は、姉のことは考えつつも、抗ガン剤治療のため入院するとき以外、何もしないで過ごしました。
折しも、ついこの間、私はある学会で緩和ケアが癌の極初期からあるべきものと知りました。
そして、救急車騒動です。その後、私ができたことは、緩和ケアを考えているペインクリニックにどうにか連れて行くこと。1時間弱のカウンセリングを受け、「よく寝れて、心に活力がでる薬」を処方してもらい、「来られたら一週間に一度位、いらっしゃい」と言われ帰りました。
そして、今、ドクターショッピングが始まりました。
だらだらと綴ってしまいました。
私がコメントしたいと思ったのは、
急性期病院のすべての医に、緩和ケアについて知識を深めてほしいと、思ったからです。
全人的なケアがどこでも受けられないものかと。
先生のようなドクターがたくさんになることを願っています。
夫の2度のがん治療の際、夫は幸い抗がん剤では多少の不快感はあってもご飯も食べれましたしおう吐も一度もないというありがたい体質でしたが、中にはあまりの辛さで「もう2度といや、再発したら死を選ぶかも」とおっしゃる方もいらっしゃいました。
生きる為の治療中に死んだ方がましと思うほど辛い方には先生の処方があればどんなにいいだろう・・とこのブログに出会ってから何度も思っております。
先生のご活躍を癌を抱える家族としても心から感謝し応援(?適切な表現がでません)しております。
ちなみに夫は初発の外科手術後の晩は痛みを訴え大変でした。はじめはそれなりに優しく接していたのですがあまりにも弱弱だったので「痛いとは思う!でもお産もとんでもなく痛いのよ!あなたはさっき痛み止め入れてもらったけどお産なんてそれもないの!私はそれを3回も耐えたの!君はまだ1回!がんばりなさい!」と一喝してしまった怖い妻です(笑)