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30年くらい前のこと・・
大切な大人を亡くした子供たちのサポートグループに私はボランティアで参加していました。
ある日のグループワークのテーマは
亡くなった人の絵を描いてみようというものでした。
トレーニングを受けたファシリテーターが参加した子供一人に一人ずつつきます。
その日、私は10歳位のみほちゃんの担当でした。
最初の輪になったセッション。
そしてグループワークと続きます。
でも、ワークへの参加は必須ではありません。
あくまでも参加者の子供たちの気持ちを大切にしていきます。
隣に座った私は
じっと止まって
動かないみほちゃんに
ゆっくりと話かけました。
「どんな気持ちかなあ・・」
「だって、お父さんの顔知らないんだもん。描けないよ」
「そっか、顔知らないんだね」
「お母さんね、写真とか、全部しまっちゃったんだ。
昔はあったような気がするんだけどね」
「お母さん、どうしてしまったのかなあ」
「・・・・・きっとね、お母さん、辛かったんだと思う」
「お母さん、辛かったんだ。
・・・・みほちゃんも?」
「そうだねぇ、よくわからない・・」
「お母さん、普段はどうしてるの?」
「絵を描いてる。 えっとね、絵本描いてるんだ・・」
「絵本描いてるの? わ~、どんな絵なのかなあ」
「描けないよ」と言ったみほちゃんの手は、こうした会話の間も、しばらく止まったままでした。
でも、絵を描くことが目的ではありませんから、描けないみほちゃんをまるごと受け止める・・それが大切です。
写真を目のつくところに出さなかったお母さん、そのお母さんの辛さをみほちゃんは感じていました。
お父さんの顔を思い出せないと言葉にしてくれたみほちゃん。
ただ、ただ、時間を一緒に過ごしていました。
そして、
急に、
クレヨンをもって
みほちゃんは、蝸牛の絵を描き始めました。
(つづきます)
2018年の記事をベースに加筆したものです。
StockSnapによるPixabayからの画像
みほちゃんの笑顔とお母さんの笑顔が思い浮かぶようです。心理学を学んだ友人から「子供は7歳で死というものを理解する」と教えてもらった事があります。
2歳でお父さんを急な出来事で亡くし、3年生になったみほちゃんが有賀先生と出会えた事に私も嬉しくなりました。
みほちゃんのお母さんはご主人を見送り、幼いお二人のお子さまを抱えてどんなにかお辛い日をお過ごしになられた事かと思います。
そんな中で、みほちゃんの変化にお母さんの悲しみも一緒に癒されていったのではないかと拝読して思いました。
「これ有賀さんにあげる。持っていてほしい」と絵のプレゼント。みほちゃんの有賀先生へのありがとうの気持ちがたくさん込められた言葉だと思いました。
心に温かさが廻るようなコメント、本当にありがとうございます。
これは、もう10年以上前の出来事でしたが、今の私の礎になっています。
グリーフワークは連鎖するものだなあと思います。お書きくださいましたが、正の連鎖を感じます。そして、頂いたコメントに、また私は力をもらいました。
今なお、心を太くしてくれるこの出来事に感謝です。
そして…。私が癌宣告されました。未だ精査中でグレードはわからないけど、クラスはU+2164。
どんな結果であれ、子供達に伝えないといけないと思っています。わかっています。
でも…やっぱり足踏みしてしまう自分もいます。
二人に一人ががんに罹患すると言われる現在、私自身、何度か疑い、検査を受けたこともあります。漠然とどこか例外と思っているところがありましたが、頂いたコメントに、襟を正した思いです。
大切なことをここにシェアしてくださり、本当に、ありがとうございました。
検査、治療がより良い状況で進んでいきますように。思いを馳せながら。