次のような事例(仮想症例です)について、
医療やケアはどのような組み立てとしてとらえるか、
考えてみたいと思います。
60代の肺がんの男性。
病院に入院して、抗がん剤投与を受けていました。抗がん剤の副作用を緩和する治療(支持療法)もおこなわれましたが倦怠感や食欲不振は強く、治療の限界であることが指摘され、抗がん剤を終了することになりました。終了後、しばらく副作用に対する治療は継続されました。この間、がん治療医はご本人、ご家族に病状説明を行い、病院の入院継続、自宅での療養などの選択について話合いました。ご本人は自宅に帰りたいという意思を示し、退院し、在宅医療が導入されました。在宅訪問医は症状緩和やコミュニケーションのスキルが高く、安定した在宅療養ができています。また、訪問看護も導入され、ご家族の支援も続けられたことによって、介護不安は次第に少なくなっていきました。
こうした事例を、一部の方は、
がん治療 vs 緩和ケア
病院で、がん治療
これをやめる決断をして
自宅で、緩和ケアを
受けていると
捉えるようです。
しかし、それは、間違いです。
この患者さんは、抗がん治療を実施するために、
病院に入院していました。
がん治療医は、
抗がん治療と並行して、
副作用の対策をはじめ、
患者さんが少しでも楽に過ごせるように
薬剤調整も心理的な支援も行っています。
がん治療医は、
外来で患者さんを診察するときに、
調子はどうですか?と聞きます。
患者さんが悩まされている
症状がでていないか
尋ねています。
楽に生活していくために、
何かできることはないか考えることは、
緩和ケアです。
がん治療医は、抗がん治療を行いながら
緩和ケア的診療を並行させています。
「抗がん剤の副作用を緩和する治療(支持療法)」も
緩和ケアの一つです。
「倦怠感や食欲不振は強く、治療の限界であることが指摘され、抗がん剤を終了することなりました。」
ここで抗がん治療は終了しました。
その後、「しばらく副作用に対する治療は継続されました。」
抗がん治療を終了した後も、
副作用の治療、つまり、緩和ケアは継続されています。
「がん治療医はご本人、ご家族に病状説明を行い」
この病状説明は、抗がん治療の一部でもあり、
心理支援に繋がる緩和ケアの要素も含んでいます。
「病院の入院継続、自宅での療養などの選択について話合いました。」
療養の場の選択支援は
緩和ケアの要素の一つです。
広く、将来の意思決定支援としても、
大切なことです。
「在宅医療が導入されました。」
自宅に退院するときに、
在宅訪問医を導入したり、
訪問看護を依頼したりします。
こうした医療連携も医療連携担当窓口や
ソーシャルワーカーさんなど多職種が関与する
チーム医療であり、緩和ケア的な要素です。
つまり、この肺がんの患者さんは、
抗がん治療を行いながら、
ずっと緩和ケアを主治医や多職種チームで
受けていたことがわかります。
ですから、病院=がん治療
自宅の在宅訪問医療=緩和ケア
というのは、違っていることはご理解頂けるでしょう。
また、この肺がん患者さんが受けていた緩和ケアは
けして、終末期医療としてのケアではないことも
ご理解頂けるでしょう。
医療は、とても複雑です。
こういうがん治療と緩和ケアの構造は
大したことではないと思われるかもしれません。
でも、ここをご理解いただけないと、
がん治療医による支援を受けているという実感を持てなかったり、
緩和ケアは終末期医療、だから、自宅に帰るのは
あきらめた医療などといったイメージを持つことによって、
患者さんは、本当に大切にしたいことをイメージによって、
大切にできなくなってしまうことがあるのです。
これでよかったと思える選択を支援するには、
社会が医療構造を理解して、
患者さんやご家族を心理的にも支えることは大切なのです。
先日、NHKで緩和ケアを取り上げられました。
取材されているVTRは
事実のままなのでよいのですが、
(上記の仮想症例は、TVとは関係のないものです。)
台本に書かれた解釈は
がん治療が終わったら、緩和ケアでした。
直前に、専門家の立場として意見を述べてほしいと出演依頼され、
前日の夕方、送られてきた台本に対し、問題点をメールしましたが、
十数時間ほどで始まった生放送の中で修正していただくことも
台本には入れてもらっていた最後にコメントも
述べさせていただくこともできませんでした。
私は、いったい何のために依頼されたのか・・
緩和ケアに従事している皆さん、本当にごめんなさい。
関わっていながら、修正することはできませんでした。
多くの時間とエネルギーを使い
コツコツ普及活動を続けてきたのに、
この出来事で、明らかに後退させてしまいました。
医学的なことには、監修がなされます。
でも、こうした理念的なことに対する危機感は
マスコミには、ないことを知りました。
終わった後にかけられた言葉・・
沢山のファックスとメールが届いています。
注目されたことに意味があります。
ここにも強い危機感はありませんでした・・
(ここ数日は、気持ちが整理できずおりました。
ここに書くことも、エネルギーがいりました。
しばらく後には、後半は削除させて頂くかもしれません。
その時は、お許しください)
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私も緩和医療医(まだ未熟ですが・・)として残念でした。
先生もおつらい思いをされただろうなと見ていて思いました。
一方で緩和ケアという概念が浸透するにはアイドルの方が関わることも大事なのかなとも思いました。
先生おつかれさまでした。
肺がんの治療で化学療法を受けております40代の女性です。
こちらのブログの存在を知るまでは、【化学療法=辛い副作用があっても当たり前、それを乗り越えられる体力を落とさないようにすることが大事】だと思っておりました。投薬前に主治医や薬剤師から副作用についての説明はありますが、「それらを緩和する手段があること」の説明は受けません。ですから吐き気についても、投薬時の予防点滴とそれ以後の内服薬一種類以外の知識は私にはなく、「こんなに気分が悪くても仕方がないんだ。そういうものなんだ。」と過ごして参りました。筋肉痛や関節痛についてはひたすら我慢するものだと諦めていた次第です。訴えたことはありますが、「そうですか。その内治まります。」でした。
私は都内の大学病院で診て頂いておりますが、緩和ケアに関しては科としては存在しておらず、グループとしての存在がホームページに掲載されております。私は原発を抱えたエンドレスの化学療法生活です。今後の生活が少しでも快適になる様に緩和の先生にご相談してみたいと思っておりますが、今まで副作用についてもそれほどは考慮されない主治医の先生に、先生の気分を害することなく、何と言って緩和の話をすれば良いのか迷っております。主治医の先生(外科)とは良好な関係だと思います。
私なんか、ボキャブラリーがなく、おバカなので、苦労してます。
先生、これからも、いろいろ勉強させてくださいね。その前に、まずは、日本語からかなぁ~
英国では、緩和ケアに取り組む施設には、王室を挙げて応援があります。キャサリン妃がパパラッチにプライベート写真を公開された直後に、印象の回復にBBCが持ってきたニュースは、ホスピスの慈善訪問でした。
優しさにあふれたコメントに心が緩み、溜息がでます・・・
色々な出来事があっても、頑張り続ける意味があるということですね。
私たち専門的に取り組んでいるものだけではない緩和ケアとして、すそ野を広げていくためにも、どうぞ、お力をお貸しください。
病棟ラウンドも始めますので・・・
互いのギャップの中で、患者さんも辛いことは辛いと、困ったことは困っていると伝えることも大切なことですし、そうできる関係をつくっていくことが医療者の役割でもあります。困ったことを困ったというと、気分を害するとは、双方ともに困った関係だと感じました。
頂いたコメントは、がん治療現場のよくある問題を丁寧にお伝え頂いていると感じます。
パターナリズムから脱していない現状を医療者も患者さんたちも、意識し、成長しなければいけないと思います。
率直なコメント、本当にありがとうございました。
緩和ケアは、表現の仕方や解釈に留まらない、複雑な要素が沢山あることを、今回のことで、さらに実感しました。
大学を出てすぐは、外科に所属していました。外科は、わかりやすい医療で、若いペーペーだった自分でも、がんばった分は患者さん方には感謝されました。感謝されるために医療に取り組んでいるわけではないですが、単純に役に立てたと感じました。
緩和ケアを受けるにも言い出せないと患者さん達・・
緩和医療に携わっていて、悪いことをしているわけではないのに、どうしてこんなにも苦労するんだろう・・と、昔と比較してしまいます・・。
緩和ケア病棟やチームから、担当者が退職するため人材はいないかと問い合わせをもらうことがあります。専門的(専従的)に取り組む緩和ケアが医療崩壊しないか危惧することもあります。
これを、どう進めていくか、諦めず、悩んでみます。
あの番組を拝見しておりました。最後に先生のコメントの時間がなかったことは、とても残念でした。
あの番組は、緩和ケアの今を映すというより、緩和ケアを受けられているターミナルケアの患者さんやご家族の心情を映し、櫻井さん(一般の緩和ケアを知らない方)の目を通して感想を述べる番組でしたね。
先生のお悔しいご心情をお察しいたします。
緩和ケアという言葉は、浸透してきていても、緩和ケアとは何か?は、またまだ医療者の間でさえ、不十分です。
先生の尽力を惜しまない普及活動には、本当に頭が下がります。このブログもその一部だと思うのですが、私はこのブログから「緩和の心」を学びました。
ブログに出会ったのは、最初のホスピスを辞めてしばらくした後でした。現場で肌で感じて学んだだけでは足りなかったもの、心の中で感じていながら言語化できていなかったもの等を、先生の文章から学ばせて頂きました。
先生の文章は、静かな湖のような空気感があって、先生の文章を読んでいると、心に静けさと情熱が戻ってくることが多くありました。仕事に疲れている時ほど、訪問させて頂いておりました。
私事ですが、先日2つ目のホスピスを体調を崩して退職いたしました。ホスピスナースとして働くことは諦めましたが、緩和ケアはどこでもできると奮い立たせています。大きく広げれば、がんではなくても、すべての患者さんへのケアは、緩和ケアが含まれますよね。
先生を緩和ケア医としてはもちろん、一人の家庭を持ちながら働く女性として、心から尊敬しております。
大変なことも多いかと思いますが、今後とものご活躍をお祈り致しております。
長文をお読み下さり、ありがとうございました。
書き続けていてよかった・・
心からそう感じました。
>仕事に疲れている時ほど、訪問させて頂いておりました。
本当に、ありがたい言葉でした。
何度も、何度も反芻しています。
お書きくださっているとおり、緩和ケアはマインドです。
どこでも、どのような場面でも、医療人の心の根底にあるものです。自分の感情から出て、他者の気持ちに触れようとする心・・
ですから、本当に疲弊します。
私は、同業者には厳しく、尊敬に値するほど人格者でもありません。でも、こうしてコメントを頂くと、本当に、素直に嬉しいのです。
ありがとうございました。
このTVのことも大切にして、一歩前に進んでいけそうです。