緩和ケア医の日々所感

日常の中でがんや疾病を生きることを考えていきたいなあと思っています

母が娘に託したこと

2009年12月27日 | 医療

エレベーターホールで待っていた時のこと。
ある方から、外線電話が入りました。

「・・・子供たちへのケアの問題点は?」


唐突な質問に、躊躇しながら短い時間ではありましたが、
話をしました。
でも、上手く伝わっていないように感じました。



これが、今回、数回にわたって記事を書いているきっかけでした・・・







前回書かせて頂いた
10年来、娘さんに病気について触れてきたという患者さん。

体が苦しくなった時、眠るということについて話し合いました。

娘さんに、3割のバトンを渡したとお話しくださっていました。



残り7割は、まだ渡せていないことをどのように感じていらっしゃるのか・・
体の苦痛を緩和させるための眠るということが、
渡しきらないままで、心は痛くさせてしまわないのだろうか・・

私の中には、同じ母親として、素直な疑問がありました。




こんな風に話してくださいました。







3割といっても、いくらか種を蒔いていると思っています。
だから、今は3割でも、それはきっと段々と芽を出して
5割、7割と私が渡したかったバトンは私が亡くなってからも
増えていってくれることと思っています。

今、私は子供達に何もしてやれなくなったと感じていました。
ただ、もう少し、役割があることに気づきました。
見守るということです。

でも、そう長く見守ってやれないような気がしています。

体が辛くなった時は、眠りながら過ごさせてください。

でも、そのことは、終わりを意味しているわけではないのです。
今度は、子供達が私を見守ってくれると思います。

私は、眠っていても、子供達にメッセージを送り続けることができると思っています。

命の大切さ、生き抜くことの難しさ・・
きっと、子供達は話ができなくなった私からも
感じ取ってくれると思っています。



微笑みながら、
私にとっては、死を経験するのは初めての出来事ですけれど。
と付け加えられました。








今まで、何人もの方々と、
最期の過ごし方や、その意味を時間をかけて話し合ってきました。
多くの対話から得たこと。

それと、同じ方向を、この方も向いらっしゃいました。

でも、こんな風に、患者さんの方からお話しくださったことはありませんでした。





居なくなった後も、
娘さんの心の中で、種は芽となり、やがて花をさかせるという話は、
単にバトンを渡すにとどまらない
いのちの継続を意味していました。

死を直前にしても、メッセージを送ることができ
子供達はそれをキャッチすることができるとゆるぎない言葉で締めくくられたことは
なんという家族の絆の太さであろうかと
ただ、ただ、反芻し続けていました。



子供たちへのケア・・・

子供たちへ病名や病状を伝える意味。

それを、物語るような出来事でした。

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4 コメント

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難しいです… (eu_ko)
2009-12-28 00:16:01
そんな風に、自分からお話をできるくらいになる方もいらっしゃるんですね…。
いま正にそういうシチュエーションにある方と関わっているので、
いろいろと噛み締めながら読みました。
まだまだ自分が未熟で、どこまで患者さん達の力になれるだろうと日々反省しながらやっています。
いきなりできるようにはならないでしょうから、少しずつ頑張るしかないのですが。
返信する
eu_koさん (aruga)
2009-12-31 21:25:34
心が温かになり、ぎゅっと強くなるコメント、本当にありがとうございます。

私達が取り組むことには、本当に難しいことが多いと思います。
何となくやり過ごしてしまったり、無関心だったりではなく、eu_koさんが、どこまで力になれるだろう・・と悩みながら傍にいらっしゃること。そこに大きな意味を感じます。
返信する
はじめまして。 (ペコ)
2010-01-12 17:14:34
はじめまして。
だいぶん前からブログを読ませていただいておりました、
ペコと申します。
私の母は、60歳で3年前に他界しました。
病気がわかった時は、既に遅く、親族の反対もありましたが、母親と家族の意向で、手術はせず、最後の2週間は、
ホスピスでお世話になりました。
決して私に弱音をはかず、最後まで親でいようとした
母親の苦痛を和らげていただいたことは、
母親はもちろんの事、この先も母親の面影を思い出すであろう家族にとって、どれだけ救いになったかわかりません。
おかげさまで、最後まで、病人としてではなく、
母親と娘でいることができました。

J-POPですが「花の匂い」という曲があります。
その歌詞の中に、
「届けたい 届けたい 届くはずのない声だとしても あなたに届けたい
「ありがとう」 「さよなら」言葉では 言い尽くせないけど
この胸に溢れてる..
信じたい 信じたい 誰の命も また誰かを輝かすための光..
どんな悲劇に埋もれた場所にでも
幸せの種は 必ず植わってる
こぼれ落ちた涙が ジョウロ一杯になったら
その種に水をまこう」という詩があります。

arugaさんのブログを読ませていただいて、
この歌詞が浮かんだのですが、歌詞の感情は、
遺族側、私たちの想いだと勝手に思っていましたが、
亡くなった母も、希望を含め、同じ気持ちだったのかも
しれないと思いました。
返信する
ペコさん (aruga)
2010-01-13 00:09:58
コメントありがとうございます。

最期まで母であったお母様と、それをかなえさせて差し上げたペコさんのお話に、敬服いたします。

花の匂いという歌。
ペコさんが、お母様も同じ気持ちかもしれないと感じられた時こそ、メッセージが伝わった時だったのでしょう。

3年・・ずっと繋がっているのですね。
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