医療系Webニュースの中で
東京オリンピックで来日したメディア関係者が
Web上で体験談などを報告していることを
7月16日共同通信社の記事として配信していました。
中国の記者から
自国ではPCR(鼻)や唾液などの検体は医療従事者が採取するが、
東京オリンピックで来日したメディア関係者が
Web上で体験談などを報告していることを
7月16日共同通信社の記事として配信していました。
中国の記者から
自国ではPCR(鼻)や唾液などの検体は医療従事者が採取するが、
日本では自分で提出することに驚いた。
(日本のやり方の緩さを指摘。
一方で、ごまかせるという印象も・・)
韓国の記者から
都内ホテルに滞在。
警備員にコンビニに行くことを報告すればホテル外に出られる。
その後、どこに行くか監視する人はいない。
(日本のやり方の緩さの指摘。
そして、どこにでもいけるという印象も・・)
一方で、ごまかせるという印象も・・)
韓国の記者から
都内ホテルに滞在。
警備員にコンビニに行くことを報告すればホテル外に出られる。
その後、どこに行くか監視する人はいない。
(日本のやり方の緩さの指摘。
そして、どこにでもいけるという印象も・・)
韓国では午後6時以降3人以上の会合禁止。
東京は、緊急事態宣言下なのに人がレストランに並ぶ姿が簡単にみられる。
東京は、緊急事態宣言下なのに人がレストランに並ぶ姿が簡単にみられる。
(そもそも、日本の市民も緩いという指摘。
この状況でホテルに缶詰めになれと言われても・・)
(M3ニュース 7月16日配信 共同通信社)
(カッコ内は、私のつぶやきでであり、記事の記述ではありません)
(カッコ内は、私のつぶやきでであり、記事の記述ではありません)
穴あきバブル・・
色々なところで聞くようになりました。
国内の人々からは、
ルールを守れない海外の人々が悪い・・という風が吹いています。
バブル方式
海外では、covid-19の隔離対策の標準的な方策として
実は、バブルという言葉が用いられています。
↑
こんな記事もあります。
そもそもバブルという言葉は
社会的な小単位の隔離対策に用いています。
つまり、ロックダウンですべての動きを封じてしまうことに対し、
社会的な小単位の隔離対策に用いています。
つまり、ロックダウンですべての動きを封じてしまうことに対し、
もっと緩やかなバブル単位で接触抑制をするという方策です。
バブル内の人数のコントロールと
中の人々がバブル外でどのように活動しているか知ることが、
バブルの安全を保つのだとこの記事は言っています。
例えば、
例えば、
家族、家庭を一つのバブルとみなすのです。
大きくなると職場、合宿所などが一つのバブルになります。
数から考えれば、
一人暮らしの方が、4人暮らしより安全性は高くなります。
複数が入るバブルであれば、
仕事や学校での活動について、家庭内または個々で管理し、
バブル外部で患者が発生したら、
バブル内での手洗い、接触などをいつも以上に管理し、
2週間程度の観察重点期間を置くわけです。
このように、バブルの中を安全に保つことをバブル方式と言っているのです。
一人暮らしの方が、4人暮らしより安全性は高くなります。
複数が入るバブルであれば、
仕事や学校での活動について、家庭内または個々で管理し、
バブル外部で患者が発生したら、
バブル内での手洗い、接触などをいつも以上に管理し、
2週間程度の観察重点期間を置くわけです。
このように、バブルの中を安全に保つことをバブル方式と言っているのです。
これに対し、オリンピックは、逆です。
国外の人々をバブルの中に入れて
そのバブル外(国内の市民)を安全に保とうというイメージで
国外の人々をバブルの中に入れて
そのバブル外(国内の市民)を安全に保とうというイメージで
オリンピック開催が安全であるという広報に用いてきました。
なんだか違和感があります。
なんだか違和感があります。
ルールを守れない海外の人々が悪い・・という風
バブルに入れられたオリンピック関係者に
ルールを破ったとして責めてもバブルは不完全なのです。
冒頭のニュースは、海外記者から見た
そもそも、日本のバブルには穴が空いているという指摘のニュースです。
問題なのは、バブルというこの言葉で
安全に見せようと組織的な意図をもたらせたことでしょう。
バブルにはもう、穴が開き、リークしていることは前提として、
自分たちのバブルを保つ努力をすることで
拡大させないことに力を合わせていきましょう。
そして、都内の50~20代に早くワクチンが届きますように。
今日は、日曜日ですが、新規患者数は1008人
>国外の人々をバブルの中に入れて
>そのバブル外(国内の市民)を安全に保とうというイメージで
>オリンピック開催が安全であるという広報に用いてきました。
これは確かに違和感がありますねえ。
それに、「ルールを守れない海外の人々が悪い」というのはあきらかにおかしいですね。
そもそも、価値観や習慣なんかも大きく異なる外国人全員がルールを守ると言う前提の対策は、最初から失敗だと思います。
それを、ルールを守らない方が悪いと言うのは、対策を正当化するための言い訳に過ぎないのではないでしょうか。
まさに、我が意を得たり!です!!
さらに、日本側の対策、方法も穴だらけだと海外から指摘がされていることが、ニュースの内容なのです。
力強いコメント、ありがとうございました!!
aruga
言葉を大事に、正確に使わないのは、或る意味で日本の伝統芸でもありますが、最近は特にひどいような気がします。バブル方式の本来の意味を教えていただき、やはり言葉が軽んじられているという印象を強くしました。
ほんとうに真逆の使い方なのですね。
「組織委員会」が政府の上に君臨し、直接地方自治体や、国の行政組織などあちこちに指示をだす。しかしながら国の外のIOCに対して意見がいえない、そんな状況に思えてしまいます。
辞任した人が未だに影で操って、「歓迎会」で締めのあいさつをするという事態です。
平安・鎌倉時代の院政のような状態に思えて仕方がないです。
その「組織委員会」も全体の統括ができておらず、具体的な実行能力がかなり低い。
この国の悲しい水準・現実だと思っています。
ああ、その感じ、わかります。
院政政治・・
地位とか権力とか、それに守られたい人とか・・
コメントにうなづきながら、読ませて頂きました!
aruga
言葉のあやに振り回されないようにしなくては・・ですね。
真に大切なことを見落とさない目をもたなくてはと思います。
コメント、ありがとうございました。
aruga