【おしらせ】
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笶原神社はくろこまの自宅から徒歩10分ほどにある街中の住宅地にある神社である。式内社としての
笶原神社を他所に求める説もあるが、今回はこの笶原神社を式内社としてとりあげる。
【創建】不明
【ご祭神】天照大御神 豊受大御神 月夜見神
【社格】延喜式内小社 正三位 無格社
【境内】神明鳥居 手水舎 本殿 境内摂社など
【場所】舞鶴市紺屋町
西舞鶴の商店街である平野屋と真名井の境の道のどん突きの山裾にある。この山裾の並びには
桂林寺・本行寺・朝代神社・円隆寺などの古刹がある。
舞鶴出身の実業家有本国蔵・嘉兵衛兄弟が寄進した鳥居に架かる神額には「総社笶原魚居匏宮」
(そうじゃやはらまないひさごみや)とあり、この地が元伊勢だとする説もあるそうだ。この神額は
花山天皇の皇子にして後の白川伯王家の祖となる清仁親王の書によるとされている。魚居(まない)は
後に真名井となり、その名称はマナイ商店街に引き継がれている。
鳥居をくぐってすぐに本殿があるが、元は拝殿でその後方の山にもと本殿がある。昭和50年代前半に
山上本殿からご神体を現在の本殿に下ろし奉った。(後述する)
境内摂社に稲荷神社など。
<参拝メモ>
この神社とその後方の山は子供の頃の遊び場だった。子供の頃はここを「やはら神社」などとは呼ばずに
「神明(しんめい)さん」「神明神社」と呼び、「学校終わったら神明さんなっ!」と友達と約束して
放課後に集合したものである。この神社の裏手の石段をしばらく登ると原っぱがあり、その先に「忠魂碑」
が建っている。この原っぱが格好の遊び場で野球をしたり、忠魂碑のそばに大砲があって、その砲身に
爆竹などを入れて遊んだ思い出がある。また眼下に舞鶴湾などが見えて見晴らしも良かった。
今回、子供の時以来ほぼ20数年ぶりに神明さんの上に登った。しかしそこにはかつて遊び場とした原っぱの
面影はなく雑草は伸び放題、そして白かった忠魂碑は見るも無残に赤く錆びて残骸のような外観に鳥肌が
たつほどの不気味ささえ感じた。現在では子供はおろか大人でさえも足を踏み入れることはめったに
ないのであろう。
笶原神社の元本殿は山上にあると先述したが、くろこまは子供の頃その元本殿を見ている。元本殿は
この忠魂碑の脇にある参道を登った先にあるのだが、大きな祠程度の規模の木造建築だったと記憶している。
すでにご神体は下ろされていたので、その当時でさえ雑草の生い茂った場所にある廃社であった。
今回その元本殿にも行こうと思っていたが、その参道は草木に覆われて行く手を阻んでいるし、あたりの
不気味さにも恐れをなして行く気は早々に失せた。参道ふもとでもこのような有様なのだから、山上の
元本殿も長年の風雪に晒されて、おそらくは朽ちているのではないかと推察する。子供の頃の遊び場の
あまりの荒れ果てた変わりようにショックを受けつつ神社をあとにした。
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【創建】不明
【ご祭神】天照大御神 豊受大御神 月夜見神
【社格】延喜式内小社 正三位 無格社
【境内】神明鳥居 手水舎 本殿 境内摂社など
【場所】舞鶴市紺屋町
西舞鶴の商店街である平野屋と真名井の境の道のどん突きの山裾にある。この山裾の並びには
桂林寺・本行寺・朝代神社・円隆寺などの古刹がある。
舞鶴出身の実業家有本国蔵・嘉兵衛兄弟が寄進した鳥居に架かる神額には「総社笶原魚居匏宮」
(そうじゃやはらまないひさごみや)とあり、この地が元伊勢だとする説もあるそうだ。この神額は
花山天皇の皇子にして後の白川伯王家の祖となる清仁親王の書によるとされている。魚居(まない)は
後に真名井となり、その名称はマナイ商店街に引き継がれている。
鳥居をくぐってすぐに本殿があるが、元は拝殿でその後方の山にもと本殿がある。昭和50年代前半に
山上本殿からご神体を現在の本殿に下ろし奉った。(後述する)
境内摂社に稲荷神社など。
<参拝メモ>
この神社とその後方の山は子供の頃の遊び場だった。子供の頃はここを「やはら神社」などとは呼ばずに
「神明(しんめい)さん」「神明神社」と呼び、「学校終わったら神明さんなっ!」と友達と約束して
放課後に集合したものである。この神社の裏手の石段をしばらく登ると原っぱがあり、その先に「忠魂碑」
が建っている。この原っぱが格好の遊び場で野球をしたり、忠魂碑のそばに大砲があって、その砲身に
爆竹などを入れて遊んだ思い出がある。また眼下に舞鶴湾などが見えて見晴らしも良かった。
今回、子供の時以来ほぼ20数年ぶりに神明さんの上に登った。しかしそこにはかつて遊び場とした原っぱの
面影はなく雑草は伸び放題、そして白かった忠魂碑は見るも無残に赤く錆びて残骸のような外観に鳥肌が
たつほどの不気味ささえ感じた。現在では子供はおろか大人でさえも足を踏み入れることはめったに
ないのであろう。
笶原神社の元本殿は山上にあると先述したが、くろこまは子供の頃その元本殿を見ている。元本殿は
この忠魂碑の脇にある参道を登った先にあるのだが、大きな祠程度の規模の木造建築だったと記憶している。
すでにご神体は下ろされていたので、その当時でさえ雑草の生い茂った場所にある廃社であった。
今回その元本殿にも行こうと思っていたが、その参道は草木に覆われて行く手を阻んでいるし、あたりの
不気味さにも恐れをなして行く気は早々に失せた。参道ふもとでもこのような有様なのだから、山上の
元本殿も長年の風雪に晒されて、おそらくは朽ちているのではないかと推察する。子供の頃の遊び場の
あまりの荒れ果てた変わりようにショックを受けつつ神社をあとにした。
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母の子どもの頃はこの神社の上が遊び場で、ゲートボール場があったと言われました。
二人で上がってみましたが、枯れ葉だらけの階段、雑草が伸び放題の広場、真っ赤な忠魂碑。
(忠魂碑については、50年前は白かったのに…と母も申していました)
宮津口の寺まで続く山道があったはずなんだけど、とのことでしたが、あまりの荒れっぷりに全くわかりませんでした。
旧本殿までの参道もその中にあるのでしょうか。行けるものなら行ってみたいのですが難しそうですね。
差し支えなければ、どこから登ればよいのか教えていただければ嬉しいです。
しまい申し訳ありません。
神明さんの旧本殿への山道ですが、わたくしも数十年前の
かすかな記憶しかありませんので、今詳しくは説明
できません。おそらく写真に見える忠魂碑への石段を
あがらずに左側からのぼって道幅1mほどの山道だった
ように記憶しています。なんせ昼間でもうっそうとした
雰囲気で怖くてひとりでは無理でした。
無論、誰もおらず、一面を猪が掘り返していて歩くのも困難な状態でした。
忠魂碑はこんな色だったかと違和感を覚えましたが、記事を拝見して「ああ、そういえば白かったか」とかすかに思い出した次第です。
再整備の機会などあれば、お手伝いに参じたいものです。
はじめまして。
笶原神社は自治会が管理しているので境内も
きれいですけど、神明さんはあの荒れようですね。
いのししが生息して地面を掘りおこした跡には
気づきませんでした。現在の子供が遊ぶ場にしては
危険ですね。
以下のYouTube動画の3:00あたりから朽ち果てた建物跡が出てきます。これが元本殿跡なのでないでしょうか。
https://www.youtube.com/watch?v=H-LmhpZ4wOE