「だれでも始め立てた方針どおりに、きちんとゆくことができるか。とてもできはしまい。元来人間は、明日のことさえわからないというではないか。」(勝海舟「氷川清話」より)
勝海舟は14代将軍家茂に願い神戸海軍操練所の設立にこぎつけたことは大きな喜びであったと思いますが、普通の人であれば、念願の設立にこぎつけると守りに入ってしまうところ、勝海舟は各藩の様々な志士達を入所させて幕府に反感を持たれ閉所になってしまいます。閉所は勝海舟にとって挫折でもありましょうが、将来の日本を見据えて藩を越えた志士達の交流は、勝海舟にとってもその後と行動に大きな力を与えてくれました。閉所の後は江戸に帰って謹慎させられますが、1年半後には再び軍艦奉行として大坂に行きます。時代背景も混沌とした幕末ですから先行き不透明です。こんな勝海舟の行き方こそ先行き不透明な混沌とした現代に求められているのかもしれません。社会全体の大きな動きだけでなく私たちの一つ一つの小さな動きの中にも、その種はいっぱいまかれているような気がします。