勝海舟は明治に入ってから明治政府のお雇い外国人のホイットニー一家の住まいを自らの自宅邸内に世話します。ホイットニーの娘クララは勝海舟の息子梅太郎と結婚して嫁となります。そのクララが日本で過ごした日々を日記に書いています。その日記の中に、クララの最愛の母アンナが亡くなって悲しみのうちにあるとき、勝海舟の妻民子がクララに投げかける厳しく優しい言葉が語られています。
「神の思し召しなのですよ、ですからあなたは悲しみに負けてはいけません。あなたの涙でお母様を生き返らすことはできません。お母様はもうなんの苦痛もなく、今は幸せです。さあ元気を出して、お兄様や妹さんおためにお生きなさい。集会や学校の仕事をお続けなさい。そしてこの国で、あなたのお母様がなさっていた役を引き継いでください。悲しい時は私たちのところへいらっしゃい、いっしょに泣きましょう、そしてあなたが幸せな時はいっしょに笑いましょう。さあ勇気をお出しなさい、そしてお母様をお手本にしなさい。これから先の長い年月のことは考えず、今日という日以外には日がないと思ってただ毎日をお過ごしなさい」(「勝海舟の嫁 クララの明治日記<下>中公文庫468頁)
人に寄り添うこと、人と人との対話力の見本となる勝海舟の妻民子の言葉に反省の毎日です。