「勝っつぁんの時勢にたいする処し方を、ごく今日的に考えてみればー。体制のなかにいながら、その体制をぶっこわし、体制の枠を越えてずっと先を見通している。そしてその行動は、とうてい他人には理解できるものではなかったと思わざるをえない。伝統的な主君への忠誠の観念からすれば、畢竟、海舟は裏切り者であり、天皇にたいする新しい忠誠の立場からすれば、文句なしにかれは仇敵でしかない。そのどちらへも勝っつぁんの帰るべき場所はないのである。それゆえに海舟は天下独往していくことになるし、宙吊りの孤独に堪えねばならないのである。そのことにたいして説明のしようもない。要すれば、自分の行動自体で自分の哲学や歴史観やらを証明してみせるよりほかはなかった」(半藤一利「それからの海舟」より)
敵であろうと味方であろうとどんな人にも会い交流した勝海舟は天涯孤独であったのです。江戸城無血開城という一点を見るのではなく46歳で明治維新を迎え明治を32年生き続けた勝海舟の生き様は多くの海舟を愛するものを魅了し生き続けているのです。
敵であろうと味方であろうとどんな人にも会い交流した勝海舟は天涯孤独であったのです。江戸城無血開城という一点を見るのではなく46歳で明治維新を迎え明治を32年生き続けた勝海舟の生き様は多くの海舟を愛するものを魅了し生き続けているのです。