1万円札の顔に渋沢栄一が決まって公表されて以来、注目されていますが、実業家として紹介されているものがほとんどです。渋沢栄一は天保11年1840年に生まれ昭和6年1931年に亡くなり91年の生涯でした。確かに33歳の時大蔵省を辞めて第一国立銀行創立を皮切りに500社もの企業の創業、経営に携わりますが600もの医療・教育・国際交流団体等の社会貢献活動にも関わり東京養育院の運営には企業の役員を辞めた後も長く関わっていました。また若い頃は尊皇攘夷運動にも関わり運動に挫折すると一橋慶喜の下で働き慶喜が将軍になると幕臣としても働きました。大きな影響を受けたのは幕府のパリ万博使節団の随行員としてヨーロッパへ行き西欧文明を体験したことでしょう。徳川幕府の崩壊と共に帰国しました一時は徳川家の静岡藩で仕事をして明治政府に出仕して大蔵省に入りました。その一つ一つが渋沢栄一の存在であり時代背景に影響を受けつつも環境に順応して乗り越えてきました。渋沢栄一の著書「論語と算盤」には人間の生き方・考え方そのものが描かれています。また渋沢栄一は徳川慶喜と松平定信を尊敬し自ら「徳川慶喜公伝」と「楽翁公伝」を書いています。やはり歴史上の人物はその一生涯を見ないと本当の意味での理解は出来ません。
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