笑顔の江川

薬害エイズを考える山の手の会のご案内
薬害被害者、がん患者の支援活動
尊敬する勝海舟や田中正造のコメント

藩校に学ぶー江戸時代が生きる

2019-04-25 21:53:04 | 日記
私は何回か水戸の弘道館を訪れたことがあります。水戸と言えば天下の副将軍徳川光圀ーそう水戸の黄門様ですね。弘道館は江戸後期の水戸藩主で徳川斉昭が創りました。玄関を入るとひときわ「尊攘」の文字が大きく目に入ってきます。水戸弘道館は他藩の藩校から比べてもけた違いの大きさ力に入れようがわかります。水戸の弘道館をはじめ江戸時代には各藩が藩校を設立して各藩の独自性を活かしながら地域に根差したものでした。米沢藩の興譲館、会津藩の日進館等々、ここで学んだものは個性豊かな人材が育ち幕末維新に活躍しました。
残念なのは明治に入って中央集権体制のなか藩校は取り潰され文部省の画一的な教育がなされ個性が埋没してしまったように感じます。今こそ藩校に学び個性豊かな人材を育てていくべきではないでしょうか。
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やはり歴史上の人物はその一生涯を見ないと理解できない

2019-04-24 20:26:48 | 日記
1万円札の顔に渋沢栄一が決まって公表されて以来、注目されていますが、実業家として紹介されているものがほとんどです。渋沢栄一は天保11年1840年に生まれ昭和6年1931年に亡くなり91年の生涯でした。確かに33歳の時大蔵省を辞めて第一国立銀行創立を皮切りに500社もの企業の創業、経営に携わりますが600もの医療・教育・国際交流団体等の社会貢献活動にも関わり東京養育院の運営には企業の役員を辞めた後も長く関わっていました。また若い頃は尊皇攘夷運動にも関わり運動に挫折すると一橋慶喜の下で働き慶喜が将軍になると幕臣としても働きました。大きな影響を受けたのは幕府のパリ万博使節団の随行員としてヨーロッパへ行き西欧文明を体験したことでしょう。徳川幕府の崩壊と共に帰国しました一時は徳川家の静岡藩で仕事をして明治政府に出仕して大蔵省に入りました。その一つ一つが渋沢栄一の存在であり時代背景に影響を受けつつも環境に順応して乗り越えてきました。渋沢栄一の著書「論語と算盤」には人間の生き方・考え方そのものが描かれています。また渋沢栄一は徳川慶喜と松平定信を尊敬し自ら「徳川慶喜公伝」と「楽翁公伝」を書いています。やはり歴史上の人物はその一生涯を見ないと本当の意味での理解は出来ません。
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薬害エイズを風化させないためにー薬害エイズを考える山の手の会

2019-04-23 22:13:16 | 日記
少人数ではありますが、本日夕方、飯田橋にある東京ボランティア市民活動センターの会議室で薬害エイズを考える山の手の会の例会を行いました。23年前に裁判和解した薬害エイズは忘れ去られようとしていますが、被害者は様々な病気を併発して治療は困難を極めています。また薬害エイズ事件で明るみに出た厚生省のエイズファイルの資料隠蔽の体質は今のデータ改ざんなどの体質と今もその体質を残しています。平成が終わろうとしている今、平成の出来事として薬害エイズはありました。薬害エイズを風化させないために薬害エイズを考える山の手の会の活動は今後も続きます。
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田中正造に影響を与える新井奥邃

2019-04-22 21:40:22 | 日記
田中正造が晩年キリスト教に深く影響を与えた新井奥邃という人物がいます。田中正造と同じ年代でやはり幕末期には仙台藩士として奥羽列藩同盟に奔走し、榎本武揚の函館まで行っています。この人物が明治に入り渡米して深くキリスト教を信仰し教育者として活動しました。この新井奥邃から田中正造はキリスト教の影響を受けました。人間の出会いとは不思議なものですが、同じ世代で若い頃は時代の影響を受けながらも出会いがなかったものが時代が変わって年齢も重ねたころに思想的な出会いをするものです。田中正造と新井奥邃はまさに思想的な、人間の心の関係から深いつながりを持ちました。このような人生こそ人間として奥深いものがありますね。
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臆病者の信仰ー復活祭に考える

2019-04-21 13:45:11 | 日記
「役人たちの中にも、イエスを信じた者は多かったが、パリサイ人をはばかって、告白はしなかった。会堂から追い出されるのを恐れていたのである。彼らは神のほまれよりも、人のほまれを好んだからである」(ヨハネによる福音書12章42節)

社会の目、周りの人の目を気にしながら人は生活するのは昔も今もおなじですね。自分の評価が下がると思うと本来あるべき姿をも曲げてしまいます。さて本来あるべき姿とはなんでしょう。自分も曲げてしまうことはよくあります。本来あるべき姿ー人間の姿は、悩んでいる苦しんでいる被害者の生の声から自分が曲がっていることを気づかされ、あるべき姿へ向かうのではないでしょうか。被害者の生の声は神の声でありキリストの呼びかけであり、あるべき姿に向かうことによってキリストは復活するのではないでしょうか。

今日は朝に復活の御ミサにさずかり、お昼には代々木公園のアースデイに顔出して活動している人々と交流を深めました。一人ひとりの生の声を大切に活動を続けていきます。
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