演芸見ブんログ

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07/10/14 サンライフ寄席(サンライフ川越)

2007-10-14 | 芸協見ブんログ
田代沙織…『鈴が森』

三笑亭夢吉…『初天神』

柳家権太楼…『笠碁/風流深川節(踊り)』

≪お仲入り≫

マグナム小林…「バイオリン漫談」

桂歌春…『鮑のし』


本来なら今日は池袋演芸場の昼夜通しに行く所ですが、川越の「サンライフ」という所で開かれる落語会に桂歌春師匠とお嬢さんの田代沙織さんが“父娘共演”
これを見逃す訳にはいきません!
しかも私が滅多に見ることがない権太楼師匠に夢吉さんも出演ですからね。

東武東上線の池袋駅のホームに着いたら、無情にもドアが閉まり発車
茫然と見送り15分後の急行に乗車。約30分で川越駅着。
ところが会場近くまで行く上尾駅行きのバスが、これまた発車した後。
しかも次のバスは途中の運動公園止まり。
結局、運動公園から埼玉医大まで約15分ほど歩いて戻り、病院内で客待ちをしていたタクシーで会場へ。
そのおかげで何とか開演に間に合ったどころか、最前列の下手席が空いていました!
160人を超すギッシリと埋まった会場で、最前列に座れたのはラッキーでした。
それにしても会場はおじいちゃん・おばあちゃん・おとうさん・おかあさん・・・そして田代沙織さん目当てであろう、とても落語を聴きに来る感じではなさそうな男子もチラホラ・・・

まずは「川越蔵造り落語会」の伊藤明氏の挨拶。
20年前、当時38歳の氏が落語の会を作った時は「こんなブームが来るとは思わなかった」と当時を懐かしそうに振り返っていたのが印象的でした。

さてさて、開口一番は田代沙織さん。
「梅は咲いたか」の出囃子に乗って元気に登場!
赤い着物に白い帯、ピンクの手拭いがキュートです
「目黒のさんま」が持ちネタにあるのを知っていたので、「季節的に目黒のさんまをやるんだろうなぁ…」と軽く考えていた私は、玄翁でぶたれるくらいの激しいショックを受けました。(“子別れ”の亀吉か!)
会場を見回して、「お客さんの層に合った噺ということで・・・泥棒の噺を・・・」
「観音様の泥棒」の小噺では腰を浮かして『大きいのをブーッ
とても「ラクドル」(落語ができるアイドル)とは思えない、楽しいマクラを聞かせてもらいました
そして演目は「鈴が森」で、歌春師匠にみっちり教えてもらったんでしょうね。
15分間たっぷりと明るく可愛い内容の一席でした
それにしても本職のヘタな前座・二ツ目が裸足で逃げて行くような高座は、大したものです。
おそらく歌春師匠が「前座の役割を担うんだから、生半可で中途半端はいけない」と教えたんでしょう。
その後も高座返しにメクリと、前座同様の仕事をしていました

続いて登場は夢吉さん。「キレイな方の後にキタナイのが…」と謙遜して会場を沸かせます
子供の小噺から「初天神」に入りましたが、最近の芸協の二ツ目さんの間では「初天神」がブームなのでしょうか?
腕が抜けんばかりの「よーいよーいよい」や飴をなめる仕草、団子の蜜を吸い取る仕草など大ウケでした

続いてお待ちかねの権太楼師匠が「金比羅ふねふね」の出囃子で高座に上がりました。
「酔っ払いの親子」の小噺にヘボ将棋や囲碁の話をマクラに『笠碁』。
「権太楼節」とでも言いたくなる独特の口調に絶妙の間。
そして歌春師匠をして「40年近くの付き合い(※)で初めて見た」という踊り。
「風流深川節」は女性舞のようで、本当はもう1人必要らしいのですが、権太楼師匠はお客さんに「顔を動かして一緒に参加してして下さい」と催促。
本当に貴重な踊りを見せていただきました
※権太楼師匠は1970(昭和45)年4月に五代目・柳家つばめ師に入門、歌春師匠は同年10月に二代目・桂枝太郎師に入門の、ほぼ同期生。

休憩前に抽選会。歌春師匠が抽選をして田代沙織さんが賞品を配るという、これがホントの“親子競演”
出演した方々の単独の色紙や寄せ書きなど相当数の賞品でしたが、私の番号(108番)が歌春師匠に読まれることはありませんでした

休憩後はマグナムさんのバイオリン漫談。
蚊を叩くおじいちゃんもいて、場内は通揃い???
大正演歌にタップも披露して、年配のお客さんは大変に喜んでいました

トリは歌春師匠。「さわぎ」の出囃子からおなじみのマクラをたっぷりやって場内の雰囲気も最高潮
そそっかしい甚兵衛さんとしっかり者のおみつさんのやり取りや、大家さんの家の婚礼の口上など、30分間笑いっ放しの一席でした

帰りは近くのバス停がわからなかったため、とりあえずタクシーで来た道を逆に歩いて埼玉医大を目指しましたが、今日はNHKラジオの『ラジオ名人寄席』に二代目・桂枝太郎師の「自家用車」が流れる日。
ちなみに夢吉さんによると、この「自家用車」は“桂枝太郎師⇒桂枝助師⇒桂花丸さん”という流れで現代に受け継がれているそうです。
人っ子一人、車一台通らない田んぼ道を歩いているうちに聞こえてきた枝太郎師の声。
約30年ぶりに枝太郎師の声を聴き、懐かしさに耽っているうちに結局川越駅まで1時間15分歩いてしまいました・・・疲れたぁ
けど、ホントに貴重で楽しい時間を過ごすことができました