演芸見ブんログ

寄席・野球観戦等に行った備忘録を残しています

07/10/18 講談夜席~田辺つる路改め竹林舎青玉真打披露興行~(お江戸日本橋亭)

2007-10-18 | 講談協会
宝井琴柑…『三方ヶ原軍記 内藤三左衛門の物見』

田辺一凜…『岩見重太郎 重太郎の出世』

田辺南北…『ザ・老人の夢』

宝井琴柳…『赤穂義士銘々伝 堀部安兵衛道場破り』

一龍斎貞山…『出世田沼』

宝井馬琴…『加藤孫六 出世馬喰』

《お仲入り》

田辺つる路改め竹林舎青玉真打披露口上】
(琴柳・貞山・つる路改め青玉・一鶴・馬琴)

田辺一鶴…『妖怪お化け軍団修羅場』

田辺つる路改め
竹林舎青玉…『女義太夫 豊竹呂昇物語』


金曜からの強行軍の影響か、火・水と風邪でダウン
未だ快復途上ですが、今夜は一凜さんの姉弟子である田辺つる路さんが竹林舎青玉(ちくりんしゃせいぎょく)と名を改めての披露興行。
しかも一鶴先生、馬琴先生、貞山先生に、一凜さんも華を添えるとあって、病身に鞭打って日本橋亭に赴きました。
今回はさすがに開場前から多数の列ができていましたが、何とか最前列の上手側を確保。
通常なら「空板」(前座さんが開場前に高座上で稽古すること)があるはずですが今回はなし。開演10分前に幕が開き、登場したのは琴柑さん!
「三方ヶ原」の修羅場の稽古ということで本を読みながらの一席ですが、“声”良し、“調子”良し、“抑揚”良し、と三拍子揃った内容。
琴柑さんも流れ出る汗を拭きながらの熱演でした

一凜さんは今の季節に相応しい柿色の着物で登場
姉弟子の真打披露が殊の外嬉しそうです
今夜はお目出度い席なので「岩見重太郎の出世物語」。
一凜さんで聴くのは3度目ですが、聴く度に面白さが増してくる一席でした。
私の周りにいた「御贔屓連」のオジサマ方も口々に『上手いね!』という評価。
一凜さんの評判も上々のようです

あごひげに特徴がある南北先生。年老いた父親と同居したいが嫁が猛反対という、現代の核家族化を浮き彫りにするような内容で、会場内のオジサマ方の共感を呼んでいました。
シンミリさせる場面があったかと思えば、赤ちゃんのお尻で測った体温計をおじいちゃんが口に銜えてしまうという笑いもある楽しい読み物でした。

琴柳先生は見事なまでのスキンヘッド!
義士銘々伝からおなじみの堀部安兵衛道場破りの一席。
金は無くとも酒を飲み、宿に泊まる安兵衛と、それを大らかな気持ちで許容する宿屋の主人。二人のやり取りが面白さを倍加させていました。

私の大学の大先輩、貞山先生!
江戸中期の幕臣で、側用人から遠江相良藩主を経て5万7千石の『田沼時代』を築いた老中・田沼意次の出世物語。
一凜さん、貞山先生と、やはり披露目だけに出世物のウケが良いようです。

こんな間近で宝井馬琴先生を拝見できるなんて・・・。
今や大看板の馬琴先生。「琴調」という前座時代は『大日本除虫菊』から、真打になり「琴鶴」を襲名したら『東洋陶器』から仕事の依頼があったそうで・・・。
お分かりにならない方は、それぞれの会社を検索して下さい
『「馬琴」になったら中山競馬から・・・』はご愛嬌
内容は『賎ヶ岳七本槍』の一人、加藤孫六嘉明が子供の頃の噺。
馬琴先生も出世物でしたが、やはり後世に名を残す人というのは子供の頃から何か秀でるものがあったんですね。

めくりの合間に一龍斎貞寿さんが高座上からお膝送りや席の案内。
気が付けば立見が出るほどの盛況で、最前列が7席ほど空いている以外は蟻の子一匹入る隙間もないほどギッシリです

ちょっと長めのお仲入りに続き、柝の音と共に「とざーい、とーざーい」の声で定式幕が開きました。
高座上は下手側から琴柳師・貞山師・青玉師・一鶴師・馬琴師・・・壮観です!

進行役の琴柳先生の挨拶に続いて貞山先生が…
「つる路さんと私は同じ歳の35歳・・・」(本当に同い年で生まれた日も貞山先生が25日早いだけ)
「“竹林舎”と聞いた時、『ナニ?ちんちくりん???』」
「どんどん仕事を増やして、忙しくなったら私が代わりに…」
お辞儀をしたままの青玉先生も肩を震わせて笑っており、満員の場内を和ませます

一鶴先生はあろうことか新真打の名前を「ここにいるとうぎょくは・・・」
青玉先生は顔を伏せたまま『せいぎょく・せいぎょく・・・
ところが一鶴先生はそれに気付かず、青玉先生の入門のいきさつ等を話していました。
新真打の青玉先生は、故・東由多加氏らと共に『東京キッドブラザース』を立ち上げた1人で当時は「小林由紀子」の名で看板女優として活躍されていたそうです。

馬琴先生は過去TV界で活躍した講釈師が一龍斎貞鳳師(「お笑い三人組」・参議院議員)と田辺一鶴先生(「東京五輪」)の2人しかいない厳しい世界であることを話し、新真打には底辺の広い講釈の中で「これだけは誰にも負けない得意な物を持て」とアドバイスを送っていました。

馬琴先生が三本締めの音頭を取り、賑やかに披露口上がお開きとなりました

定式幕が再び開き一鶴先生が再登場。
ピンクの着物と緑色の帯を客席に見せ、
「コレ、“とうぎょく”から送られたんですよ。“とうぎょく”は・・・」
すかさず客席から
せいぎょく!
の声が飛び、慌てた一鶴先生はバツが悪そうに話を別の方向に持っていきました
今年78歳という一鶴先生は『いつの間にか講談界の最長老になってしまいましたが、歯医者以外は医者にかかったことがない』そうで、『こうなりゃ100歳までガンバル』と話していらっしゃいました。
水木しげる先生のアシスタント第1号という経歴を持つ一鶴先生は、“小僧・ばばぁ・タヌキ・キツネ”のお化けから、羽織を脱いで“妖怪道五十三次”と題して日本橋から京都までの五十三次を順と逆から披露。仕舞いには客席に下りてお客さんと握手をするという楽しい一席を見せて下さいました。

トリの青玉先生は明治時代に「女義太夫」として大阪で絶大な人気を博した『豊竹呂昇』の物語。
若い頃から芸と恋の狭間に悩み、自ら命を絶つことまで考えた呂昇が一世を風靡するまでの読み物を、元女優らしい語り口で読んでいました。

講談を聴かなければ多分一生知ることがなかったであろう豊竹呂昇という人を、身近に感じることができた素晴らしい読み物で、場内からも大きな拍手が送られてお開きとなりました