笑福亭羽光…『手紙無筆』
神田京子…講談あそび「森のくまさん・浦島太郎(英語.ver)」
神田阿久鯉…古典講談『幡随院長兵衛 芝居の喧嘩』
神田茜…新作講談『赤い唇の彼』(原作:内田春菊)
神田紫…ウクレレ講談『ハワイ移民哀歌 ホレホレ節伝(前)』
神田鯉風・きらり…古典講談車読み『寛永宮本武蔵伝 狼退治(きらり)・関口弥太郎との出会い(鯉風)』
神田陽子…オペラ講談『タンホイザー ワルツブルグ歌合戦(序開き)』
《お仲入り》
神田紅・陽司・紅葉…立体講談『風林火山 山本勘助の恋』
神田山吹…古典講談『太閤と曽呂利 お歌合わせ』
神田松鯉…古典講談『天明白浪伝 ~稲葉小僧新助~』
二代目・神田山陽先生が亡くなったのが7年前の10月30日。
祥月命日のこの日、「山翁えくすぷれす」(日本講談協会会報)の発刊10周年と合わせた日本講談協会の特別興行が広小路亭で開かれました。
“芸協らくごまつり”の時にきらりさんにチケットをお願いしておいたので、前売3000円を支払い2階へ。
くつ箱前では茜先生・阿久鯉さん・京子さんがグッズの販売をしていました。
この女流3人が並んでいるのを見ても壮観なのですが・・・
なぜか講談の会で一番太鼓が鳴り、私は妙な胸騒ぎを覚えました。
ところが登場したのは紫先生。
本来なら日本講談協会会長の陽子先生が挨拶する所ですが、浅草から向かっている途中ということで副会長の紫先生が代わりを務めました。
一旦幕が閉まり、再び開いて登場したのは笑福亭羽光さん。
『なんで?なんで?』
先日のきらりさんの一人会の時にも書きましたが、なぜ講談の会で落語?
唯一の前座の蘭さんがいなかったとしても、なんか一気にテンションが下がってしまいました
続いて登場の京子さんが「上方落語なら釈台を使ってそのまま講談に続けられるから…」と説明していましたが、普段は見台や膝隠しを使わない羽光さんはやりにくそうでしたよ。
京子さんは日本講談協会唯一の広報部長兼広報部員
講談の裾野を広げるために作ったという、小学生向けの『森のくまさん』と外国向けの『浦島太郎・英語版』を披露しました。
来年真打昇進の阿久鯉さんは『幡随院長兵衛』のおなじみ『芝居の喧嘩』の前半部分。キッチリとした読み口は好感が持てます。
茜先生は新作の張り扇を1本紹介した後、やや怪談チックな一席。
紫先生はウクレレを弾きながら、マンダラーズの衣装(ムームー)で登場
マンダラーズでもお馴染みの『ホレホレ節伝』の前半部分を音楽を交えながら読みましたが、私も心の中で「ホレホレ節」を歌いながら楽しく聴かせていただきました。
鯉風・きらりという兄弟弟子での車読み。
まずはきらりさんが「狼退治」を読みましたが、狼の遠吠えをする兄弟子との呼吸が合わず、やや苦戦しながらもキッチリと役割を果たして交代です。
鯉風先生は宮本武蔵と関口弥太郎の箱根山中での出会いの場面。
ほとんど打ち合わせをしなかったと言いながらも、そこはまた楽しい「兄妹愛」を見せていただきました。
浅草から無事到着の京子先生。「タンホイザー」はネタ下ろしのため浅草でさらって来ようと思ったけど、客席に某スポーツ紙の記者がいたので『楊貴妃』にしたそうで・・・
前日に弟子の京子さんと二代目のお墓参りに行ったマクラから、ワーグナーの「タンホイザー」も流れた明るい一席でした。
休憩時の2階は人でごった返していましたので、早々に客席に戻りました。
紅一門は蘭さんがいないので紅先生と陽司先生と紅葉さんの3人による、ミュージカル風の立体講談。
紅先生も軽やかに踊っていたのが印象的でした。
山吹先生は「曽呂利新左衛門」がなかなかのキレ者であったというエピソードがたっぷり含まれた「お歌合わせ」を貫禄十分に読んでいました。
トリは松鯉先生。二代目は女の弟子に甘かった(自分と神田翠月先生との比較)と、ちょっと悔しそうに話していましたが、得てしてそういうものなんでしょう。
松鯉先生の後は京子さんときらりさん進行による「抽選会」があり、私は残念ながらハズレましたが、芸協にも所属する二人のツーショットを見られたのは貴重でした
多くのお弟子さんが「二代目・山陽先生から薫陶を受けた」と言っていましたが、私も小学生の頃に客として「二代目」の薫陶を受けたと思っています。
小学生が寄席で講談を聴いても理解なんてできるわけないのですが、高座の上に座布団と釈台を置き、その上に“チョコン”(失礼)と座って講釈を読む姿は、
『やさしそうなおじいちゃんだなぁ!』
と感じたことを40年近く経った今でも鮮明に覚えています。
その気持ちがあったからこそ、きらりさんの高座もスンナリ入れたし、そこから今の“講談ファン”の自分があるのです。
つまり私の“講談好き”の原点は、ろ山先生・伯山先生・貞鳳先生・貞丈先生・馬琴先生・一鶴先生ではなく、
二代目・神田山陽先生
なのです。
その先生のおまつりに参加できたこと、そして「山翁えくすぷれす」の編集兼発行人の名取亮先生から『ひでさん、いつもどうも!』とご挨拶されたことは、私にとって無上の喜びでもあります。
最後は女流陣が揃って高座へ。
陽子先生を中心に、紫先生・紅先生・茜先生・山吹先生・阿久鯉さん・京子さん・きらりさん・紅葉さんと並んだ光景は圧巻で艶やか!
実に楽しいおまつりで、帰りには紫先生のCD『ホレホレ節』も購入
女流陣にお見送りを受けて広小路亭を後にしました
神田京子…講談あそび「森のくまさん・浦島太郎(英語.ver)」
神田阿久鯉…古典講談『幡随院長兵衛 芝居の喧嘩』
神田茜…新作講談『赤い唇の彼』(原作:内田春菊)
神田紫…ウクレレ講談『ハワイ移民哀歌 ホレホレ節伝(前)』
神田鯉風・きらり…古典講談車読み『寛永宮本武蔵伝 狼退治(きらり)・関口弥太郎との出会い(鯉風)』
神田陽子…オペラ講談『タンホイザー ワルツブルグ歌合戦(序開き)』
《お仲入り》
神田紅・陽司・紅葉…立体講談『風林火山 山本勘助の恋』
神田山吹…古典講談『太閤と曽呂利 お歌合わせ』
神田松鯉…古典講談『天明白浪伝 ~稲葉小僧新助~』
二代目・神田山陽先生が亡くなったのが7年前の10月30日。
祥月命日のこの日、「山翁えくすぷれす」(日本講談協会会報)の発刊10周年と合わせた日本講談協会の特別興行が広小路亭で開かれました。
“芸協らくごまつり”の時にきらりさんにチケットをお願いしておいたので、前売3000円を支払い2階へ。
くつ箱前では茜先生・阿久鯉さん・京子さんがグッズの販売をしていました。
この女流3人が並んでいるのを見ても壮観なのですが・・・
なぜか講談の会で一番太鼓が鳴り、私は妙な胸騒ぎを覚えました。
ところが登場したのは紫先生。
本来なら日本講談協会会長の陽子先生が挨拶する所ですが、浅草から向かっている途中ということで副会長の紫先生が代わりを務めました。
一旦幕が閉まり、再び開いて登場したのは笑福亭羽光さん。
『なんで?なんで?』
先日のきらりさんの一人会の時にも書きましたが、なぜ講談の会で落語?
唯一の前座の蘭さんがいなかったとしても、なんか一気にテンションが下がってしまいました
続いて登場の京子さんが「上方落語なら釈台を使ってそのまま講談に続けられるから…」と説明していましたが、普段は見台や膝隠しを使わない羽光さんはやりにくそうでしたよ。
京子さんは日本講談協会唯一の広報部長兼広報部員
講談の裾野を広げるために作ったという、小学生向けの『森のくまさん』と外国向けの『浦島太郎・英語版』を披露しました。
来年真打昇進の阿久鯉さんは『幡随院長兵衛』のおなじみ『芝居の喧嘩』の前半部分。キッチリとした読み口は好感が持てます。
茜先生は新作の張り扇を1本紹介した後、やや怪談チックな一席。
紫先生はウクレレを弾きながら、マンダラーズの衣装(ムームー)で登場
マンダラーズでもお馴染みの『ホレホレ節伝』の前半部分を音楽を交えながら読みましたが、私も心の中で「ホレホレ節」を歌いながら楽しく聴かせていただきました。
鯉風・きらりという兄弟弟子での車読み。
まずはきらりさんが「狼退治」を読みましたが、狼の遠吠えをする兄弟子との呼吸が合わず、やや苦戦しながらもキッチリと役割を果たして交代です。
鯉風先生は宮本武蔵と関口弥太郎の箱根山中での出会いの場面。
ほとんど打ち合わせをしなかったと言いながらも、そこはまた楽しい「兄妹愛」を見せていただきました。
浅草から無事到着の京子先生。「タンホイザー」はネタ下ろしのため浅草でさらって来ようと思ったけど、客席に某スポーツ紙の記者がいたので『楊貴妃』にしたそうで・・・
前日に弟子の京子さんと二代目のお墓参りに行ったマクラから、ワーグナーの「タンホイザー」も流れた明るい一席でした。
休憩時の2階は人でごった返していましたので、早々に客席に戻りました。
紅一門は蘭さんがいないので紅先生と陽司先生と紅葉さんの3人による、ミュージカル風の立体講談。
紅先生も軽やかに踊っていたのが印象的でした。
山吹先生は「曽呂利新左衛門」がなかなかのキレ者であったというエピソードがたっぷり含まれた「お歌合わせ」を貫禄十分に読んでいました。
トリは松鯉先生。二代目は女の弟子に甘かった(自分と神田翠月先生との比較)と、ちょっと悔しそうに話していましたが、得てしてそういうものなんでしょう。
松鯉先生の後は京子さんときらりさん進行による「抽選会」があり、私は残念ながらハズレましたが、芸協にも所属する二人のツーショットを見られたのは貴重でした
多くのお弟子さんが「二代目・山陽先生から薫陶を受けた」と言っていましたが、私も小学生の頃に客として「二代目」の薫陶を受けたと思っています。
小学生が寄席で講談を聴いても理解なんてできるわけないのですが、高座の上に座布団と釈台を置き、その上に“チョコン”(失礼)と座って講釈を読む姿は、
『やさしそうなおじいちゃんだなぁ!』
と感じたことを40年近く経った今でも鮮明に覚えています。
その気持ちがあったからこそ、きらりさんの高座もスンナリ入れたし、そこから今の“講談ファン”の自分があるのです。
つまり私の“講談好き”の原点は、ろ山先生・伯山先生・貞鳳先生・貞丈先生・馬琴先生・一鶴先生ではなく、
二代目・神田山陽先生
なのです。
その先生のおまつりに参加できたこと、そして「山翁えくすぷれす」の編集兼発行人の名取亮先生から『ひでさん、いつもどうも!』とご挨拶されたことは、私にとって無上の喜びでもあります。
最後は女流陣が揃って高座へ。
陽子先生を中心に、紫先生・紅先生・茜先生・山吹先生・阿久鯉さん・京子さん・きらりさん・紅葉さんと並んだ光景は圧巻で艶やか!
実に楽しいおまつりで、帰りには紫先生のCD『ホレホレ節』も購入
女流陣にお見送りを受けて広小路亭を後にしました