後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔125〕二兎社「ザ・空気」は「歌わせたい男たち」のようには笑えませんでした。

2017年01月25日 | 語り・演劇・音楽
  昨1月24日(火)、東京池袋の東京藝術劇場で二兎社公演「ザ・空気」を鑑賞しました。さすがに今回もチケット完売のようでした。
  私は永井愛作・演出の二兎社公演が大好きで、これまでに「歌わせたい男たち」「書く女」などを劇場で見ています。しかしながら、二兎社公演は根強い人気があるのでチケットがなかなか手に入らず、やむなく「かたりの椅子」や「ら抜きの殺意」などはテレビ観劇でした。
  さて、昼の2時開演。テンポのいい芝居で、息つく暇のない1時間45分があっという間に終わってしまいました。終わった後にはずしりと重い錘のようなものが心の底に降りてきました。登場する5人の2年後はけっこう衝撃的でした。

  ネタバレにならないように「ザ・空気」について触れてみましょう。チラシから情報を取り出してみます。

■二兎社「ザ・空気」
*作・演出:永井愛
*キャスト 田中哲司 若村麻由美 江口のりこ 大窪人衛 木場勝己
〔チラシ〕
(表)上からの圧力? そんなもの、感じたことはないですねぇ
(裏)人気報道番組の放送開始まであと数時間。
  ある“懸念”をきっかけに現場は対応に追われ始める。
  決定権を握るのは・・・・・・空気?

  「人気報道番組の放送開始まであと数時間」の状況設定は、たしか、卒業式を数時間後にひかえた教育現場の「歌わせたい男たち」を想起させます。「歌わせたい男たち」の場合は日の丸・君が代問題を扱ったものですが。
  「ザ・空気」に登場するのは編集長、キャスター、アンカー、ディレクター、編集マンの5人です。放送局上部から番組の一部差し替えが指示されるところからドラマが展開していきます。事件の中で5人の人格や思いがリアルに浮かび上がってきます。
  ドラマの背景として、高市総務大臣の電波停止発言やそれに対するキャスターたちの抗議行動などがあることは間違いありません。
  チラシの「上からの圧力? そんなもの、感じたことはないですねぇ。」というコピーは、フジテレビのアナウンサーが語ったことばに由来しているのでしょうか。

●ライブドアニュースより(2016年5月21日 15時15分)
「高市早苗総務相の「電波停止」発言の影響にフジテレビのアナウンサーが言及」
21日の番組で、高市早苗総務相の「電波停止」発言にフジのアナが言及した
「何か圧力を感じているということは一切ありません」と西山喜久恵アナ
渡辺和洋アナも「影響を受けていないというのが実感」と語った

  「歌わせたい男たち」のように笑えなかったのは、今の日本の現状があまりに深刻すぎて、現在進行形というより、状況が追い越しているからでしょう。
 少し勉強してみるとわかるのですが、放送法というのは憲法に保障されている表現の自由を第一に考えて制定されたものです。条文の後出する「政治的中立」というのは、尊重規定ということです。
 テレビを初めとするジャーナリズムは、権力の暴走を抑止するものでなくてはなりません。その基準は日本国憲法の三本柱と立憲主義の視点からです。

  5人の役者さんはそれぞれ個性的で、実力者揃いでした。おもしろいことに、たしか全員が二兎社の芝居には初参加でした。若村麻由美さんのインタビュー記事が朝日新聞に掲載されていましたね。(20171.19夕刊)
  木場勝己さんの「報道の世界を萎縮させるような総務大臣の発言が取りざたされていましたねぇ。まあ、しかし、政治権力というものはそういうものでしょう。マスメディアを牛耳ろうとしない国家権力なんてありゃしませんよ。」(パンフより)という発言はそのとおりですよね。で、だからどうしますか。

  最後に、パンフに永井さんとマーティン・ファクラーさんの対談が刺激的でした。日本では「発表ジャーナリズム」が主で「調査報道」が従になっているということです。「権力の監視」が弱いようです。そういえば、日本会議についての報道も外国メディアが先行したという事実がありましたね。

  マーティン・ファクラーさんの本を早速読んでみたいですね。

●マーティン・ファクラーの本
『「本当のこと」を伝えない日本の新聞 』マーティン・ファクラー、双葉新書 2012/7
『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』マーティン・ファクラー、双葉新書 2016/2
『世界が認めた「普通でない国」日本』マーティン・ファクラー、祥伝社新書 2016/12
『崖っぷち国家 日本の決断』孫崎 享, マーティン・ファクラー、日本文芸社 2015/2

〔101〕劇団X探偵社・渡辺茂追悼公演「薔薇星雲行きバスストップ 2016年版」に心が震えました。

2016年07月25日 | 語り・演劇・音楽
  2016年3月8日、渡辺茂さんが亡くなりました。私より1つ年上の67歳でした。同世代の突然の訃報にことばを失いました。
 2年前に重い胃癌の診断を受けたということで、昨年7月、彼や梶本暁代さんが主宰する劇団X探偵社の公演「アパート 青薔薇荘」を見に行ったところ、渡辺さんは一頃よりすこぶる元気で、嬉しくなって帰宅の途についたものでした。
 渡辺さんを知らない人のために、劇団X探偵社のホームページを紹介しておきましょう。

●ホームページより
〔劇団概要〕
 劇団X探偵社は1987年に創設された劇団です。それから毎年7月はじめの土・日に池袋小劇場で公演を続け、次回で30回目の公演となります。
 これまで上演して来た劇の脚本は、渡辺 茂、梶本 暁代、の2人が劇団全員で討論した構想を競作的に脚本にするという方法をとっているので、作演出に表記されている夢野 逍は劇団全員の総称です。
 渡辺 茂…『人形館』(70年代後半~80年代にかけて、全国の中学校で大ヒットしたミュージカル風劇)『仮面』『街あるいは少年Aの死』『LOVE』『時を超えて』など多くの中学生向けの劇の作者。
 梶本 暁代…『ぼくたちの象、ポチ』『遠足に行くんだ!』『女の子がいっぱい、男の子がいっぱい』『レッツ・プレイ【家出ゲーム】』(いずれも多くの小学校でよく上演されている劇)など多くの小学生向けの劇の作者。

  渡辺さんに出会ったのは1980年の春でした。日本演劇教育連盟主催の全国演劇教育研究集会での上演劇に正嘉昭さん作・指導の「しらけ仮面」が予定されていていました。私は練習を参観するために練馬区立大泉西中を訪れていました。その時同席していたのが渡辺さんでした。練習終了後、正さんが渡辺さんを生徒たちに紹介し始めると、彼らから大きな歓声が上がったのです。渡辺さんが1977年に発表された「人形館」の作者だということがわかったからでした。この時、中学校演劇の双璧のそろい踏みを私は初めて目撃したのです。
  その後、正さん、渡辺さんとは常任委員会で度々顔を合わせるようになります。渡辺さん、梶本さんとは「演劇と教育」編集部で、月に2回は会っていたでしょうか。若手の編集部員が秘密裏に渡辺さんの勤務校の図工室に集まって、雑誌改革について「密談」したことも懐かしい思い出です。
  全国演劇教育研究集会の夜、上演劇の評価を巡って、侃々諤々、口角泡を飛ばしていたのは正、梶本、渡辺といった面々でした。旅館の部屋の一角を会報「かもめ」の編集部としていたのですが、話足らない仲間がそこに続々集まってきていたのです。集会に1500人を数える時代でした。
  渡辺さんは全国演劇教育研究集会の実行委員長も務めますが、やがて常任委員会や編集部を去って行きました。私自身は、劇団X探偵社の公演には足が遠のいたこともありますが、最近では2年に一度ぐらいは足を運んでいました。池袋小劇場から池袋GEKIBAに劇場が移動しても、彼らの「持続する志」に常に励まされてきたのです。

〔公演記録〕
●池袋小劇場公演
1987 ロマン・エナジー
1988 イリュージョンNo.9
1989 ある街に一番星が光った
1990 望郷編~その夕日の街で~
1991 雨 -無限の街で
1992 イリュージョンNo.9~忘却編~
1993 青い薔薇は風の島に咲く
1994 ドロップス・微動夢
1995 続・青い薔薇は風の島に咲く
1996 ドロップス・微動夢~オルガン編~
1997 軍艦島に一番星が光る
1998 テロリストのタンゴ~軍艦島の月陰る時に~
1999 匂い林檎
2000 薔薇は碧空に溶ける
2001 櫻樹ゆらめく時
2002 夢国~蜻蛉飛び立つ日は~
2003 浪漫の蝶は夢路に飛ぶ
2004風の島に一番星が光る
2005 薔薇星雲行きバスストップ
2006 薔薇の記憶 水の記憶
2008 青薔薇症候群
2009 微動夢 -紙芝居屋の物語の向うに-
2010 続・微動夢外伝-羊くんの沈黙-
●池袋GEKIBA公演
2011 皆既月食の日に紙芝居を見た
2012 霧降り町一番地
2013 林檎と風と
2014 夢の記録 ~皆既月食の夜に紙芝居をみた~
2015 アパート 青薔薇荘
●小さな劇の会公演
1987 アンドロメダ星雲行きバスストップ(Ⅰ)
1988 カボチャのある風景
1989 夕暮れイリュージョン
1990 イリュージョン風の又三郎~バンド編~
1991 アンドロメダ星雲行きバスストップ(Ⅱ)
1992 ある街のある愛の風景
1993 薔薇・バラ・ばらの風景
1994 お菓子な愛の物語・微動夢
1995 ある街のある愛の物語~小手川さん追悼公演~
1996 微動夢~ちゃぶだい編~
1997 夕暮れに月が笑うとき
1998 微動夢~赤い夢玉~

  そして、2016年7月23日(土) 14時から、渡辺茂追悼公演「薔薇星雲行きバスストップ 2016年版」(池袋GEKIBA)の開演です。「2005 薔薇星雲行きバスストップ」のリメイク版でした。入場料は赤い薔薇一本。正さん、伊藤行雄さんの顔も見えました。
 

〔役者群〕
 門井 百合子 
 茂木 燐
 石沢 百理
 石本 真菜
 前原 武彦
 奥野 裕介
 梶本 暁代

 渡辺 茂

〔スタッフ群〕
 ・音響 長田 智晴
 ・照明 東原 光晴

 池田 春江
 山下 理宇
 田瀬 もも
 菊地 敬仁
 宮内 千津代

  〔役者群〕に渡辺さんの名前があるのが不思議でした。劇も残り3分の1といったところで、突然映像が流れ始めました。「2005 薔薇星雲行きバスストップ」のビデオです。喫茶店のマスター役の渡辺さんも映っているではありませんか。粋な演出に観客は固唾をのみました。
  劇が終わって照明が出演者を照らします。いつもなら渡辺さんが役者・スタッフ紹介をするのですが、今回は主演の門井 百合子さんがその役を担いました。最後に「渡辺茂!」とコールされて、ギターを抱えて歌う渡辺さんの映像が映し出されました。

  上演パンフレットの梶本さんのことばが優しく響きました。

●2016年劇団X探偵社第42回公演のタイトルは[紙芝居「薔薇星雲行きバスストップ」を見た]になるはずでした。                  
  X探偵社の劇のことばかり考えていました。
 「今までで一番おもしろい劇になると思う」と言っていました。
 最後の入院でも、運んだノートパソコン、
 「1日30分でも座って書く。」
 でもそれは適わなかった。                             
 渡辺茂は、文句なしのすごい人で、この上なくすてきな人で…。        
 今、X探偵社の人とみんなを、きっと微笑みつつ、見てくれています。 梶本暁代

*〔追悼〕渡辺茂さんを偲ぶ-「夢の共有としての劇」深澤直樹、「「面白い」を原動力に…」星幸典(「演劇と教育」2016年5月号)
*「一九八二年の学校劇-例えば『LOVE』の公演では」福田三津夫、『児童文学アニュアル1983』偕成社。1982年の全国演劇教育研究集会で渡辺茂作・指導「LOVE」(赤塚三中)が上演されことを報告したものです。故・遠藤豊吉さんからの依頼でした。この時の主演が門井百合子さんでした。この拙文は拙著『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』(晩成書房、2018年)に「渡辺茂の劇づくり『LAVE』」として再録しました。


〔74〕そろそろ「読み聞かせ」から「読み語り」という名称に移行する時期でしょうね。

2016年02月17日 | 語り・演劇・音楽
 このブログを書こうと思ったのは、次の新聞記事を読んだからです。

●「さようなら保育園 詩に刻む」太田泉生、朝日新聞、2016年2月16日
 民営化で近く取り壊される東京都狛江市の市立和泉保育園で13日、保護者らが開いた手づくりのお別れの会があった。「鉄腕アトム」などの作詞で知られる詩人の谷川俊太郎さん(84)と、絵本作家の大友康夫さん(69)が出席。園児が大友さんと一緒に園舎に絵を描き、谷川さんは園児の絵に詩をつけた。同園は来年4月、川崎市の社会福祉法人運営の私立園として生まれ変わる。
 数々の谷川作品に親しんできた園児の保護者たちが谷川さんの話をぜひ聞きたいと打診し、快諾を得た。大友さんは孫が同園に通っている。子どもたちは大友さんと一緒に園舎に好きな絵を描き、慣れ親しんだ園舎との別れを惜しんだ。
 大友さんとの対談で谷川さんは「詩はメッセージがあるとつまらない。道ばたの花と同じように美しい日本語の塊としてただ存在するのがいい」。詩の読み聞かせについて母親らに問われ、「読み聞かせというと上から下に向けるみたい。声に出して読みたい、子どもと一緒に楽しみたいと思ったら、読んだらいいと思う」と語りかけた。(以下、略)

 谷川俊太郎さんの「読み聞かせというと上から下に向けるみたい。」ということばが腑に落ちました。そうだよな、と改めて共感したのです。
 1972年に小学校の教師生活を開始した私は、当時当たり前のように読み聞かせということばを使っていました。教育現場に流布された教育用語でした。ところが、2001年に出版された平凡社の別冊太陽『読み語り絵本100』を手にしたときの衝撃は忘れられません。なにより、「読み聞かせ」から「読み語り」のことばの持つ新鮮さに心引かれたのです。確かに、「読み聞かせ」ではなくて「読み語り」だよなと思ったものです。子どもに一方的に読み聞かせるのではなく、しっかり自分の肉声で物語を語っていくのが教育実践だと思ったのです。演劇教育のメインテーマはまさに<語ること>なのですから。
 『読み語り絵本100』の表紙は小さな女の子が集中して話を聞いている写真です。これがとても印象的で、素敵なのです。そして特集の50名ほどの語り手の一人が谷川さんでした。
 それにしても、「読み聞かせ」「読み語り」とは誰が言い出したことばなのでしょうか。パソコンで検索していると、ラボ教育センターのサイトにたどりつきました。そこには「ゆみねーさんの日記」が紹介され、「ことばの力って凄い。同じ行為をさしているのに、このことばに込められた想いは違うものになっている…。こどもたちに物語をシェアするときは『読み語り』でありたいと思います。」と書かれていました。そういえば、私もラボ教育センターのワークショップでは「読み聞かせ」と「読み語り」の相違については話をさせていただくことが多いのです。
  そしてサイトには次の文章が引用されてました。

●「読みきかせ」から「読みがたり」ヘの発展を願って
 「読みきかせ」ということばが市民権をもつようになったのは、いつ頃からでしょうか。わたしの所属している日本文学教育連盟が、東京都小金井市で開いた第五回文学教育研究全国集会(1962年8月)で、わたしは「文学教育としての読み聞かせ法」という報告をしました。ですから、その頃のわたしの頭の中には、このことばがあったわけですが、まだまだ一般的にはなじみの薄いことばでした。
 その頃から、たとえ少数にしても、読みきかせで子どもたちに詩や、絵本、童話、物語のおもしろさを味わわせているという保母、教師がいて、しかもそれをおしすすめ、広めていこうとしていました。
 今日、「読みきかせ」は、町会で催す講座の候補にあげられるほどになりましたが、わたしは、ここ数年来、このことばに若干の疑問をもつようになりました。疑問というより子どもたちに本を読む行為としては、いささか不適切なことばではないかと思うようになりました。
 というのは、「読みきかせ」──つまり本を読んであげる、読んで聞かせるという行為には、やや押しつけがましさがありはしないか、読んでやるからちゃんと聞きなさいという意識がありはしないか、たとえ無意識にしても、そのような感じはないかと思うのです。
 子どもに童話や物語を読むということは、単なる音声化ではないのではないか、それは語りかけではないのかと思うのです。
 かつてわが国には、「昔話を語る」ということばがありました。昔話を語りながら、その話のおもしろさはいうまでもなく、その話をとおして自分を語ることをしてきたのでした。「読みきかせ」という行為は、これと同じではないか、と思うようになりました。そこで最近は「読みがたり」ということばを使っています。
 読み手はその作品の単なる伝達者ではない、その作品を十分享受し、自分のものにしたうえで、それを子どもの体と心に語り込む。それが「読みがたり」だと思っています。
 「読みきかせ」から「読みがたり」ヘ、子どもへの読みが深まりながら広まっていくことを願っています。
 したがって当然のことながら、「読みがたり」は、読み手の創造活動にほかならないと考えます。読みがたりを続けている人なら誰しもが気づくことですが、子どもはいつでも作品世界を豊かに享受するとは限りません。聴く耳を持たないことが時としてあります。
 もちろん、作品が子どものそのような状態を解消してくれることもありますが、読み手は、子どもがいまどのような状態でいるか、どのような状況の中にいるかを理解しなければなりません。
「子どもを知る」という想像、創造活動が必要です。
 また選んだ作品が子どもに受け入れられるか、心開いて聞いてくれるような作品かどうかという、作品選びの問題があります。ここにも読み手の創造活動があります。
 さらに選んだ作品を、そのおもしろさをどう伝えるか。どのように表現すればそれができるのかという表現方法、つまり「読みがたり方」の問題もあります。これも読み手の創造活動です。
 「読みがたり」という行為は、子どもを知り、作品を選び、そのおもしろさをいい方法で伝えていくという、読み手のたくさんの思いを包み込んだ創造活動にほかならないと思うのです。
 まさに、子どもへの「深い愛」でありましょう。
                                  1997年12月  小松崎 進

  小松崎さんのお連れ合いは小松崎多津子さんで、日本演劇教育連盟の夏の集会でお目にかかったことがあり、彼女の脚本「七夕ものがたり」を上演させていただいたことがありました。
  さらにサイトには次の文章も紹介されていました。

●小松崎進氏の本の編集者
 子どもに本を読んであげることを、一般的にはまだ、「読みきかせ」と言っています。しかしチョット待てよと、「読みがたり」と呼んでいるのが、この本だいすきの会です。
教育学者の中にも、「読みきかせ」に違和感を抱いている方がいると聞いています。
 この本だいすきの会は永年、この「読みがたり」という言葉を使っていますが、徐々に市民権を得ているように思います。平凡社の別冊太陽『読み語り絵本100』(2001年)が出たときには、書店で見つけて、内心「オッー」と思いました。この本だいすきの会が直接関わらないところで「読み語り」が、一人歩きしていました。
 もともと「読みきかせ」という言葉を使いはじめたのは、私ども高文研ではないかと思います。
 1987年に『THE READ-ALOUD HANDBOOK』というアメリカのベストセラーを翻訳出版したとき、日本語のタイトルを『読み聞かせ』としました。
 この本は現在でも読み継がれており、この本の「黙読の時間」がヒントになって、「朝の読書」運動に発展し、全国で広がっています。
 『読み聞かせ』は言ってみれば、アメリカ版。
 そこで日本で、日本の実情に合った実践者、書き手を探していたとき出会ったのが、この本だいすきの会・代表の小松崎進先生でした。
「読みきかせ」から「読みがたり」への発展については、小松崎先生が私どもで出版している『この本だいすき!』、『この絵本読んだら』で、くわしく触れていますので、合わせてお読みいただけたら、幸いです。
                                             山本邦彦

  やはり、ラボ教育センター主催の福田誠治(現都留文科大学学長)さんの講演会に参加したとき、その打合会で彼から聞いた話です。福田さんの師でもある大田堯さんから、なぜ「読み語り」ではなく「読み聞かせ」ということばを使っているのかと言われたというのです。そんなことが妙に記憶に残っているのです。

〔71〕永井愛の芝居「書く女」と小栗康平の映画「FOUJITAフジタ」を見ました。

2016年01月31日 | 語り・演劇・音楽
  1月30日(土)、世田谷パブリックシアターで二兎社公演、永井愛作・演出の「書く女」を連れ合いと鑑賞しました。立ち見席が出るほどの盛況だったのですが、前から数列、ほぼ真ん中の絶好の席でした。この「書く女」は2006年初演で、主演が寺島しのぶでした。10年ぶりの再演ということになります。
  二兎社の公演はなかなかチケットが手に入らないのですが、「歌わせたい男たち」は何とか見ることができました。教育現場の「日の丸・君が代問題」をテーマにした作品で、笑いながらも理不尽な教育状況に思いをはせたものです。
 さて「書く女」ですが、今回の主演の樋口一葉役は黒木華です。連続テレビ小説「花子とアン」や映画「母と暮らせば」に出演しています。そして何より「小さいおうち」でベルリン国際映画祭最優秀女優賞(銀熊賞)を獲得していて、今まさに脂がのりきった女優さんです。

 まずは「書く女」の概要を知ってもらいましょう。

●二兎社公式サイト
 創作の原点となった日記をもとに、樋口一葉が作家として成長していく過程を描きます。
 一葉がもし現代の若い女性だったら、ブログやツイッターで日々の出来事をアップしていたことでしょう。親友のい夏ちゃんやライバル作家の龍子さん、そして桃水先生やイケメン青年文士たちとはメールやラインでやりとりしていたかもしれません。
 しかし、現代との大きな違いは、人と直接会って話をする機会の多さではないでしょうか。一葉の家には毎日のように訪問客があり、一葉も人に会うために頻繁に出かけて行きます。
 一葉は半径わずか数キロの狭い生活圏で生涯を過ごしました。それにもかかわらず、社会の底辺に住む人々から華族出身の令嬢たちに至るまで、多種多様な人々と交流し、想像以上に広い世界を生きました。
 スマホが手放せず、身辺で起きた出来事をつぶやき、匿名のネット空間で充足しがちな今だからこそ、生身の人間どうしが出会い、触れ合う豊かさやダイナミズムを、この舞台で体験してほしいと思います。
 約10年ぶりとなる今回の舞台では、一葉役の黒木華をはじめ、全てのキャストを一新しました。一葉の妹や友人、ライバル、そして樋口家を訪れる青年文士などの若手俳優9名は、全てオーディションやワークショップを経て選びました。舞台を中心に活躍する実力派ぞろいです。
 今回は新演出として、ピアニスト・林正樹の即興による生演奏とのコラボも期待されます。
 瑞々しく生まれ変わった2016年版『書く女』をどうぞお楽しみに!
 作曲・ピアノ演奏 林正樹
 出演       黒木華   平岳大   木野花
          朝倉あき 清水葉月 森岡光 早瀬英里奈 長尾純子
          橋本淳 兼崎健太郎 山崎彬 古河耕史

 可憐で可愛らしい佇まいの黒木華が、徐々に迫力を増して、書くことに執念をみせる女の生き様を見事に演じきっていました。死期が近づいたエンディングは圧巻でした。正面を向きながらの登場人物一人ひとりとのぎりぎりの「対話」は魂の交流といった風情でした。一葉の執念、したたかさを感じ取ることができました。…ただ、寺島しのぶの一葉も見てみたかったですね。
  永井愛さんはおそらく樋口一葉の全作品だけで無く、一葉に関係した本(日記など)を複数、丹念に読み込んで脚本を作ったに違いありません。なにか井上ひさしのドラマツルギーと通底するものを感じました。そういえば井上ひさしは「頭痛肩こり樋口一葉」を書いていますね。「評伝劇のファンタジー」の1つです。
 先日、井上ひさしの「きらめく星座」(こまつ座公演)をテレビで見ました。ピアノを弾く人が登場し、それに合わせて戦前の流行歌などを役者が歌うのです。「書く女」でもピアノ演奏者に合わせて歌を歌ったり、状況に応じた擬音を奏でたりしていました。再演で初めての趣向だということですが。
 「歌わせたい男たち」は日の丸・君が代を教育に強引に持ち込もうとするグループと、それを阻止したいグループの対立の中で、個々人の葛藤を描いた作品でした。集団の抗争が生む迫力を感じたものです。今回の作品は一人の人間の執念や情念といったものを描いた作品と言えるのでしょうか。いずれにしても秀作には違いありません。

  最近、映画「FOUJITAフジタ」を見に行ってきました。日本を代表する画家の藤田嗣治の生き様を描いた作品です。以前の私のブログで戦争責任と絡めて言及したことがあります。(ブログ〔68〕)

●映画「FOUJITAフジタ」
 『死の棘』で第43回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ&国際批評家連盟賞をダブル受賞、『泥の河』『伽?子のために』『眠る男』など海外でも高く評価される小栗康平監督の、十年ぶりとなる最新作だ。パリで絶賛を浴びた裸婦は日本画的でもあり、大東亜の理想のもとに描かれた“戦争協力画”は西洋の歴史画に近い。小栗監督は「これをねじれととるか、したたかさととるか。フジタは一筋縄で捉えられる画家ではない」と語る。戦後、「戦争責任」を問われたフジタはパリに戻り、フランス国籍を取得。以来、二度と日本の土を踏むことはなかった。フジタは二つの文化と時代を、どう超えようとしたのか。
 フジタを演じるのは、韓国の鬼才キム・ギドク監督作品に出演するなど海外での活躍も目覚ましいオダギリジョー。フランスとの合作は本作が初めてである。映画の半分を占めるフランス語の猛特訓を受けて、見事にフジタを演じた。フジタの5番目の妻・君代役には、『電車男』『嫌われ松子の一生』『縫い裁つ人』などで名実ともに日本を代表する女優 中谷美紀。さらに、加瀬亮、りりィ、岸部一徳ら味わい深い個性派が集まった。フランス側のプロデューサーは、世界的大ヒットとなった『アメリ』のほか、アート系の作品も数多く手掛けるクローディー・オサール。静謐な映像美で描く、フジタの知られざる世界が現出した。

 小栗監督は「これをねじれととるか、したたかさととるか。フジタは一筋縄で捉えられる画家ではない」と語ったそうですが、この映画ではそのようには描けてないと思います。 藤田は何事に対しても真摯に全力投球する人間でした。あの乳白色の裸体画でも戦争画でも、「コドモノクニ」の喧嘩している子どもの絵でも、秋田県立美術館の大壁画でもすべて一所懸命の姿をさらしているのです。
 映画はそうした藤田を捉えていません。映像があまりにも美しすぎました。オダギリジョーがあまりに素敵すぎました。だから藤田ではないと思いました。藤田は情念の塊のような人間ではないでしょうか。
 エンディングはランスの教会に描かれた藤田の壁画の映像でした。こちらのカットが妙に説得力を持っているように私には映りました。藤田のすべてを語る迫力をこの壁画に感じることができました。
 「書く女」を見ながら「フジタ」のことを思い出していた私です。


〔63〕3代にわたって楽しんだのは、円・こどもステージ「…帽子屋さんのお茶の会」でした。

2015年12月24日 | 語り・演劇・音楽
  子どもたちが小さい頃、当時住んでいた狭山や清瀬から、休日ごとにはるばる渋谷の東京都児童会館など,都心まで劇を見に出かけたものでした。
  私の子どもたちが最も楽しんでみた児童劇が劇団仲間や風の子、そして円によるものでした。とりわけ円の芝居はお気に入りでした。「自転車ぶたがやってきた」(佐野洋子)や「卵の中の白雪姫」(別役実)などが印象深かったようです。
 上の孫が5歳になりました。ついに円の芝居に連れ出すことにしました。3代にわたって円・こどもステージ鑑賞ということになります。
 ここで円・こどもステージについて説明しておきましょう。

● 円・こどもステージとは――(円・HPより)
 円・こどもステージは、子どもと大人が一緒に楽しめる舞台を創ろうと、故・岸田今日子が企画。1981年から毎年クリスマスの頃に上演を続けています。
 作者に詩人・谷川俊太郎や劇作家・別役実、絵本作家・佐野洋子、きむらゆういち諸氏を迎え、定評がある舞台創りを続けてきました。
 上演した多くの作品が、厚生労働省社会保障審議会薦文化財や東京都優秀児童演劇賞(すでに廃止)に選ばれ、文化庁「舞台芸術体験事業」などの巡回事業にも積極的に参加しています。

 そもそも私がなぜ円・こどもステージに惹かれたかということについて触れてみます。
 日本演劇教育連盟の夏の全国演劇教育研究集会(1987年)で「話すこと・読むこと」の講座がありました。もう30年くらい前なのですね。講師は女優の岸田今日子さんと演出家の小森美巳さんです。講座の内容は、自分が読みたい絵本などを持ってきて講師の前で読み、講師からのコメントをもらうということでした。世話人に私たち夫婦とNさんが名乗り出ました。
 鮮やかに思い出すのは、講座の最後に岸田さんに朗読を2,3編お願いしたことです。工藤直子の散文詩「カタツムリとロバ」などを読んでくれました。私の隣で、あの岸田さんの独特の生声が心地よく響いたものです。絵本にサインをおねだりしたのもその時でした。
 講座はそれ1回きりでしたが、岸田さんからは時々円の公演案内が送られてきました。2人して劇場に足を運ぶことが度々ありました。もちろん円・こどもステージにもです。演出は毎回小森美巳さんでした。
 小森さんは最近の全国演劇教育研究集会の講座「演劇教育の原点を探る」にお忙しいなか2回も来てくださいました。

 さて、孫にとって初めての円の芝居は「〈不思議の国のアリス〉の帽子屋さんのお茶の会」(別役実)でした。別役が初めて円に書いたお芝居でした。1984年初演、2000年に再演、そして今年2015年は再々演ということになります。
 お芝居の簡単のあらすじと、小森さんの案内を見てみましょう。

●ここは、「不思議の国のアリス」のあの森の中。大きな木の下に大きなテーブルが置かれ帽子屋がお茶の会を開こうとしています。お茶の会を手伝うのはチシャ猫と三月兎。
●小森美巳(演出家)〔上演パンフより〕
 童話あそびシリーズと名付けられた一連の別役作品は、この「アリス」の他に「赤ずきん」「白雪姫」「シンデレラ」「ドンキホーテ」「ピノキオ」「青い鳥」等があって、作者はそれぞれのお話の中でそれぞれ違うあそび方をされています。その童話の中の何に、どんな興味を持たれたのか、さぐリ続ける楽しみはつきません。もっとも解明に至ることはほとんどないのですが…。
 こどもステージ第一作目のこの作品は、やればやるほど面白く、これからも観客の年齢を問わず、時代を越えて上演され続けていくことと思います。毎日みんなと稽古場で暮らしていると、私達はまさに別役さんの不思議の国に迷い込んでいるような気がしてくるのです。どうぞご一緒にお楽しみ頂ければ幸です。

 音楽は著名な作曲家・小森昭宏さん、小森美巳さんのお連れ合いです。

 劇場では、孫は妻や私の膝の上で見ていました。時折声をあげて楽しそうに笑っていました。妻や私もそうでした。
 孫の感想は一言、「楽しかったあ。」でした。孫はロビーで出演者の三月兎やアリスなどと写真を撮ってもらってご満悦でした。乗り継ぎの電車でも手がかからなくなりました。「また来たい。」と言っていましたので、今度は下の孫も連れてくることになるかもしれません。

*小森美巳さんの著書、『お母さんといっしょの優しい時間』(グラフ社、2007)がとても読みやすくて、心にすとんと落ちます。



〔62〕初めての能楽(能・狂言)鑑賞は「金春円満井会・特別公演」でした。

2015年12月16日 | 語り・演劇・音楽
  長く演劇教育に携わってきたのに、本物の能楽(能・狂言)の鑑賞の機会はありませんでした。子どもたち向けの入門的な能楽や歌舞伎の公演は何度か鑑賞してはいましたが。
 今回、ひょうんなことからあの能楽のメッカ、国立能楽堂に初めて足を運ぶことになったのです。
 話は今年の8月の初旬に遡ります。私たち夫婦は猛暑の鹿児島、川内原発再稼働阻止集会に参加していました。(ブログ〔39〕参照)たしかバスで川内原発から鹿児島に戻る車中でのことでした。バスは首都圏からの参加者で補助席まで埋まっていました。そして、私の隣に座っていたフランスの若い女性に興味を持って話しかけたのです。日本語はぺらぺらで、日本の芸能に興味を持ち、何度も日本に来ているということでした。彼女は日本人の女性と一緒に集会に参加したというのです。その中年の女性が彼女の後ろに座っている森瑞枝さんで、能の類い希なる演者(能楽師)だというのです。
  家に戻ってから妻がミニコミ「啓」を森さんに送りました。妻とのメールのやりとりの後、最近になって森さんからの封書が届きました。能楽の公演のお知らせと彼女が書かれた文章のコピーでした。月刊「監査研究」(日本内部監査協会発行)に掲載された「能楽の世界」の連載(12回)や「金春月報」の文章でした。そこで彼女が国士舘大学非常勤講師であるいうことも知りました。
  公演案内を見てびっくりしました。能「乱」にシテ・森瑞枝となっていたのです。シテとは主人公という意味だそうです。…これは行くしかないなと2人で話し合いました。

 12月13日(日)、ついに国立能楽堂に妻と足を踏み入れました。番組(プログラム)は次の通りです。

・能「乱」
・仕舞「三輪」「善知鳥」
・狂言「福の神」
・仕舞「八島」「遊行柳」「昭君」
・能「道成寺」

 途中休憩を挟んで、4時間の公演の中心は、能「乱」と「道成寺」です。そして「乱」は2人の舞手によって構成されています。もちろんその1人が森さんです。
 パンフの解説を引用してみましょう。

●金春円満井会 特別公演(パンフより)
「乱 双ノ舞」
 唐土・瀋陽の江(揚子江)のほとりの市で酒を売る高風のところに、いつも酒を飲みに来る者がいる。高風が名を尋ねると、猩々(海中に棲む酒を好む妖精)だと名乗って消える。やがて水中より猩々が現れ、酒を酌み交わし舞を舞う。爽やかな名月の夜、不老長生を言祝ぐ「猩々」を、特殊な足遣いの舞「乱」で、二人で舞います。「ともに逢うぞうれしき」曲です。
「道成寺」
 少女時代の結婚の約束を反故にされた女は、恐ろしい大蛇となり、男が逃げ込んだ鐘ごと焼き殺してしまった。歳月を経ても執心の炎は消えることなく、白拍子の姿となって現れた女は鐘の中へと姿を消す…。
 物音ひとつ立てられない緊張感と、能楽堂を突き抜ける激しい躍動。静と動、能の醍醐味が凝縮された秘曲に、若手能楽師が初めて挑みます。

 能楽堂の舞台は独特の構造になっています。歌舞伎でいうところの花道にあたるのが橋掛かりです。そこを通って役者は正方形の舞台に登場してきます。客席は舞台の正面、斜めから見る中正面、脇から見る脇正面に分かれます。すべてチケット代が違っていて、我々の中正面でも一万円でした。
 客席のライトが落ちると開演です。手元のパンフレットが読めるくらいの明るさは保たれています。
 登場人物の朗々たる独特の言い回しを聞きながら、不思議な感覚に襲われていました。20年ほど前にグループ旅行でパリを訪ねたときのこと、地元の人に交ざってモリエールの芝居を見たことがありました。全くフランス語は理解できないのですが、役者のしなやかな身のこなしは実に面白いのです。同様に室町時代の京都のことばはすとんと胸には入ってこないのですが、その言い回しやテンポや間がいろいろと想像させるのです。楽器といえば笛や太鼓、鼓だけです。静寂の中の抑えた演技が見る者の想像力をかきたてるのです。幽玄の美とはこのことでしょうか。
 全体の構成にも目を見張りました。能と能の間にコミカルな狂言を挟み、その狂言の前後を舞いで囲んでいるのです。観客を飽きさせない工夫なのでしょう。
 森さんの舞いは優雅で、気品が感じられました。相方とのゆったりした協調性は静けさの中の躍動感があります。
 それにしてもなぜ能の演者であり研究者である森さんが原発反対なのか、次の文章を発見して深く納得したのでした。

●「アンゲロプロスの訃報にたちずさんで」森瑞枝「金春月報」より
 …2011年3月11日があってから2年目に入った。あの時、私は生まれて初めて、自らの「生存」ということを考えた。はじめはごく普通に、天災ならば運を天に任せる気でいた。しかし、原発の異変を、政府と「御用」連中が「公器(マスコミ)」を使って誤魔化すのを察知して、完全に考えが変わった。万が一にも、彼らの欺瞞言語(プロパガンダ)に従って自分の生存が損なわれてはならない。自分の事は自分が決める。生き延びたい、と。妄想だろうが何だろうがかまわない。ちょうど人生50年、トランク一つで仕切り直しだ。どこへでも出て行ける。…

*本ブログ掲載後に次の放送がありあまりのタイミングの良さにびっくりしました。「にっぽんの芸能」(NHK Eテレ)若手能芸師が挑む大曲能「道成寺」喜多流、本番までの舞台裏ドキュメント、塩津圭介、塩津哲生ほか。(2015.12.18放送)