後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔329〕「町山智浩のアメリカの今を知るTV In Association With CNN」と「関口宏のもう一度!近現代史」は私のお勧めの番組です。

2021年01月31日 | テレビ・ラジオ・新聞
 コロナ禍の今、ステイホームということで予約録画をして必ず見ている番組があります。それが表題にある2番組です。
 ご存じ町山智浩さんはアメリカ在住の映画評論家です。同じくカリフォルニアに住む女優の藤谷文子さんとアメリカの今を報告してくれます。右翼的な団体Qアノンやプラウド・ボーイズなどにも突撃取材を敢行します。日本のマスコミが伝えないような報告もあり、臨場感をもって見ています。


●「町山智浩のアメリカの今を知るTV In Association With CNN」番組概要(HPより)

 実は知ってるようで知らないアメリカ社会の“今”を、カリフォルニア在住の人気映画評論家・町山智浩が、解りやすくひも解く今までにないニュースエンタテインメントプログラム。トランプ政権で存在感を増す24時間ニュース専門局「CNN」の渾身のリポートをフル活用しながら、映画や音楽なショウビジネスの話題も織り交ぜて、刻一刻と変化するアメリカの社会問題を徹底的にあぶりだします。アメリカの今を知れば、世界の今、そして日本の今が見えてくる!
 毎週金曜日 BS朝日 夜10:24~10:55

【出演】
町山智浩(映画評論家/コラムニスト)
藤谷文子(女優/ロサンゼルス在住)他

*史上初の女性副大統領カマラ・ハリスの素顔2021年1月29日(金)
*2018年4月7日(土)から「町山智浩のアメリカの今を知るTV In Association With CNN」がスタート。

 もう1つの番組は「関口宏のもう一度!近現代史」です。明治維新から現在までを、時には3,4か月分を1時間かけて丁寧に保阪正康さんが解説してくれます。およそ教科書では知り得ないが、日本人としては知っておきたい、知らなくてはならない史実が満載です。当時の貴重な映像や音声などどこから発掘したのだろうかと感心することしきりです。亡くなった半藤一利さんが語っていたという、本当は絶対ということばは使いたくないが「絶対戦争はしてはいけない」とだけは言いたい、ということばが重く思い出されます。保阪さんは半藤さんの盟友ともいうべき人でした。朝日新聞掲載の半藤さんへの追悼文が秀逸でした。
 ちなみに、保阪さんの話を直に聞いたのは数年前の鎌田慧さんの出版記念会でした。(このブログに掲載)その後『週刊金曜日』にお二人の対談が大々的に特集されたのでした。

●「関口宏のもう一度!近現代史」BS TBS 毎週土曜日12:00~12:54(HPより)
関口宏VS保阪正康
「関口宏のもう一度!近現代史」は、BS-TBSで2019年10月12日より土曜日12:00-13:00に放送されている教養番組。明治維新から150年余り、そこから終戦までの流れをほとんど詳しく分かっていない人のために関口と一緒に学んでいく歴史番組である。

〔319〕夏のテレビの「戦争特集」で気になったのは被害より加害の歴史を振り返る番組が圧倒的に少なかったことです。

2020年12月16日 | テレビ・ラジオ・新聞
  この夏にテレビ放映された「戦争特集」がずっと気になっていました。番組としてどう評価したら良いのかと考え込んでしまったからです。
 33年の小学校教師の体験の中では平和教育と称して、社会科などで戦争の歴史について教え、ほとんどの学校で平和集会を開いてきました。授業の中では加害の歴史もしっかり教えたつもりですが、平和集会などで取り上げたのは被害としての広島・長崎の原爆や東京大空襲のことでした。被害の歴史から戦争を考えることが圧倒的に多かったような気がします。
 加害の歴史を振り返るのは正直しんどいことですが、戦争責任を考えるときには避けて通れないことです。
 今年の夏のテレビ戦争特集を振り返ってみました。できる限り番組に目を通してきましたが、やはり加害の歴史を直視するようなものが少なかったと思います。戦後75年になりますが、再び戦争を引き起こさないために、懐かしさで戦争を語ることの危険性を肝に銘じたいと思います。
(以下の文章はそれぞれの放送局のHPからの引用です。)

■伊400 幻の巨大潜水艦●NHK本放送 8月 5日(水) 22:00~22:45

*エピソード1 海底に眠る巨大潜水艦
 2014年10月、NHKはハワイ大学と共同で、ハワイ・オアフ島沖での潜水調査を実施しました。そして伊400の最も重要な部分ともいえる「格納筒」を発見。初めて撮影に成功しました。海底に眠る伊400の映像、そしてCGで幻の巨大潜水艦がよみがえります。

*エピソード2 日本海軍の極秘計画
 アメリカ本土攻撃――連合艦隊司令長官・山本五十六のこの構想のもと、極秘裏に始まった「潜水空母」計画。伊400の建造は設計段階から困難を極めました。なかでも難題は「翼全長12mの航空機を直径およそ4mの格納筒に入れる」こと。いったいどのようにして解決したのでしょうか――?

*エピソード3 伊400と若き乗組員たち
 終戦の前年に完成した伊400。乗組員たちの多くは10~20代の若者でした。その彼らに与えられた任務とはアメリカの大艦隊への「特攻」。死を覚悟して出撃した若者たちを、しかし思いもよらぬ事態が待ち受けていました。その時、全乗組員を率いる伊400艦長が下した決断は・・・・・・。

■ガダルカナル 大敗北の真相
●NHK本放送  8月12日(水) 22:00~22:45

*エピソード1 エリートたちの判断ミス
 ガダルカナルの戦いは日本陸軍・一木支隊の戦闘から始まりました。916人の一木支隊が戦ったアメリカ軍部隊の兵力は10倍以上の1万あまり。ケタ違いの戦力差を前に一木支隊は全滅します。この無謀な作戦を立案したエリート参謀たちは、楽観的な見込みしかせず敵を正確に把握していなかったのです。

*エピソード2 最大のチャンス
 第一陣の壊滅を受け、日本軍が急ぎ投入したのが陸軍・川口支隊でした。同隊は米軍の弱点・ムカデ高地を攻撃、作戦目的の達成にあと一歩のところまで迫ります。しかし、ここで日本陸海軍の連携がうまくいかず戦力が不足、攻撃は挫折しました。この時、日本軍にとって「最大のチャンス」が消え去ります。

*エピソード3 終わりなきサバイバル
 川口支隊敗退後も日本軍の兵力は送られ続け、「ガ島」日本軍将兵の数は3万に達します。しかし、補給の失敗、特に食糧不足は絶望的で、兵士たちは言語に絶するサバイバルを強いられました。この時島にいた陸軍将校の日記や元米軍兵士の証言から、壮絶な飢餓の戦場の実際が浮き彫りに――。  

■NHKスペシャル「沖縄 “出口なき”戦場~最後の1か月で何が~」

*番組内容:75年前の沖縄戦、日米の勝敗が事実上決したにも関わらず、その後、多くの命が犠牲になった。NHKは、アメリカ軍の膨大な新資料を発掘、苛烈な戦闘の全貌に迫る。
*詳細:住民12万人が命を落とした沖縄戦。1945年5月末、日本軍の総司令部があった首里が陥落、事実上の勝敗が決した後にも関わらず、戦闘は継続。少なくとも住民4万6千人が命を落とした。なぜ、これほど多くの住民が犠牲になったのか。今回NHKは、アメリカ軍の新資料を発掘、苛烈な攻撃に住民が巻き込まれていった詳細が浮かび上がってきた。終わることなく続いた戦場で何がおきていたのか。多くの命が失われた1か月に迫る。

■NHKスペシャル「証言と映像でつづる原爆投下・全記録」

*番組内容:今回私たちは、アメリカの原爆開発の現場責任者の手記や、当時の日本の指導者たちへのインタビューを入手。それにNHKのアーカイブスを加え、原爆投下の全体像に迫った。 *詳細:戦後75年にあたる今年、私たちは、アメリカの原爆の開発計画の現場責任者の手記を発見。さらに、原爆を投下した爆撃機のパイロットや、当時の日本の指導者へのインタビューも入手した。そこからはアメリカが自らの「正義」のために、投下を決定した過程や、日本が降伏を決断できないまま、あの日を迎えてしまった経緯が浮かび上がってきた。これらの資料に、NHKが取材した膨大なアーカイブスを加え原爆投下の全体像に迫った。

■にっぽん!歴史鑑定「太平洋戦争開戦!山本五十六の苦悩」
放送日:2020年8月10日 BS-TBS

 太平洋戦争と山本五十六の関係に迫る。アメリカをはじめとする連合軍と日本が戦いを繰り広げた同戦争では、300万人もの人々が命を落とした。しかし、大日本帝国海軍・連合艦隊司令長官の山本は、日本の敗戦を予測していた。また、日本海軍史上最高の名提督と言われる山本は、日米開戦を回避しようと尽力もしていた。

  ところで、お勧めのテレビ番組を紹介しておきます。BS,TBSの「関口宏のもう一度!近現代史」です。保阪正康氏をコメンテーターに迎えて明治から昭和の時代を振り返る数十回続く地味ではあるが貴重な番組です。日本人が知っておきたい歴史の事実に目が開かされます。

■「関口宏のもう一度!近現代史」〔番組HPより〕
12/12(土)は昭和7年後半を詳しく取り上げる。日本が満洲国を承認。そんな中、リットン調査団が報告書を公表。意外と日本に妥協的 ...〔略〕

〔309〕矢部顕さんのお便りと新聞記事「取り込まれるアーミッシュ」。今は昔なのでしょうか。

2020年11月07日 | テレビ・ラジオ・新聞
 矢部顕さんはラボ教育センターのの中核として長らく仕事をされてきました。ラボ国際交流として度々外国を訪れたようです。アメリカではペンシルベニアに何回か子どもたちを連れて行ったということでした。近隣にはアーミッシュの居住地があったようで、昔ながらの暮らしを守る彼らのことをコーヒーを飲みながら話してくれました。
 今はアメリカ大統領選挙まっただ中ですが、「取り込まれるアーミッシュ」という新聞記事を送ってくれました。
 確かアーミッシュはドイツからの移民で、名前からするとトランプ大統領の祖先もドイツの人だったのではないでしょうか。うろ覚えですが、ドイツにルーツをもっていると聞いたことがあります。

 矢部顕さんのメールと新聞記事です。

■第1信

毎日新聞11月2日の記事を添付します。
A4に縮小していますので読みにくいと思いますので、
拡大して読んでください。

この記事にびっくりしました。
2006,2007,2008の頃に見たアーミッシュの村からは
想像できないくらいの急激な変化が起こっている
のでしょうか。

コミュニティによって違いはあるとは思いますが、
この記者が16年前に見た風景と同じように私も
見ましたが、それがすっかり変わってしまったとか。

共和党によって利用されているようになっているとは。

■第2信

この記事がアーミッシュ一般的なのかどうかは不明です。
一部だろうとは思うのですが。
それに写真に写っている人物は、アーミッシュの服装では
ありません。が、そういう人もいるのかも知れません。

「我々は大統領に従って生きているのではない。
神に従って生きている。だから大統領選挙には行かない」
という言い方をしている人が多いと思います。

宗派的な信念や文化や生活スタイルを守り続けるのは
厳しく困難なことだろうと、現地で思いましたが、
その困難を越えて300年間連綿と貫いてきたことは
事実ですし、感動したものです。



 ◆ 原発依存内閣 「原発ゼロ」を現代で決済しよう
                 鎌田 慧(ルポライター)

 福島第一原発事故の避難者の生活を見聞きするだけでも、この人たちの
生活の困難さばかりか、喪失感の大きさを考えさせられる。
 いきなり避難を命じられ、ごく普通の日常がまったく暗転、それからも
う10年近くも故郷を追われ、家族はバラバラ。
 自分の生活に置き換えてみれば、その苦境をすこし理解できる。
 それでも、官義偉首相は再稼働を強行しようとしているのだが、その理
由が30年後の2050年、温室効果ガスの排出を「実質ゼロ」にするためという。

 環境問題に全く無関心だった安倍政権に代わって、遅ればせながら、二
酸化炭素削減方針を打ち出した。が、その手段が完全に行き詰まった原発
の再稼働。毒をもって毒を制するアクロバット。
 「安全最優先で原子力政策を進める」と菅氏。世耕弘成・自民党参院幹
事長は「新技術を取り入れた原発の新設も検討することが重要だ」。梶山
弘志経産省は「今後10年間は再稼働に全精力を注ぐ」。

 事故の悲惨と被災者への想いは全くない。
 繁栄の頭上に髪の毛一本でぶら下がっている「ダモクレスの剣」。ある
いは回転式拳銃に込められた実弾一発に賭ける、ロシアン・ルーレット。
 原発の安全性もまた運任せ。避難訓練付き装置など果たして人間のため
なのか。
 核廃棄物処理は数万年後に続く負債。
 「原発ゼロ」を現代で決済しよう。
       (11月3日東京新聞朝刊25面「本音のコラム」より)

〔291〕「JNN世論調査、内閣支持率35.4%で最低を記録」不支持率は62.2%ですね。

2020年08月04日 | テレビ・ラジオ・新聞
 東京もようやく梅雨が終わり、コロナ禍の猛暑の夏がやってきました。
 パソコンをいじっていたら、「JNN世論調査、内閣支持率35.4%で最低を記録」というニュースが飛び込んできました。やっぱりというか、とうとうといいか、まだというか、ですね。
 ご存じない方もいらっしゃると思いますので、一部を転載させていただきます。

■JNN世論調査、内閣支持率35.4%で最低を記録
8/3(月) 7:35配信
TBS系(JNN)

 最新のJNNの世論調査で、安倍内閣の支持率は35.4%と最低を記録しました。また、「GoToトラベル」キャンペーンについて聞いたところ、「使いたいと思わない」と答えた人が77%にのぼりました。

 安倍内閣を支持できるという人は、先月の調査結果より2.8ポイント減って35.4%でした。一方、支持できないという人は2.4ポイント増加し、62.2%でした。

 JNNでは2018年10月に調査方法を変更したため単純に比較はできませんが、先月に続いて第二次安倍政権発足後、最低の支持率を記録、不支持率が6割を超えたのも初めてです。

 新型コロナウイルスの感染防止に向けた政府のこれまでの取り組みについて、「評価する」は26%と、今年2月以降で最低の数字となりました。

 中でも、政府が先月22日から東京発着の旅行を対象外としてスタートさせた「GoToトラベル」キャンペーンの是非について聞きました。「評価する」が25%だったのに対し、「評価しない」は66%、キャンペーンを使いたいと思うかについては、「使いたい」は19%にとどまり、「使いたいと思わない」が77%に達しました。

 感染者の増加を受けて政府が緊急事態宣言を再び出すべきか聞いたところ、「出すべきだ」は61%、コロナ対応などを話し合うため早期に臨時国会を「開くべき」との声は8割に達しています。(以下略)


  そして、本日、2020年8月4日の朝日新聞夕刊の「素粒子」です。だめ押しですか。

■素粒子
感染拡大ニ目ヲツブリ/ソレデモ「GoTo」ナノカノ疑問ハ素通リ/閉会中審査ヘノ首相ノ出席ハ無視シ/憲法53条ニ基ヅク臨時国会召集要求ハ聞コエヌフリ/河井被告陣営ヘノ1億5千万円ニツイテノ説明ハオ茶ヲ濁シ/「モリ・カケ・桜」ノ説明責任ハ口先ダケ/ソウイウ政権ヲ/アナタハ支持シマスカ?
 ◎
政権各位、夏休み返上の子どもたちに恥ずかしくない?

〔284〕今度は、朝日新聞「『アベノマスク』を使っていますか?」と「腰越九条ニュース」です。

2020年07月19日 | テレビ・ラジオ・新聞
  前回の続きのようなブログです。朝日新聞の「be」に「『アベノマスク』を使っていますか?」というアンケートが掲載されたのは昨日、2020年7月18日のことでした。次のような書き出しです。

●政府が全世帯に2枚配布した布マスク、いわゆる「アベノマスク」。着用率が低いと予想してはいたものの、これほどとは。さらに驚かされたのがコロナ対策の総合評価です。辛口評価になるとは思いましたが、4人に1人が「0~9点」で、50点未満の“赤点”は全体の8割を占めました。安倍政権への不信が募っています。


 1863人の回答だそうです。
 驚くべき数字は、「はい」と答えた人がわずか5%で、「いいえ」が95%という事実です。
 「いいえ」の理由は次の通りです。

・小さい 913人
・使い捨てが入手できる 690
・無駄の象徴だから使いたくない 553
・首相以外であまり見たことがない 550
・ストックとして保管 513
・自家製で間に合う 428
・衛生面が不安 384
・洗うのが面倒 219

  「はい」の理由はわずかですが1つだけ挙げておきましょう。

・洗えば再使用が可能で環境によい 49

  最後にこんなコメントが紹介されています。

・安倍首相はアベノマスクを使い続けている。「最もコロナにかかってはいけないはずの首相が、小さな給食マスクをつけて指揮を執る無様さに泣けてくる」


  余談を1つ。以前にも紹介しましたが、生活クラブ生協が発行する「生活と自治」という冊子があります。その〔2020年7月号〕に辺見庸さんの「息ができない!」というコラムが連載されていますが、その冒頭は次のようでした。嗚呼。

「政府からマスクが2枚届いた。だれがこういうことを考えつくのか、さても面妖なことである。あらゆる見地からして到底受け入れがたい安倍首相の顔(凶相かつ貧相)が目に浮かび、そのマスクでわが口を覆うなどもってものほかだから、同居犬の糞つまみに一度使用してから捨てた。」


  はてさて、鎌倉の塚越敏雄さんからメールが送られてきました。「腰越九条ニュース」が添付されてきました。とても読みやすく、合点がいく内容でした。鎌田慧さんのコラムもどうぞお読みください。

●福田三津夫様
 いつもお世話になります。鎌倉の塚越です。
 「腰越九条ニュース」ができましたので添付します。
                 塚越敏雄 





 ◆懲りない原子力政策
  青森県六ヶ所村核燃料再処理工場は廃止すべき

鎌田 慧(ルポライター)

 声を大きくして言うしかない。わが故郷・青森県に建設されている、
県内最大の工場のことだ。
 建設開始から27年たったが、竣工式はまだ一度も行われていない。
竣工しないからだ。
 高レベル放射性廃棄物が、工場の最も重要な建屋に漏れて、汚染
されている。建設費は当初7000億円といわれたが、これまで3兆円を
かけた「未完工場」である。

 もっとも危険な核施設、使用済み核燃料の「再処理工場」は、稼働の
見通しはない。民間企業ではあり得ないが、税金と電気料金が無限に
注ぎ込まれている。
 「来年できます」「再来年には」ともう24回もウソをついてきた。
 3兆円ものムダな投資はやめようとの声はあがらない。
 日本原発行政の「扇の要」と位置づけられた「核燃サイクル」。
 絵に描いた餅のアンコの部分が再処理工場だ。

 この工場が運転停止になったのは、2009年。高レベル廃液をガラスと
混合してガラス固化体をつくる、高さ二十四メートルの
「ガラス固化セル」で、廃液が床上に漏洩しているのが発見されて
運転停止。危険性は福島第一原発事故後のメルトダウンで証明済みだ。
汚染された固化セルのなかには、誰も入れない。
 住民に影響がなかったのがせめてもの幸いだった。それから今日まで
停正したまま。
 それでもだれも廃止を宣言しない。
    (7月14日東京新聞朝刊25面「本音のコラム」より)

〔283〕朝日新聞「ワイドショーを見ていますか?」を読んで少しほっとしました。

2020年07月12日 | テレビ・ラジオ・新聞
 土曜日の朝日新聞に「be」という別刷がついてきます。土曜版とでもいうのでしょうか。最新の「be」に「ワイドショーを見ていますか?」というアンケート調査がありました。1770人の回答者数だそうです。次のような書き出しで記事は始まります。

●(be between 読者とつくる)ワイドショーを見ていますか? (2020年7月11日 朝日新聞)
 ここ4カ月ほど、コロナ問題一色だったテレビのワイドショー。巣ごもりで見る人が増え、一時視聴率も大きくアップしました。アンケートからは「わかりやすい」「どうでもいい話題を扱っている」など賛否両論が寄せられましたが、最近の政治ネタなどの扱いに期待する声も出ているようです。みなさんは見ていますか?


 読者の回答は、見ている人と見てない人が丁度半々でした。
 興味深かったのは、共感できる感想が数多く掲載されていることでした。

・芸能人の不倫を大騒ぎする姿勢にへきえきする。もっと他に報じるニュースがあるだろう。
・政治がひどくなるなか、当たり障りのないニュースでは物足りない。権力を批判するワイドショーのほうが面白くなった。
・政治やコロナについての疑問は本来公共放送のNHKが追求すべきだと思うが、その姿勢が感じられない。ワイドショーのほうが追求してる。
・コメンテーターの玉川徹さん、青木理さんらの政治批判が面白く、そうだ、そうだと納得。ぶれない姿勢とコメンテーターの歯切れのよさが好き。
・PCR検査がなぜ出来ないのかを本気で追求していない。
・国会で重大な話題があるのに、韓国のスキャンダルに何時間も時間を割いていた。

 どんな番組を見ている? という問いに対しては、次の番組が上げられていました。
・羽鳥慎一モーニングショー 465人
・ひるおび! 393人
・大下容子ワイド!スクランブル 299人
・情報ライブミヤネ屋 216人
・バイキング 211人
・スッキリ 151人
・とくダネ! 144人
・直撃LIVEグッディ! 98人
・ゴゴスマ 89人
・グッとラック! 86人

  3年前に私は以下のようなブログを書いたのでした。

●ブログ〔151〕「権力を監視し、不正を糺していく」情報番組を探してみました。
2017年08月01日 | テレビ・ラジオ・新聞
 数年前から、教育基本法改悪・戦争法・特定秘密法・共謀罪・原発再稼働などに反対するため国会などへの抗議活動に頻繁に参加するようになりました。数万人の集会にもかかわらず、マスコミの扱いは実に冷たいことも度々ありました。
 日本のマスコミははたして健全に機能しているのだろうかと疑問に思っていたときに手にしたのが、『「本当のこと」を伝えない日本の新聞 』(マーティン・ファクラー、双葉新書、2012年)という本でした。彼は元ニューヨークタイムズ記者でピュリッツァー賞次点にも輝いた人です。
 「情報寡占組織・記者クラブ」「検察当局と一体化する記者クラブ」などと見出しが躍っている本です。日本は「調査報道」でなく「発表ジャーナリズム」になっていると指摘しています。聞き慣れない「アクセス・ジャーナリズム」の必要性も説いているのです。
 次のようなことばが強く心に残っています。

「ジャーナリストとは、基本的に権力寄りであってはならない。権力の内側に仲間として加わるのではなく、権力と市民の間に立ちながら当局を監視し、不正を糺していく。」

 時あたかもNHK問題で籾井勝人前会長の言動が批判され国谷キャスター降板問題など起こっているときでした。また東京MXテレビの「ニュース女子」(1月2日放送)は運動に対するあからさまな攻撃で沖縄ヘイトと呼ぶべきものです。ここに出席した数人の評論家言動は許しがたいものでした。取材無し、決めつけ報道の典型であったと思います。こうした一連の流れは高市早苗総務相の電波停止発言に繋がるものです。

「権力の内側に仲間として加わるのではなく、権力と市民の間に立ちながら当局を監視し、不正を糺していく」テレビ番組がはたして日本にあるのでしょうか。比較的リベラルな報道番組を探し出してみました。


〔日曜日〕(東京での放送日)
・「サンデーモーニング」関口宏(司会)、岸井成格、青木理等、TBS系列で1987年10月4日から毎週日曜日の朝の時間帯に生放送されている関口宏が司会を務める報道番組。(ウィキペディア)
・「週刊報道 LIFE」BS・TBS日曜日の番組。21:00~22:00「次の世代へ」をコンセプトに、今の政治、経済、社会、国際情勢、スポーツなど、毎回一つのテーマにこだわって取材をし、人間の顔が見える報道情報番組を目指す。松原耕二(TBSテレビ報道局) (2015年4月 - ) 出水麻衣(TBSテレビアナウンサー) (2015年4月 - )解説、堤伸輔(ウィキペディア)
・「外国人記者は見た!日本inザ・ワールド」はBS-TBSの報道討論番組である。2015年10月7日より毎週水曜日放送されていたが、2016年10月2日からは『外国人記者は見た+日本inザ・ワールド』として日曜日22時から22時54分に放送時間が変更された。(ウィキペディア)パトリック・ハーラン、出水麻衣。

〔月〕〔火〕〔水〕〔木〕〔金〕
・「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日、月~金曜午前8時)として22年半ぶりに復活。アシスタントはテレビ朝日アナウンサーの宇賀なつみ。…玉川徹も続投するが、毎日出演することとなった。(ウィキペディア)
・「NEWS23」は、1989年10月2日よりTBSをはじめとしたJNN系列が生放送している平日最終版の報道番組である。 番組開始から2008年3月28日までは『筑紫哲也 NEWS23』として放送しており、初代メインキャスターを務めた筑紫哲也の冠番組であった。(ウィキペディア)星浩、雨宮塔子。
・「報道ステーション」は、テレビ朝日で2004年4月5日から月 - 金曜日の22時台に生放送されている帯の報道番組。 放送第1回目からハイビジョン、ステレオ音声で放送。47都道府県で地上デジタル放送が始まった事を受け、2006年12月4日から番組に連動させたデータ放送を開始した。(ウィキペディア)富永悠太、後藤謙次
・BS11の報道番組「報道ライブMOVE UP22」(毎週月曜~金曜)が、今夜4月4日の22時からスタート。別所哲也をメインキャスターに迎え、“未来志向”スタイルで22時台という報道激戦区に真っ向勝負していく。
 月曜から木曜のメインキャスターは別所。アシスタントキャスターとして、元テレビ東京アナウンサーの八塩圭子が月曜と火曜を、元札幌テレビアナウンサーで、NEWS24(日本テレビ系)のキャスターも務めていた中島静佳が水曜と木曜を担当する。金曜日は、日本総合研究所理事長の寺島実郎が司会となり、対談番組『寺島実郎の「未来先見塾」~時代認識の副読本』を放送する。(HPより)

〔土〕
・「激論」インタビューの巨人・田原総一朗が切り拓く新境地!現代日本の行方を徹底的に考える【出演者】田原総一朗 (ジャーナリスト)本間智恵 (テレビ朝日アナウンサー)
午前10:00~10:55(BS朝日、番組HP)
・「報道特集」善場貴子、金平茂紀、日下部正樹、TBS系列で、2010年4月3日から、毎週土曜日の17:30 - 18:50に生放送されている大型のニュース・報道ドキュメンタリー番組である。ハイビジョン制作、リアルタイム字幕放送。 2008年4月5日から2010年3月27日までは、『報道特集NEXT』として放送した。(ウィキペディア)


 NHKは忠実に政府の意向を報道しています。国民の関心が高い国会中継を放送をしないことも多いと感じています。体制に加担するだけのテレビになぜお金を払わなければならないのか、疑問に思う人が増えています。
 日本テレビ(読売系)、フジテレビ(産経系)はどちらかというと政府応援団のテレビ局です。森友・加計問題ではおもしろおかしくゴシップを中心に取り上げているという印象でした。

〔273〕ステイ・ホーム中は家のリフォームと並行して、カンパ活動に勤しみました。

2020年06月09日 | テレビ・ラジオ・新聞
 コロナ禍による外出自粛のステイホームでできることは限られています。これほど40年住み続けた家のリフォームに精を出したことは未だかつてありませんでした。台所の錆隠し、風呂場の汚れ落とし、外壁の亀裂隠しなど結構やることがあるものですね。成果が目に見えると嬉しいものです。次から次へとやるべき仕事が見つかるものです。その成果を自画自賛するのですが、どうやら妻には煙たがれているようです。
 そうこうしているうちに、これは素人では解決できないなと思う箇所がいっぱい出てきました。玄関の戸の歪み、畳の汚れ、床暖房の室外機の不調、20年間猫が荒らした柱や襖などです。40年に一度の専門家によるリフォームということにあいなりました。コロナで少なくなった仕事ができるということで業者の人も嬉しそうでした。

 さてもう一つ、市民活動も自粛中の今、取り組めるものがないか考えました。この長引くコロナ不況で倒産する会社が相次ぐなか、不要不急などと言われかねない活動が窮地に陥っています。私たちのところに様々なカンパ要請がありました。年金生活者の私たちですが、できることはしようということで、わずかばかりのカンパをすることにしました。
 朝日新聞と一緒に月2回届けられる小さな新聞「アサココ」に原爆の図美術館のカンパ要請が載っていました。ご存じの人が多いと思いますが、東松山市にある丸木位里・俊さんが描いた原爆の図などを所蔵する私立美術館です。2回ばかり訪ねたことがあります。初めて行ったときに丸木俊さんがいらして、カタログに鳩の絵とサインをしてくれました。
  この美術館は必ず残して後世に繋げていかなければならないものです。
 今日の朝日新聞夕刊(2020年6月9日)を見て驚きました。原爆の図美術館のカンパ要請の顛末が大きく報道されていたのです。カンパする人が4000人を超えたとあります。日本も捨てたものではないですね。
 「原爆の図 他者の痛みの扉」
 「4千人超から寄付/見たら前の自分ではいられない」
 「作品が持つ力 丸木美術館の岡村学芸員に聞く」
という見出しが躍ります。よかった、よかった。

 こんなところにもカンパしました。いずれも応援したい団体です。
・劇団風の子
・国境なき医師団日本
・福島原発刑事訴訟支援団
・たんぽぽ舎
・保坂展人と元気印の会
・「“かくり”の証言~長島愛生圓・邑久光明園から~」製作実行委員会
・原爆の図丸木美術館
・ウリの会
・茨木のり子の家を残したい会
・みずほと一緒に国会へ行こう会

  鎌田慧さんのコラムもどうぞ。


 ◆「責任」の責任
  うそと言い逃ればかり「セキニンガアル」と言うが、
  責任はとらない人
                  鎌田 慧(ルポライター)

 六ヶ所村(青森県)の木村きそさんは、県知事がテレビに出てくると
ハエ叩きで画面を叩いていた。半世紀前、失敗に終わった「むつ小川原
巨大開発」。反対運動のひとこまである。
 土地を奪われ犠牲になった農民は多い。

 いま、首相がテレビにでるとチャンネルを切り替える、というひと
たちがいる。こちらの方が平和的、というべきか。
 演技的なちいさなマスクをかけ、目に力のない、窮屈そうな表情を
みるだけで、気が滅入る。

 嘘つき呼ばわりされてきたが、理解力がたりなかったからのようで、
近づいてくる人間には小学校の土地を安くわけてやったり、
「腹心の友」には大学を創らせたり。外国へ行っては使いもしない
戦闘機を大量に買ってくる。
 諌(いさ)める側近がいないがための国民の不幸。

 と考えたりしていたが今回の黒川検事長の定年延長は「法務省が
提案した」と言い逃れ、本人の賭博行為が暴露されても最も軽い
訓告処分にしたのは自分ではない「法務省だ」と言い張ったり。

 それでも、「最終的には首相として当然責任がある」というのだが
「最終的に」「当然」の言葉をはさんで緩衝剤にする。
 これまでなんどもセキニンガアルと言った。が無責任のままに
終わった。
 昔の責任は自裁、ハラキリだったが野蛮にすぎる。
 いまは「受任」を辞める「辞任」である。
 それが人間的な良心というものだ。
    (5月26日東京新聞朝刊23面「本音のコラム」より)

〔272〕東村山「志村けんさんの町」に、無料バス「銀河鉄道」が走っています。

2020年06月04日 | テレビ・ラジオ・新聞
 新型コロナウイルスによるホームステイで、じっくりと新聞を読む毎日です。
 まずはテレビ欄を確認してから、1面の天声人語に目を落とすのが常です。昨6月3日、おやおや、近隣の東村山市のある人物のことが書かれているではありませんか。こんな書き出しでした。

●(天声人語)志村けんさんの町で(朝日新聞2020年6月3日)

 東京都東村山市にある「銀河鉄道」はいっぷう変わったバス会社だ。採算を度外視して「地域の足」役を買って出る。運転免許を返納した高齢者は1年間無料。東北の被災地へ幾度もボランティアを運んだ▼コロナ対策で新たに始めたのは、地元から都心へ通勤客を乗せる無料バスである。「わが社の経営も首の皮一枚。ですが皆が…(略)


 この記事の後半にはタレントの志村けんさんのことが書かれています。無料バスを運行する山本弘昭社長社長の生家は酒屋さんで、志村けんさんの実家は得意先だといいます。コロナに倒れた志村さんのことが心に強く彼の心に刻まれたようでした。
 さらに今朝、東京版にさらに詳しいこの無料バスの記事が出ていたのです。転載させていただくのはデジタル版の一部です。本文とは若干表記は変わっていますが、記者名は同じです。

●「いってらっしゃい」 日常戻るまで走り続ける無料バス(金子和史、2020年6月3日、朝日新聞デジタル版)

 新型コロナウイルスの感染を気にせず、安心して通勤してもらいたい――。そんな思いで、東京都東村山市から都心に毎日、無料バスを走らせる会社がある。3月の運行開始から2カ月半。緊急事態宣言が解除された後も、「感染リスクが減ったわけではない」と当面は運行を続けるという。
 5月26日早朝の西武新宿線東村山駅。大型バスに、新聞やコンビニの袋を手にしたマスク姿の乗客が次々に乗り込んでいった。
 この無料バスは、東村山市で路線バスや貸し切りバスを手がける「銀河鉄道」が3月から始めた。緊急事態宣言の解除から一夜明けたこの日は、20人を乗せたバスが、午前6時に出発し、約2時間かけて東京駅に到着した。「ありがとうございました」「いってらっしゃい」。乗客は運転手の言葉に見送られ、足早にオフィス街に向かった。
 品川区の金融会社で働く沢口泰晴さん(55)は「無料バスをやってくれる会社はほかにない。本当にありがたい」。ぜんそくや糖尿病を抱え、感染すれば重症化するリスクが高まるのではと不安だったという。
 港区の金融会社勤務の男性(53)もオンラインの決済システムを使うためにテレワークが難しく、週4回、このバスを使う。「宣言が解除されたとはいえ、バスの方が安心だ」
 無料バスは、山本宏昭社長(5…(略)


 私は小学校教師として33年間過ごしましたが、最後の6年は東村山の秋津小でした。退職してすぐに、東村山の市民バドミントンクラブ「チャレンジャー」に加入し現在に至っています。週1回、市のスポーツセンターに通うとき、銀河鉄道と行き交うことが多いのです。調べてみたら、このバス会社はスポーツセンターから目と鼻の先でした。
 なんだか嬉しくなって、ブログを書いた次第です。

〔271〕ようやく、〔27%ショック「底打った」「危険水域」与党動揺 石破氏「かなり厳しい」〕(毎日新聞)ですか。朝日は29%。

2020年05月24日 | テレビ・ラジオ・新聞
 朝日新聞で33%というという内閣支持率の数字が出たのは5月16,17日の世論調査でした。支持率の低下は安倍内閣が2018年に森友・加計問題への批判が高まったときの31%以来でした。安倍政権もはやここまでと思ったのですが、いやはや、それ以上の数字が毎日新聞に発表されました。〔27%ショック「底打った」「危険水域」与党動揺 石破氏「かなり厳しい」〕という見出しです。記事の一部を引用させていただきます。
 さらにさらに、5月25日(月)の朝日新聞では、「内閣支持 最低の29%」「不支持は52%」でしたね。まさに安倍内閣は危険水域に入りました。

●毎日新聞、会員限定有料記事 毎日新聞2020年5月23日 20時52分(最終更新 5月23日 23時43分)

 23日の毎日新聞世論調査で内閣支持率が27%に急落したことは、与党内の動揺を広げ、安倍政権のさらなる求心力低下につながる可能性がある。安倍晋三首相に近い自民党議員には「底を打った」と楽観する向きもあるが、30%を切ったことで「危険水域に入った。不支持率が19ポイントも上がったのは大変なことだ」(ベテラン議員)との見方も出ている。

 新型コロナウイルス対策の個人向け給付金の「限定30万円」から「一律10万円」への一変などを受け、首相官邸への与党の空気は冷ややかになっていた。国家公務員の定年を65歳に引き上げる法案の見直しを、首相が急に表明したことへの反発も強い。布マスク2枚の配布や、首相が自宅でくつろぐ動画公開などへの反発も重なり、自民執行部からも「国民の実態が分かってないんだろう。肌感覚がない」との声が漏れていた。 〔以下略〕


 それにしても、「国民1人に10万円支給」はどうなっているのでしょうか。
 さらに、今はどうでもいいと思うだけでなく、むしろ血税の無駄遣いは止めてもらいたいと多くの国民が思っているアベノマスクは、いったいどこを彷徨っているのでしょうか、嗚呼。
  朝日新聞の記事もどうぞ。


●内閣支持率29%、発足以来最低に 朝日新聞世論調査(朝日新聞)
2020年5月24日 22時00分

 朝日新聞社は23、24日に全国世論調査(電話)を実施した。安倍内閣の支持率は29%(前回5月16、17日は33%)で、2012年12月に第2次安倍政権が発足して以来、最低となった。不支持率は52%(同47%)に増え、5割を超えた。

 男性の支持率は33%で、女性は25%。特に50~60代女性の支持は2割以下で、7割近くが不支持と答えた。支持政党別では、自民支持層の内閣支持率は68%だったが、無党派層では14%にとどまった。第2次安倍政権のこれまでの最低支持率は、森友・加計問題への批判が高まった18年3月と4月の調査の31%だった。

 新型コロナウイルスに対する政府の対応を「評価しない」は57%にのぼり、「評価する」は30%だった。「評価しない」層の内閣支持率は14%と低かった。新型コロナ対応を通じて安倍晋三首相に対する信頼感が「低くなった」人は48%と半数に迫り、「変わらない」は45%、「高くなった」は5%だった。〔略〕

〔158〕「耳で聴くアウシュヴィッツ強制収容所・見学ツアー?荻上チキ渾身の取材報告」にしびれました。

2017年10月26日 | テレビ・ラジオ・新聞
  体調管理を兼ねて、週に1,2回、地域の市民体育館や中学校でのバドミントン練習に参加しています。帰宅は午後10時を回ることも多いのですが、車で必ずラジオをかけるのがTBS「荻上チキ・Session-22」です。荻上チキさんの知的で小気味よいトークが心地よく耳に届いてきます。どんな人かなと興味を抱いていたら、テレビ6チャンネルの「サンデー・モーニング」や5チャンネルの「朝まで生テレビ」にも時々出演していました。
  彼のことをお手軽にウィキペディアで調べさせてもらいました。

○荻上 チキ(おぎうえ チキ、男性、1981年11月2日 - )は日本の評論家・編集者。chikiというハンドルネームを持つ。特定非営利活動法人「ストップいじめ!ナビ」代表理事。テクスト論・メディア論を専門としている。『げんしけん』の登場人物「荻上千佳」(おぎうえ ちか)に因み荻上チキと称す。

  「荻上チキ・Session-22」は月曜から金曜までの夜10時から約2時間にわたって放送されているようです。番組案内を覗いてみます。

■荻上チキ・Session-22 月~金 22:00 - 23:55 (TBSラジオHPより)
発信型ニュース・プロジェクト~日本の新しい民主主義のためのプラットフォーム~
様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。 あなたもぜひこのセッションに参加してください。


  先々週のことでした。彼が、びっくりするような心引かれることを話していました。1週間の夏休みに、アウシュヴィッツ強制収容所に見学に行ったというのです。ガイドは日本人唯一人の中谷剛さんです。彼の許可を得て音声録音をしてきたのを翌週に放送するということでした。

○【音声配信】「耳で聴くアウシュヴィッツ強制収容所・見学ツアー?荻上チキ渾身の取材報告」ガイドは中谷剛さん▼2017年10月19日(木)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」)

  ラジオ番組でもいつでもパソコンで聴けるのですね。昨夜じっくり聞く時間がとれました。見学終了後の中谷さんへのインタビューも含めて、実に内容の濃い「取材報告」になっていました。ブログを読んでいただいてる皆様には是非ラジオ音声を聞かれることをお勧めします。

          https://www.tbsradio.jp/ss954/

  私が1番印象的だったのは、中谷さんの話として、ホロコーストが「ユダヤ人は出ていけ!」というヘイトスピーチから始まったということです。ある意味「民主的」にナチスが政権を奪い、大衆の熱狂的な支持の末にアウシュヴィッツ強制収容所があったということでした。そして、チキさんの話では、ここを訪れてから体制に対して何でもしっかり発言しなければいけないなと肝が据わったと言っていたのが忘れられません。

  実は私も数年前にここを連れ合いと訪れています。英語グループのガイドは若く美しいポーランド人でした。私にはことばははっきりと伝わってこなかったのですが、彼女の表情から思いはしっかりと届いていました。ユダヤ人、ロマ族、政治犯、同性愛者などの持っていた靴やカバン、髪の毛の山が脳裏から離れません。
  そして、訪問の翌日、列車に同席した若い日本人の女性がアウシュヴィッツ強制収容所を一人で訪れると話していたのに心打たれました。漫画家を志しているという人でした。
  その何年か後、連れ合いは友人3人で再びここを訪れています。この時は事前連絡して中谷さんにガイドをお願いしました。
  私たちの今までのドイツの旅では、ミュンヘンのダッハウ強制収容所、ベルリンのグリューネバルト駅(ユダヤ人などを各地に送った)、ヴァンンゼー会議記念館(ホロコーストの様々な決定を下したところ)などを訪ねました。ドイツ各地にユダヤ人の名前や日付などを記したプレートが道路に埋め込まれています。ドイツは国を挙げての加害の歴史を後世に伝えようとしていると実感できるのです。
  さて、平和憲法を持った日本はどこまで加害の歴史を伝えているでしょうか。教師だった自分も反省を込め忸怩たる思いでこれを書いています。

〔151〕「権力を監視し、不正を糺していく」情報番組を探してみました。

2017年08月01日 | テレビ・ラジオ・新聞
 数年前から、教育基本法改悪・戦争法・特定秘密法・共謀罪・原発再稼働などに反対するため国会などへの抗議活動に頻繁に参加するようになりました。数万人の集会にもかかわらず、マスコミの扱いは実に冷たいことも度々ありました。
 日本のマスコミははたして健全に機能しているのだろうかと疑問に思っていたときに手にしたのが、『「本当のこと」を伝えない日本の新聞 』(マーティン・ファクラー、双葉新書、2012年)という本でした。彼は元ニューヨークタイムズ記者でピュリッツァー賞次点にも輝いた人です。
 「情報寡占組織・記者クラブ」「検察当局と一体化する記者クラブ」などと見出しが躍っている本です。日本は「調査報道」でなく「発表ジャーナリズム」になっていると指摘しています。聞き慣れない「アクセス・ジャーナリズム」の必要性も説いているのです。
 次のようなことばが強く心に残っています。

「ジャーナリストとは、基本的に権力寄りであってはならない。権力の内側に仲間として加わるのではなく、権力と市民の間に立ちながら当局を監視し、不正を糺していく。」

 時あたかもNHK問題で籾井勝人前会長の言動が批判され国谷キャスター降板問題など起こっているときでした。また東京MXテレビの「ニュース女子」(1月2日放送)は運動に対するあからさまな攻撃で沖縄ヘイトと呼ぶべきものです。ここに出席した数人の評論家言動は許しがたいものでした。取材無し、決めつけ報道の典型であったと思います。こうした一連の流れは高市早苗総務相の電波停止発言に繋がるものです。

「権力の内側に仲間として加わるのではなく、権力と市民の間に立ちながら当局を監視し、不正を糺していく」テレビ番組がはたして日本にあるのでしょうか。比較的リベラルな報道番組を探し出してみました。


〔日曜日〕(東京での放送日)
・「サンデーモーニング」関口宏(司会)、岸井成格、青木理等、TBS系列で1987年10月4日から毎週日曜日の朝の時間帯に生放送されている関口宏が司会を務める報道番組。(ウィキペディア)
・「週刊報道 LIFE」BS・TBS日曜日の番組。21:00~22:00「次の世代へ」をコンセプトに、今の政治、経済、社会、国際情勢、スポーツなど、毎回一つのテーマにこだわって取材をし、人間の顔が見える報道情報番組を目指す。松原耕二(TBSテレビ報道局) (2015年4月 - ) 出水麻衣(TBSテレビアナウンサー) (2015年4月 - )解説、堤伸輔(ウィキペディア)
・「外国人記者は見た!日本inザ・ワールド」はBS-TBSの報道討論番組である。2015年10月7日より毎週水曜日放送されていたが、2016年10月2日からは『外国人記者は見た+日本inザ・ワールド』として日曜日22時から22時54分に放送時間が変更された。(ウィキペディア)パトリック・ハーラン、出水麻衣。

〔月〕〔火〕〔水〕〔木〕〔金〕
・「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日、月~金曜午前8時)として22年半ぶりに復活。アシスタントはテレビ朝日アナウンサーの宇賀なつみ。…玉川徹も続投するが、毎日出演することとなった。(ウィキペディア)
・「NEWS23」は、1989年10月2日よりTBSをはじめとしたJNN系列が生放送している平日最終版の報道番組である。 番組開始から2008年3月28日までは『筑紫哲也 NEWS23』として放送しており、初代メインキャスターを務めた筑紫哲也の冠番組であった。(ウィキペディア)星浩、雨宮塔子。
・「報道ステーション」は、テレビ朝日で2004年4月5日から月 - 金曜日の22時台に生放送されている帯の報道番組。 放送第1回目からハイビジョン、ステレオ音声で放送。47都道府県で地上デジタル放送が始まった事を受け、2006年12月4日から番組に連動させたデータ放送を開始した。(ウィキペディア)富永悠太、後藤謙次
・BS11の報道番組「報道ライブMOVE UP22」(毎週月曜~金曜)が、今夜4月4日の22時からスタート。別所哲也をメインキャスターに迎え、“未来志向”スタイルで22時台という報道激戦区に真っ向勝負していく。
 月曜から木曜のメインキャスターは別所。アシスタントキャスターとして、元テレビ東京アナウンサーの八塩圭子が月曜と火曜を、元札幌テレビアナウンサーで、NEWS24(日本テレビ系)のキャスターも務めていた中島静佳が水曜と木曜を担当する。金曜日は、日本総合研究所理事長の寺島実郎が司会となり、対談番組『寺島実郎の「未来先見塾」~時代認識の副読本』を放送する。(HPより)

〔土〕
・「激論」インタビューの巨人・田原総一朗が切り拓く新境地!現代日本の行方を徹底的に考える【出演者】田原総一朗 (ジャーナリスト)本間智恵 (テレビ朝日アナウンサー)
午前10:00~10:55(BS朝日、番組HP)
・「報道特集」善場貴子、金平茂紀、日下部正樹、TBS系列で、2010年4月3日から、毎週土曜日の17:30 - 18:50に生放送されている大型のニュース・報道ドキュメンタリー番組である。ハイビジョン制作、リアルタイム字幕放送。 2008年4月5日から2010年3月27日までは、『報道特集NEXT』として放送した。(ウィキペディア)


 NHKは忠実に政府の意向を報道しています。国民の関心が高い国会中継を放送をしないことも多いと感じています。体制に加担するだけのテレビになぜお金を払わなければならないのか、疑問に思う人が増えています。
 日本テレビ(読売系)、フジテレビ(産経系)はどちらかというと政府応援団のテレビ局です。森友・加計問題ではおもしろおかしくゴシップを中心に取り上げているという印象でした。

〔128〕〔「お笑い芸人対原発事故」おしどりマコケンの原発取材2000日〕に感激しました。

2017年02月08日 | テレビ・ラジオ・新聞
  「おしどり」マコ・ケンという夫婦のお笑い芸人を知っていますか。吉本興業に所属しながら異色の活動を続けるコンビです。
 私が初めて彼らのことを知ったのは、2015年11月の伊方原発反対行動に参加したときです。伊方原発現地での反対行動に続き、愛媛・松山公園での反原発大集会に合流しました。その集会の司会をしたのが彼らでした。お笑いで人々を引きつけ、客引きを狙っているのかなどと勘ぐったのですが、とんでもない! 彼らの原発知識は半端ではないことがそのことばの端々からうかがえたのです。(ブログ54参照)
  彼らの話をじっくり聞いたのはそれから1年後でした。2016年8月「福島を忘れない!全国シンポジウム・現地見学」の交流イベントでのことでした。彼らはたんなるお笑い芸人ではない、生きることに実に真摯な、尊敬すべき若者でした。(ブログ107参照)
  その彼らのドキュメントが放送されるという情報を得て、録画しました。真夜中の放送だったのです。しかも体制べったりの読売系の日本テレビでの放送というのが二度びっくりです。
  ドキュメントは、なぜ彼らが原発事故を調べるようになったのか、ドイツまで足を伸ばした徹底した取材活動の様子がそのメインです。「交流イベント」の映像で繋ぎながら伊方原発の司会の様子も垣間見えます。「交流イベント」では我々清瀬から参加した者たちの姿も映っていてびっくりでした。

*〔日テレサイト〕NNNドキュメント 放送:2月6日(月)0:55~1:50
「お笑い芸人対原発事故」おしどりマコケンの原発取材2000日
〔番組内容〕
 原発事故から6年、東電の会見の最多出席は、お笑い芸人「おしどり」のマコ・ケン夫婦。医学部中退のマコが場違いだとの声を猛勉強で乗り切り、きょうも事故の真相に迫る。
〔詳細〕
 福島第一原発事故から6年弱、東京電力が行ってきた記者会見の最多出席者はなんと、お笑い芸人「おしどり」のマコ・ケン夫婦だ。芸人が場違いだ、とのバッシングを猛勉強で乗り切り、鋭くしつこく追求し、世に出て来なかった幾つもの事実に光を当てた。東電の会見者らが何度も沈黙したりタジタジになる事も。医学部中退のマコちゃんは子ども達や原発作業員の健康問題を掘り下げ、得意の突っ込みでにっこり笑って原発事故を斬る。
〔再放送〕
2月12日(日)11:00~BS日テレ
2月12日(日)5:00~/24:00~CS「日テレNEWS24」

 
 現在ユーチューブでも視聴可能です。(繋がらないときは、サイトをコピーして検索してみてください。)彼らの大奮闘を何とか支持し、支援していきたいものです。清瀬の地にも来てもらって、話を聞きたいということが昨日話されたばかりでした。

      https://www.youtube.com/watch?v=1xsgo9eh3xM



〔104〕矢部顕さんに紹介された、BS番組「将校は、砂漠に木を植えた―インドに渡った隼戦闘機隊員―」は驚きの連続でした。

2016年08月06日 | テレビ・ラジオ・新聞
 ある日、1つのメールが入りました。ラボ教育センターの言語教育総合研究所でお世話になった元事務局長の矢部顕さんからでした。

〔7月16日(土)20:00~20:50 NHKBS1スペシャル「将校は、砂漠に木を植えた―インドに渡った隼戦闘機隊員―」杉山龍丸さんのことが放映されます。杉山龍丸さんは、私たちが学生の頃お世話になった方です。生涯をかけて、インドの砂漠を緑にしようとした方で、インドでは、「独立の父はマハトマ・ガンジー。緑の父はタツマル・スギヤマ」と言われている方です。〕

 この番組を録画しておいて、暫くして見てびっくりしました。主人公の杉山龍丸さんは、波瀾万丈の人生を送った素晴らしい人だったのです。私は再放送を期待しています。

■「将校は、砂漠に木を植えた~インドに渡った隼戦闘隊員~」(NHKのサイトより)
 インドの不毛地帯を農地に変えた1人の日本人がいる。杉山龍丸(1919-1987)。元日本陸軍の技術将校だ。戦時中、フィリピンで隼戦闘機隊の整備を担当、壊れた機体を執念で修理して飛ばし、“幽霊部隊”を作り上げた人物だ。戦後インドに渡った杉山は、自らの私財を投げ打って緑化に身を捧げた。その裏にあった思いとはなにか?戦時中の整備日誌など、膨大に残された記録から、戦争の大義を見つめた杉山の足跡をたどる。
                【出演】杉山満丸

 私がラボ教育センターに関わるようになってからの大きな収穫は、元会長の松本輝夫さんや元事務局長の矢部顕さんに出会ったことでした。そのあたりの顛末については、拙著『実践的演劇教育論』に詳しいので、読んでくださると嬉しいです。
 岡山在住の矢部さんとは今回のように時々メールの交換をする間柄です。
  矢部さんは、同志社大学で鶴見俊輔さんに師事し、学生仲間と一緒に奈良市にライ回復者社会復帰セミナーセンター「交流(むすび)の家」を数年かけて作ります。その後谷川雁の影響でラボ教育センターに就職することになるのです。ラボでは竹内敏晴さんをワークショップ、鶴見俊輔さんを講演会に招いたのも矢部さんです。
 竹内敏晴さんの講演が切っ掛けで呼ばれたラボ言語教育総合研究所の定例会の食事会後には、必ずコーヒーを一緒に飲むという間柄でした。
 そして、一冊の私家版『Fの遺伝子』が送られてきました。〔矢部顕作文集、2006~2015〕
様々な機関誌紙などに寄稿した者を集めたものです。私共夫婦のミニコミ「啓」に寄せていただいた文章も再録されています。市販されていないのが残念です。(168頁)

●『Fの遺伝子』もくじ
Fの遺伝子 
キイワードは不便
『あけぼの』コラム
演歌とは演説の歌 
まぼろしの「ラボランドたかはし」
出雲と会津
霊峰熊山の石積遺跡 
『「民際人」中浜万次郎の国際交流』の本が出来るまで 
講演記録 もうひとつのアメリカ 
谷川雁の物語論 
ライとラボと谷川雁 
「サークル主義」をめぐる雁と鶴
鶴見俊輔とラボ教育運動 
40年ののちの覚書 
再刊を願う人たちとの出会い
唐桑再訪 
唐桑紀行 
38年後の唐桑半島の風景 

 そして、 時々東京では視聴できない山陽放送のコピーがCD化されて送られてきます。矢部さんも登場されるシーンが多くありました。
 先日も、久しぶりに新横浜駅で対面し、話が尽きることはありませんでした。、

*RSKイブニングニュース特集「交流の家の半世紀-ハンセン病回復者との絆」2013.12
*RSKイブニングニュース特集「ハンセン病療養所の高校 最後の同窓会」2014.7
*RSKイブニングニュース特集「象の消えた動物園、鶴見俊輔さんとハンセン病」2015.10*メッセージRSK地域スペシャル「隔離された法廷-ハンセン病 司法の人権侵害」2016.6

     
 『Fの遺伝子』に掲載されている「講演記録 もうひとつのアメリカ」は矢部さんの博覧強記ぶりを遺憾なく示すものでした。その感動、共感を伝えたところ、下掲のようなメールが届きました。我々に突きつけられた大きな「問題提起」です。

■矢部顕さんからのメール

 福田三津夫様
                   ワークキャンプに関わってきたひとつの理由
                      「メノナイト(+アーミッシュ)の兵役拒否の歴史と思想」をめぐって
   
 福田さんにお読みいただきましたわたくしの講演記録「もうひとつのアメリカ—―メノナイト(+アーミッシュ)の兵役拒否の歴史と思想」は、於:京大会館と場所名は入れていますが、京大生に話したのではなく、京都の「自衛官人権ホットライン」というグループの集会での講演でした。このグループは鶴見俊輔さんがかかわってできたグループです。
 このグループの機関紙に掲載するために、グループの方がテープ起こしをしてくださったものです。

●ワークキャンプという方法
 福田さんに詳しくお話したことはないかもしれませんが、わたくしは学生時代から今日までフレンズ国際労働キャンプ(FIWC)という名称のワーク(労働)キャンプ団体にかかわってきました。このワークキャンプ運動にこだわってきたのは、いくつか理由がありますが、ひとつには、ヨーロッパやアメリカにおいては「良心的兵役拒否」者の受け皿としてワークキャンプが機能していたということを知って感激したからです。
 徴兵拒否が法的に認められている国では、徴兵の期間と同じ期間軍事的な仕事ではない仕事に従事する。その仕事とはワークキャンプに参加して平和的な建設的な労働に従事するのです。
 ワークキャンプの起こりは第1次世界大戦の直後にフランスのベルダン地方で戦争で破壊された町の復興のワークキャンプが最初です。クエーカーのピエール・セレゾールという人が、集団の力を戦争という破壊的な行為ではなく平和の建設のために使おうと、敵国同士だったヨーロッパの各国の青年たちに呼びかけたのが始まりです。
 日本には第2次大戦後、やはりクエーカーのアメリカフレンズ奉仕団(America Friends Service Committee・AFSC)が敗戦の復興支援としてワークキャンプという方法を持ち込みました。AFSCのワークキャンプに参加した日本の青年たちが、AFSCから分離独立してFIWCをつくりました。このころのリーダーに早稲田の学生だった筑紫哲也さんがいます。

●私の学生時代
  私たちの学生時代はベトナム戦争の時代で、世界的にベトナム戦争反対の運動が盛り上がった時代でした。日本でも「べ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)を中心として反戦平和運動がとても活発な時代でした。
  日本の米軍基地からベトナムに戦争に行く兵士たちに、脱走を呼びかけるチラシを撒いたグループがありました。ほんとうに米軍基地から脱走してきた兵士があらわれたのです。そこで、米軍と日本の警察に見つからないようにして脱走兵を別の国に逃がすことを主とした活動とする脱走兵支援グループができました。このグループの名前はJATEC(ジャテック・Japan Technical Committee for Assistance to U.S Anti―War Deserters=反戦脱走米兵援助日本技術委員会)といってべ平連の裏組織的なグループでした。
 『となりに脱走兵がいた時代―ジャテック、ある市民運動の記録』(思想の科学社、644頁、1998年5月初版)が発行されて、30年の年月を経て活動の全貌の一部が公になりました。
 この支援組織にかかわって彼らを匿って逃走の手助けをして私と同年代のアメリカ兵に接したとき、「私だったらどうするのか?」を問わざるをえませんでした。
  良心的兵役拒否の思想に興味を持ったのは、これがきっかけでした。ヨーロッパやアメリカには良心的兵役拒否の長い歴史があることを私は初めて知ったのです。
 ところで、米軍基地から脱走してきたアメリカ兵は徴兵制(当時アメリカには徴兵制があった)によって軍隊に加わったのですが、彼らはアメリカには良心的兵役拒否を法的に認める制度があることなど全く知りませんでした。

●今の時代
 安保法案成立や憲法改正論議の今、私たちの学生時代よりも、今のほうが日本において徴兵制の実現性が高いような気がします。兵役拒否の伝統が無い我が国ですが、クエーカーやメノナイトの歴史に学ぶべきだと思うのです。日本の人たちは、クエーカーやメノナイトの300年にわたる兵役拒否の長い歴史を知らなすぎます。
 ラボ国際交流でラボっ子のホームステイを受け入れてくれているグループにペンシルバニア州のメノナイトがありますが、ラボ事務局もラボ・テューターもメノナイトについて知らなすぎます。
 中国支部広島地区のテューターからの要望で、「メノナイトとは何か?」という講演をしたことがあります。その時のレジュメを添付します。A4で開いてください。
 広島在住のテューターのみなさんへの話ですので、戦後、広島の復興に尽くしたクエーカーの話をまず最初にしました。そして、クエーカーと同じような絶対平和主義の思想をもつメノナイトについて話したのです。レジュメですから、内容は想像していただくしかないのですが、今回、京都での講演記録をお読みいただいていますのでレジュメでも理解できると思います。
 以前お渡しした冊子『筑紫島に吹く風プラス』のほうには、わたくしの4回のペンシルバニア・メノナイト訪問についての印象記というかエッセイを収録していますので、すでにお読みいただいたことがあると思います。思想や信仰の自由を求めて新大陸アメリカに渡ってきた歴史をもっている彼らが、いま、どのような日常の生活をしているかを私が出会った人々をとうして描いたエッセイです。
                                                 2016.8.15矢部 顕


 

〔92〕2時間、BS朝日「それでも私は、デモに行く」に釘付けになりました。

2016年05月27日 | テレビ・ラジオ・新聞
  久しぶりに良いテレビ2時間番組を見ました。きっかけは、国会前の抗議集会の写真とともに掲載された、下掲の新聞記事でした。

●朝日新聞・試写室(2016年5月26日)ザ・ドキュメンタリー ★BS朝日 夜7・00
 「日本人とデモ」に向き合う
 5年前の東日本大震災で起きた東京電力福島第一原発の事故を契機に、日本で再びデモや集会が活発になった=写真。「それでも私は、デモに行く~ここは国会前。変わるかニッポン~」と題し、反原発デモに一家4人で通う家族や、90歳の男性らに思いを問う。
 昨年、安保法成立前に脚光を浴びた学生団体「SEALDs」のメンバーにもインタビュー。60年、70年安保を経験して今またデモに足を向けるシニア世代にもマイクを向けた。ブログ「保育園落ちた日本死ね川…」が共感を広げ、保育士の待遇改善を求めて初めてデモを企画した高校生もカメラの前で語り始めた。
 田原総一朗、加藤登紀子らも、自身の思い出とともに現在のデモについて語る。「デモに意味はあるか」との問いにも向き合った番組。   (後藤洋平)

 番組内容をもう少し詳しくBS朝日のサイトを調べてみました。

●BS朝日サイトより
5月26日(木)「それでも私は、デモに行く~ここは国会前。変わるかニッポン~」

 毎週金曜日、国会前で開催される反原発デモ。そこに参加するのは、家族連れから90歳の老人まで幅広い層。しかし、そのデモの列をよく見てみると、その多くが60代から70代のシニア世代である。60、70年安保を経験、挫折した彼らは再び国会前に集結した。番組では60年安保に参加したジャーナリストの田原総一朗や、その後の音楽人生に影響を与えた歌手の加藤登紀子など時代の証言者へのインタビューを交えながら、シニア世代が再び立ち上がった背景を検証していく。
 毎週金曜の反原発デモに5年間、1日と休まず、通い続ける90歳の男性がいる。なぜ彼は通い続けるのか?そこには彼自身しか語ることのできない青春時代の「ある記憶」があった。
 アーティストの坂本龍一から「(この国の)希望」と評された学生団体「SEALDs(シールズ)」。ツィッターなどのSNSを利用しながら彼らが確立した現代版デモとは?ファッショナブルな若者たちがなぜ「反戦」を叫ぶことになったのか?しかし、安保法制も施行された現在、シールズが打って出る次なるアクションとは?
 2016年現在、日本各地では新たなデモが続々生まれている。「保育園落ちた日本死ね」ブログへの共感から始まった「待機児童問題」は全国各地で様々なデモとなり国会での論戦も白熱。その中である高校生が「保育士目指しているの私だ」デモを一人で企画し立ち上げる。準備も不十分なたった一人の挑戦は果たして成功するのか!?それ以外にも日夜、ヘイトスピーチの抗議活動や労働問題に参加する大学生などに密着。なぜ人は路上で声を上げることをやめないのか?そして彼らの声が国会へ、そして私たちの社会へ、届く日はやってくるのか?

  見応えのある番組でした。早速この録画が流れていますが、閉鎖されてしまう可能性がありそうです。見たい方は早くアプローチすることを勧めます。
  この番組を見て、いろいろ考えさせられました。箇条書きにしておきます。

*〔デモには確実に意味があるということ〕安保法=戦争法でも、原発再稼働や沖縄辺野古基地移設でも、政権の意思と民意の乖離は甚だしいものがあります。例えば原発再稼働賛成が3割程度なのに、反対は常に5割を超します。政権と民意のねじれを埋める手段の1つがデモや集会ではないでしょうか。デモをやっても意味が無いとうそぶいていても何も始まらないのです。もちろん、運動の方法は様々であって良いのですが。
*〔60年、70年安保のデモが現在に繋がっているということ〕私は70年安保世代ですが、浅間山荘の連合赤軍事件ですべての運動が終わったなどというのは事実に反しています。あの事件がすべてを象徴しているわけではないし、その後労働運動や市民運動の場で様々な展開があったことを、我々シニア世代は語り継がなければならないのです。
*〔現在の国会前デモに集まる若者、シニア世代について〕若者たちが政治的無関心であるかのように感じるのは、残念ながら、体制側の「教育の成果」を示しているだけのことです。「見事に」若者だけではなく、国民全体の権力による体制内化が成功したのでしょう。でもドキュメントにあったように、シールズやママの会、一人で運動を始めた高校生など、新しい希望の芽生えがあることも事実です。彼らとシニア世代の連帯、学生と学者の提携など、様々な動きが始まっています。
*この番組では、金曜日の原発再稼働反対集会のとが大きく取り上げられていました。多少人数が減ってきていてもみんな「持続する志」で頑張っているという図でしたが、毎月19日の戦争法廃止国会包囲総がかり行動についてはあまり触れられてはいませんでした。このブログでも書いていますように、ここにはかなりの人数が集まっているということ、マスコミはもっと取り上げてほしいなと思うのです。

  7月10日(日)投票が予定されている参議院選挙の野党共闘に強く期待するものです。

〔68〕藤田嗣治の戦争画から見えてくる戦争責任とは何でしょうか。

2016年01月19日 | テレビ・ラジオ・新聞
 もう10年ほど前になるでしょうか、連れ合いとパリ市立美術館を訪れたことがあります。ここはマティスの「ダンス」や、デュフイの巨大な壁画「電気の妖精」があることで有名なところですが、私にとっては藤田嗣治の作品が所蔵されているということで足が向いたのでした。しかしながらその作品がある地階は改装中で鑑賞がかなわず、残念な思いをしてホテルに戻ってきたものでした。
 数年前に東京国立近代美術館で藤田の戦争画が展示されたことがあります。それまでは戦争画ということで長く非公開になっていました。その時に私は初めて藤田の戦争画を見ることができました。公開された数点の戦争画の中に「アッツ島玉砕」がありました。凄惨で壮絶な絵という印象が強く、なぜこれが戦意高揚のための戦争協力画なのかと不可思議に思いました。
 昨年の暮れから今年にかけてテレビで藤田のことが頻繁に取り上げられました。再び、藤田の戦争画とは何だったのか、考えさせられています。
 まずはテレビでどのように取り上げられたのか、概略を眺めてみましょう。

●画家・藤田嗣治の特集番組、「芸術と戦争」の関係を考察〔○○ニュース〕
 画家・藤田嗣治の特集が12月17日にNHK BSプレミアムの『英雄たちの選択』で放送される。
 『アッツ島玉砕~戦争と対峙した画家・藤田嗣治~』と題された同番組では、藤田が初めて自らの意思で描くことを選択した戦争画だという『アッツ島玉砕』にフォーカス。戦前フランスに渡り、自作のキャンバスを使用した「乳白色の肌」の裸婦像で高い評価を獲得した藤田が、軍の要請を受けて戦争画を描くに至った背景を検証するほか、戦争画を描くという藤田の選択を通して「芸術=メディア」と戦争の関係を考察する。
 さら軍医として最高位の軍医総監であった父や、陸軍大将の児玉源太郎を義兄に持つ藤田が家族や家庭環境から受けた影響にも光を当て、藤田の葛藤に迫る。
*2015年12月17日(木)20:00~21:00にNHK BSプレミアムで放送

 戦争画を描いた藤田は、子どものためのユーモラスな喧嘩の絵も描いています。

●「黒柳徹子のコドモノクニ」BS5
ピカソを驚かせた日本人!
藤田嗣治が描いた美と哀しみ

 1920年代のフランス・パリで、ピカソやモディリアニと共に活躍した日本人画家、藤田嗣治。日本画独特の技法と、油彩画を融合させた斬新な画風、その独特な乳白色の色使いは人々を魅了し、"乳白色のフジタ"と絶賛された。
 藤田嗣治は明治19年、4人兄弟の末っ子として東京・新宿に生まれる。家は代々、医者を生業としており、父は森鴎外の後任として陸軍軍医総監を務めた人物。当然、嗣治も、ゆくゆくは医者になることを期待されていた。しかし、5歳の時に母が急逝すると、嗣治は寂しさを紛らわすため絵を描くようになる。そして、その非凡な才能は大正2年、パリに留学して一気に開花。世界中の芸術家がパリに集まり、その才能を競い合った"黄金の1920年代"。藤田は誰もがうらやむ圧倒的な才能で、その作品は天才ピカソをも驚かせた。
 しかし、第二次世界大戦が始まると日本へ帰国。活躍の舞台を日本に移す。この頃、絵雑誌『コドモノクニ』にもユーモラスな童画を描いていた。その後、太平洋戦争が始まると、藤田は戦争画にも手を染める。中でも「アッツ島玉砕」は戦争画の名作といわれるが、戦後になると一転、戦時中に戦争を賛美した画家として糾弾されることになる。失意のもと日本を後にした藤田は、再びフランスへ…。そこで彼は、子どもたちをモチーフにした独特の作品を描き始めた。
 今回、藤田嗣治の世界を旅するのは、脚本家・作家として活躍する中江有里さん。ピカソを驚かせた藤田作品の秘密と、子どもたちを描いた藤田の思いに迫る!
【出演】中江有里

 さて戦争画に戻りましょう。藤田は14点の戦争画を描いています。すべて東京国立近代美術館に所蔵されています。東京国立近代美術館のサイトにはその作品一覧と、映像も掲載されています。題名や美術展名、タイトル、開催年なども合わせて確認してみてください。 

■東京国立近代美術館所蔵 (無期限貸与)藤田嗣治 戦争画一覧
1.哈爾哈河畔之戦闘(昭和16年、油彩・キャンバス・額 140.0×448.0cm)第2回聖戦美術展 (1941)
2.武漢進撃(昭和13-15年、油彩・キャンバス・額 193.0×259.5cm)第5回海洋美術展(1941)
3.南昌新飛行場焼打(昭和13-14年、油彩・キャンバス・額 192.0×518.0cm)第5回海洋美術展 (1941)
4.十二月八日の真珠湾(昭和17年、油彩・キャンバス・額 161.0×260.0cm)第1回大東亜戦争美術展 (1942)
5.シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)(昭和 17 年、油彩・キャンバス・額 148.0×300.0cm)第1回大東亜戦争美術展(1942)
6.○○部隊の死闘-ニューギニア戦線(昭和18年、油彩・キャンバス・額 181.0×362.0cm)第2回大東亜戦争美術展 (1943)
7.アッツ島玉砕 (昭和18年 油彩・キャンバス・額・1面 193.5×259.5)決戦美術展(1943)
8.ソロモン海戦に於ける米兵の末路(昭和20年、油彩・キャンバス・額 193.0×258.5cm)第2回大東亜戦争美術展(1943)
9.神兵の救出到る(昭和19年、油彩・キャンバス・額 192.8×257.0cm)陸軍美術展 (1944)
10.血戦ガダルカナル(昭和 19 年、油彩・キャンバス・額 262.0×265.0cm)陸軍美術展(1944)
11. ブキテマの夜戦 (昭和19年油彩・キャンバス・額・1面 130.5×161.5) 戦時特別文展陸軍省特別出品(1944)
12.大柿部隊の奮戦(昭和 19年、油彩・キャンバス・額 130.5×162.0cm)戦時特別文展陸軍省特別出品 (1944)
13.サイパン島同胞臣節を完うす(昭和20年 油彩・キャンバス・額・1面 181.0×362.0)戦争美術展(1945)
14.薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す(昭和20年、油彩・キャンバス・額 194.0×259.5cm)戦争記録画展(1945)

 藤田は当時ヨーロッパで最も知られた日本人画家で、日本の画家を代表して意気揚々と戦地に赴き戦争画を描いたようです。宮本三郎や小磯良平などの兄貴格でした。最初は戦地を俯瞰した絵がほとんどでした。確かに「アッツ島玉砕」から一段と迫力が増してきます。マクロからミクロの世界に瞬間移動したようでもあります。
 「アッツ島玉砕」は「アッツ島全滅」ではありません。アメリカ兵の屍の上に華々しく散った日本兵を描いたのです。展覧会に来た人びとがこの絵の前で涙を流しているのを見たとき藤田の画家としての思いは遂げられたようでした。藤田はこの絵が自身の最高傑作と思っていたようです。
  戦後、画家としての戦争責任を藤田が一身に背負わされて、日本を離れることになり、再び日本の地を踏むことはありませんでした。フランスに帰化しました。
  戦争という極限状態の中で、あのような仕事をした藤田をどう評価するのでしょうか。自分だったらどうしたでしょうか。…これからも藤田のことを考え続けようと思います。
  そして、いつか 映画「フジタ」を見なければと思っています。

●映画「FOUJITAフジタ」
 『死の棘』で第43回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ&国際批評家連盟賞をダブル受賞、『泥の河』『伽?子のために』『眠る男』など海外でも高く評価される小栗康平監督の、十年ぶりとなる最新作だ。パリで絶賛を浴びた裸婦は日本画的でもあり、大東亜の理想のもとに描かれた“戦争協力画”は西洋の歴史画に近い。小栗監督は「これをねじれととるか、したたかさととるか。フジタは一筋縄で捉えられる画家ではない」と語る。戦後、「戦争責任」を問われたフジタはパリに戻り、フランス国籍を取得。以来、二度と日本の土を踏むことはなかった。フジタは二つの文化と時代を、どう超えようとしたのか。
 フジタを演じるのは、韓国の鬼才キム・ギドク監督作品に出演するなど海外での活躍も目覚ましいオダギリジョー。フランスとの合作は本作が初めてである。映画の半分を占めるフランス語の猛特訓を受けて、見事にフジタを演じた。フジタの5番目の妻・君代役には、『電車男』『嫌われ松子の一生』『縫い裁つ人』などで名実ともに日本を代表する女優 中谷美紀。さらに、加瀬亮、りりィ、岸部一徳ら味わい深い個性派が集まった。フランス側のプロデューサーは、世界的大ヒットとなった『アメリ』のほか、アート系の作品も数多く手掛けるクローディー・オサール。静謐な映像美で描く、フジタの知られざる世界が現出した。