40年ほど前に清瀬市に引っ越してきてから、地域の市民運動で共に活動してきた先輩のKさんを囲む読者会が開かれるようになったのはここ数年のことです。この会は、普段一人ではなかなか手が出ないような、気になる本をみんなで読み合うという会です。課題図書はKさんが発案して私が承認し、仲間に呼びかけるというものです。皆さん忙しい日々を送っているということもあって、Kさんと私だけでも続けようと話し合っています。
かつてのブログにも報告しましたが、第1回は石牟礼道子『苦海浄土』(2018.11.28)、第2回は大岡昇平『野火』(2019.9.14)でした。そして今回、第3回は野間宏『真空地帯』(2020.2.22)ということになりました。参加者は6人でした。
そもそも私にとって野間宏といえば『狭山裁判』(岩波新書 1976)です。たしか雑誌『世界』に連載されていた「狭山裁判」が新書に収められたはずです。あの『真空地帯』の野間宏がなぜ「狭山事件」なのか、多少の驚きをもって歓迎したものです。というのはこの本が発刊された頃、丁度狭山市に引っ越したばかりだったのです。狭山事件関係の本を読みあさり、狭山事件の現地調査にも参加しました。
今回初めて『真空地帯』を手にしました。その感想は後に回すとして、まずはウィキペディアで『真空地帯』の概略をおさらいしておきましょう。
■ウィキペディアより
〔概要〕
1952年2月、河出書房から書き下し長篇小説として刊行され、毎日出版文化賞を受賞した。さらに、評価をめぐって、宮本顕治と大西巨人の論争のきっかけともなり、様々な文芸誌で批評の対象となった。
作者は、1941年、大阪歩兵第37聯隊歩兵砲中隊に入営後、フィリピンに送られるも、マラリアに罹って内地の陸軍病院に入院。その後、1943年、左翼運動の前歴を憲兵に詮索され、治安維持法違反容疑で軍法会議にかけられて、大阪陸軍刑務所に半年入所した。本作には、このような作者の体験が色濃く反映され、軍隊の苛烈な状況の頂点を敵と生死を分つ闘いを繰り広げる戦場ではなく、教育・訓練の場である「内務班」に求めた。
〔あらすじ〕
陸軍刑務所での2年間の服役を終え仮釈放となった木谷一等兵(上等兵から降等)は、敗色濃厚になりつつあった1944年の冬に古巣の大阪歩兵聯隊歩兵砲中隊に復帰する。木谷は聯隊経理室勤務の事務要員であったが、経理委員間の主導権争いに巻き込まれ、上官の財布を窃盗した疑いで軍法会議にかけられた。馴染みの娼妓から押収された木谷の手紙の一節は反軍的と看做され取調の法務官に咎められるのだった。刑務所での苦しい生活から解放されて戻ってきた中隊では、木谷を知る者は古い下士官しかおらず、内務班の兵隊は年次が下の現役古参兵と初年兵の学徒兵、それに応召してきた中年の補充兵ばかりであった。古参兵は野戦行の噂におびえ、学徒兵は慣れない兵隊生活に戸惑い、班内は荒れていた。
古参兵どもは木谷がどこから帰ってきたのか詮索しようとするが、本人が明かさないので、陸軍病院下番(退院)で少し頭がおかしいのだと思っている風であった。そのうち、どこからともなく陸軍刑務所に入っていたと分かり、しかも自分たちより軍隊生活の長い最古参の4年兵であったので、班内は奇妙な空気に包まれる。ある夜、班内でおおっぴらに監獄帰りと揶揄した初年兵掛上等兵を散々に打ちのめした木谷は、4年兵の権威をもって班内の全員を整列させ、「監獄帰りがそんなにおかしいのかよ」と喚きながら一人一人に次々とビンタを見舞うのだった。孤立状態のなか、木谷はもとの経理室の要員を訪ねるのだが、敬遠されてしまう。中隊事務室で人事掛の事務補助をしている曽田一等兵は、激しいリンチや制裁がまかり通る軍隊のことを一般社会から隔絶された「真空地帯」だと表現していた。
木谷を厄介者と見ていた中隊人事掛の立沢准尉は野戦要員の補充兵の父親から賄賂をもらって、木谷をその代わりとして野戦要員にしてしまう。その密談を立聞きしていた曽田一等兵から真相を聴いた木谷は荒れ狂い、中隊事務室で立沢准尉を詰問し、自分を刑務所に送った経理委員の中尉の居室を襲って殴り倒し、夜間脱柵をはかるのだった。連れ戻された木谷は中隊から追い出されるようにすし詰めの輸送船で戦地に向かった。
私が手に入れた『真空地帯』は岩波文庫版でした。奥付には1956年1月9日 第1刷発行、2017年12月15日 改版第1刷発行となっています。解説を含めれば600ページを超す長編小説です。本のトビラと解説の1部を抜き書きします。
■野間宏『真空地帯』(岩波文庫)
(トビラ)
空気のない兵隊のところには、季節がどうしてめぐってくることがあろう――条文と柵とに縛られた兵営での日常生活は人を人でなくし、一人一人を兵隊へと変えてゆく…。人間の暴力性を徹底して引き出そうとする軍隊の本質を突き、軍国主義に一石を投じた野間宏(1915‐91)の意欲作。改版。(解説=杉浦明平・紅野謙介)
〔あとがき〕野間宏
・「私は軍隊にいたとき、この軍隊とここに生きる日本人を書かなければならないと考えていた。」
・「再軍備をすすめようとする力とたたかい、それを打破らなければならないと思った。」
〔解説①〕杉浦明平
・「初めてストーリーに貫かれた小説に達しえたのである。」
・(未解決な問題)木谷も曽田も孤立してたたかっている…。組織的抵抗をもちえなかった戦時下日本の現実…
〔解説②〕紅野謙介
「たしかに兵営には空気がないのだ。それは強力な力によってとりさられている、いやそれは真空管というよりも、真空管をこさえあげるところだ。真空地帯だ。ひとはそのなかで、ある一定の自然と社会をうばいとられて、ついには兵隊になる。」284頁
軍隊組織の内務班や役職についての知識が乏しく、さらに多くの人物が登場するという煩雑さもあり、読み始めはなかなか物語に集中できませんでしたが、主人公の木谷が本当に金銭をくすねたのか、なぜそうであったのかという謎解きの要素もあり、ぐいぐい引きつけられていきました。とりわけ最終7章が圧巻でした。監獄送りにされた真相、その事実が発覚したときに木谷が取った逆リンチ対応、最後には戦地送りの悲劇が待っているのでした。
本を読んでの私の問題関心はつぎの2点でしたが、いずれも否定的な感想を披露しました。
*ここで描かれる内務班は果たして「真空地帯」なのかどうか。
*ここでの内務班組織で起こる陰湿な事件は日本独特のものなのか。
映画「ハンナ・アーレント」で「悪の凡庸」ということばが提起されました。ホロコーストを主導したアイヒマンを、イスラエルで取材したアーレントは極悪非道の人間という捉え方をせずに、世間から大いなるバッシングを浴びたのです。極限の戦争状況に於ける人間の行動とはどういうものなのかを考えさせてくれたのでした。
この問題の周辺を考える上でとても参考になったのが「立命館言語文化研究27巻1号」の内藤由直論文「野間宏『真空地帯』と国民国家論」でした。大西巨人や佐々木基一と野間の論争、その政治的背景、野間の文体など興味深い考察が続きます。大西の、軍隊は社会の縮図であって、軍隊・兵営は特権的な場では無いという「俗情の結託」論に共感させられます。
ここで紹介されている西川長夫『国民国家論の射程』(柏書房2012)という本を是非読んでみようと思っています。
もう1つ考えたいのが、杉浦明平の「木谷も曽田も孤立してたたかっている…。」という指摘です。しかし小説にここまで求めるのが妥当なのかという疑問もわきます。それよりは遙かに興味深いのは木谷という生き方ではないでしょうか。内藤由直氏は「矯正され得ない木谷の肉体」と書いていますが、まさに魅力的な木谷の存在(竹内敏晴流にいえば「からだ」)がこの小説の主題なのではないでしょうか。
いずれにしても今回の読書会も興味深い話し合いになりました。Kさんから野間の処女作『暗い絵・顔の中の赤い月』を早速借りてきました。次回をどうするか、早速話しているのです。
最後に姜尚中のこんな文章も見つけました。昨日丁度、神戸教諭いじめ事件の報告が市教委の外部調査委員会からなされたのでした。
■姜尚中、神戸教諭いじめ事件で「思い出される戦後文学『真空地帯』」
教諭4人が同僚に暴力や嫌がらせを繰り返す──。神戸市須磨区の東須磨小学校で、教員間暴力という一見すると信じがたい事件が起きました。事件の異常性、幼稚さ。一方でそれが教育現場で起きているということに、多くの人が驚きを隠せませんでした。
現在も調査中でこの事件の全容はまだわかりませんが、報道されている情報を見ていると、思い出されるのは野間宏の戦後文学の金字塔的作品『真空地帯』です。『真空地帯』は、軍曹以下一兵卒たちが一緒に生活を共にする「内務班」を舞台にした小説です。この内務班のなかで、古参兵が一兵士をいたぶり、しごき、リンチまがいなことをする、いわゆる「かわいがり」のシーンがあります。『真空地帯』は半世紀以上前の文学ですが、どうも今回の小学校での事件を見ていると、一連の暴力や被害者の教師のプライバシーを全部奪い取るような所業が、この古参兵と一兵士に重なります。
統制管理型の文部行政の最先端に位置している現在の学校は、人事採用、人脈、派閥、上下関係、こういう様々な問題が凝縮されています。学校の職員会議で一体みんな何を話していたのか。そこは自由な言論空間でなかったのか。学校の中で抑圧移譲が行われていたとしたら、まさに『真空地帯』の内務班そのものです。
今後、閉鎖的な学校をオープンにするために民間出身の管理職を入れようという議論が起こるかもしれません。しかし、学校は株式会社とは違い、ガバナンスでは仕切れない場所です。今の民営自由化の流れでCEO型の管理職を増やしていくと、皮肉なことに学校はもっと管理強化に向かう可能性があります。
加害者を叩くことやCEO型の管理職を増やすことだけでは問題は解決しないでしょう。求められているのは、いかにしてきめ細かく、チェック&バランスと見える化を図るか。たとえば人事採用ならどういう理由でこの人を採用したのか。その理由について可能な限り第三者に可視化できるようにしていく。今後は生徒の保護者も含め、こういうようなチェック&バランスで可視化を進めていくしかないと思っています。
※AERA 2019年10月28日号
かつてのブログにも報告しましたが、第1回は石牟礼道子『苦海浄土』(2018.11.28)、第2回は大岡昇平『野火』(2019.9.14)でした。そして今回、第3回は野間宏『真空地帯』(2020.2.22)ということになりました。参加者は6人でした。
そもそも私にとって野間宏といえば『狭山裁判』(岩波新書 1976)です。たしか雑誌『世界』に連載されていた「狭山裁判」が新書に収められたはずです。あの『真空地帯』の野間宏がなぜ「狭山事件」なのか、多少の驚きをもって歓迎したものです。というのはこの本が発刊された頃、丁度狭山市に引っ越したばかりだったのです。狭山事件関係の本を読みあさり、狭山事件の現地調査にも参加しました。
今回初めて『真空地帯』を手にしました。その感想は後に回すとして、まずはウィキペディアで『真空地帯』の概略をおさらいしておきましょう。
■ウィキペディアより
〔概要〕
1952年2月、河出書房から書き下し長篇小説として刊行され、毎日出版文化賞を受賞した。さらに、評価をめぐって、宮本顕治と大西巨人の論争のきっかけともなり、様々な文芸誌で批評の対象となった。
作者は、1941年、大阪歩兵第37聯隊歩兵砲中隊に入営後、フィリピンに送られるも、マラリアに罹って内地の陸軍病院に入院。その後、1943年、左翼運動の前歴を憲兵に詮索され、治安維持法違反容疑で軍法会議にかけられて、大阪陸軍刑務所に半年入所した。本作には、このような作者の体験が色濃く反映され、軍隊の苛烈な状況の頂点を敵と生死を分つ闘いを繰り広げる戦場ではなく、教育・訓練の場である「内務班」に求めた。
〔あらすじ〕
陸軍刑務所での2年間の服役を終え仮釈放となった木谷一等兵(上等兵から降等)は、敗色濃厚になりつつあった1944年の冬に古巣の大阪歩兵聯隊歩兵砲中隊に復帰する。木谷は聯隊経理室勤務の事務要員であったが、経理委員間の主導権争いに巻き込まれ、上官の財布を窃盗した疑いで軍法会議にかけられた。馴染みの娼妓から押収された木谷の手紙の一節は反軍的と看做され取調の法務官に咎められるのだった。刑務所での苦しい生活から解放されて戻ってきた中隊では、木谷を知る者は古い下士官しかおらず、内務班の兵隊は年次が下の現役古参兵と初年兵の学徒兵、それに応召してきた中年の補充兵ばかりであった。古参兵は野戦行の噂におびえ、学徒兵は慣れない兵隊生活に戸惑い、班内は荒れていた。
古参兵どもは木谷がどこから帰ってきたのか詮索しようとするが、本人が明かさないので、陸軍病院下番(退院)で少し頭がおかしいのだと思っている風であった。そのうち、どこからともなく陸軍刑務所に入っていたと分かり、しかも自分たちより軍隊生活の長い最古参の4年兵であったので、班内は奇妙な空気に包まれる。ある夜、班内でおおっぴらに監獄帰りと揶揄した初年兵掛上等兵を散々に打ちのめした木谷は、4年兵の権威をもって班内の全員を整列させ、「監獄帰りがそんなにおかしいのかよ」と喚きながら一人一人に次々とビンタを見舞うのだった。孤立状態のなか、木谷はもとの経理室の要員を訪ねるのだが、敬遠されてしまう。中隊事務室で人事掛の事務補助をしている曽田一等兵は、激しいリンチや制裁がまかり通る軍隊のことを一般社会から隔絶された「真空地帯」だと表現していた。
木谷を厄介者と見ていた中隊人事掛の立沢准尉は野戦要員の補充兵の父親から賄賂をもらって、木谷をその代わりとして野戦要員にしてしまう。その密談を立聞きしていた曽田一等兵から真相を聴いた木谷は荒れ狂い、中隊事務室で立沢准尉を詰問し、自分を刑務所に送った経理委員の中尉の居室を襲って殴り倒し、夜間脱柵をはかるのだった。連れ戻された木谷は中隊から追い出されるようにすし詰めの輸送船で戦地に向かった。
私が手に入れた『真空地帯』は岩波文庫版でした。奥付には1956年1月9日 第1刷発行、2017年12月15日 改版第1刷発行となっています。解説を含めれば600ページを超す長編小説です。本のトビラと解説の1部を抜き書きします。
■野間宏『真空地帯』(岩波文庫)
(トビラ)
空気のない兵隊のところには、季節がどうしてめぐってくることがあろう――条文と柵とに縛られた兵営での日常生活は人を人でなくし、一人一人を兵隊へと変えてゆく…。人間の暴力性を徹底して引き出そうとする軍隊の本質を突き、軍国主義に一石を投じた野間宏(1915‐91)の意欲作。改版。(解説=杉浦明平・紅野謙介)
〔あとがき〕野間宏
・「私は軍隊にいたとき、この軍隊とここに生きる日本人を書かなければならないと考えていた。」
・「再軍備をすすめようとする力とたたかい、それを打破らなければならないと思った。」
〔解説①〕杉浦明平
・「初めてストーリーに貫かれた小説に達しえたのである。」
・(未解決な問題)木谷も曽田も孤立してたたかっている…。組織的抵抗をもちえなかった戦時下日本の現実…
〔解説②〕紅野謙介
「たしかに兵営には空気がないのだ。それは強力な力によってとりさられている、いやそれは真空管というよりも、真空管をこさえあげるところだ。真空地帯だ。ひとはそのなかで、ある一定の自然と社会をうばいとられて、ついには兵隊になる。」284頁
軍隊組織の内務班や役職についての知識が乏しく、さらに多くの人物が登場するという煩雑さもあり、読み始めはなかなか物語に集中できませんでしたが、主人公の木谷が本当に金銭をくすねたのか、なぜそうであったのかという謎解きの要素もあり、ぐいぐい引きつけられていきました。とりわけ最終7章が圧巻でした。監獄送りにされた真相、その事実が発覚したときに木谷が取った逆リンチ対応、最後には戦地送りの悲劇が待っているのでした。
本を読んでの私の問題関心はつぎの2点でしたが、いずれも否定的な感想を披露しました。
*ここで描かれる内務班は果たして「真空地帯」なのかどうか。
*ここでの内務班組織で起こる陰湿な事件は日本独特のものなのか。
映画「ハンナ・アーレント」で「悪の凡庸」ということばが提起されました。ホロコーストを主導したアイヒマンを、イスラエルで取材したアーレントは極悪非道の人間という捉え方をせずに、世間から大いなるバッシングを浴びたのです。極限の戦争状況に於ける人間の行動とはどういうものなのかを考えさせてくれたのでした。
この問題の周辺を考える上でとても参考になったのが「立命館言語文化研究27巻1号」の内藤由直論文「野間宏『真空地帯』と国民国家論」でした。大西巨人や佐々木基一と野間の論争、その政治的背景、野間の文体など興味深い考察が続きます。大西の、軍隊は社会の縮図であって、軍隊・兵営は特権的な場では無いという「俗情の結託」論に共感させられます。
ここで紹介されている西川長夫『国民国家論の射程』(柏書房2012)という本を是非読んでみようと思っています。
もう1つ考えたいのが、杉浦明平の「木谷も曽田も孤立してたたかっている…。」という指摘です。しかし小説にここまで求めるのが妥当なのかという疑問もわきます。それよりは遙かに興味深いのは木谷という生き方ではないでしょうか。内藤由直氏は「矯正され得ない木谷の肉体」と書いていますが、まさに魅力的な木谷の存在(竹内敏晴流にいえば「からだ」)がこの小説の主題なのではないでしょうか。
いずれにしても今回の読書会も興味深い話し合いになりました。Kさんから野間の処女作『暗い絵・顔の中の赤い月』を早速借りてきました。次回をどうするか、早速話しているのです。
最後に姜尚中のこんな文章も見つけました。昨日丁度、神戸教諭いじめ事件の報告が市教委の外部調査委員会からなされたのでした。
■姜尚中、神戸教諭いじめ事件で「思い出される戦後文学『真空地帯』」
教諭4人が同僚に暴力や嫌がらせを繰り返す──。神戸市須磨区の東須磨小学校で、教員間暴力という一見すると信じがたい事件が起きました。事件の異常性、幼稚さ。一方でそれが教育現場で起きているということに、多くの人が驚きを隠せませんでした。
現在も調査中でこの事件の全容はまだわかりませんが、報道されている情報を見ていると、思い出されるのは野間宏の戦後文学の金字塔的作品『真空地帯』です。『真空地帯』は、軍曹以下一兵卒たちが一緒に生活を共にする「内務班」を舞台にした小説です。この内務班のなかで、古参兵が一兵士をいたぶり、しごき、リンチまがいなことをする、いわゆる「かわいがり」のシーンがあります。『真空地帯』は半世紀以上前の文学ですが、どうも今回の小学校での事件を見ていると、一連の暴力や被害者の教師のプライバシーを全部奪い取るような所業が、この古参兵と一兵士に重なります。
統制管理型の文部行政の最先端に位置している現在の学校は、人事採用、人脈、派閥、上下関係、こういう様々な問題が凝縮されています。学校の職員会議で一体みんな何を話していたのか。そこは自由な言論空間でなかったのか。学校の中で抑圧移譲が行われていたとしたら、まさに『真空地帯』の内務班そのものです。
今後、閉鎖的な学校をオープンにするために民間出身の管理職を入れようという議論が起こるかもしれません。しかし、学校は株式会社とは違い、ガバナンスでは仕切れない場所です。今の民営自由化の流れでCEO型の管理職を増やしていくと、皮肉なことに学校はもっと管理強化に向かう可能性があります。
加害者を叩くことやCEO型の管理職を増やすことだけでは問題は解決しないでしょう。求められているのは、いかにしてきめ細かく、チェック&バランスと見える化を図るか。たとえば人事採用ならどういう理由でこの人を採用したのか。その理由について可能な限り第三者に可視化できるようにしていく。今後は生徒の保護者も含め、こういうようなチェック&バランスで可視化を進めていくしかないと思っています。
※AERA 2019年10月28日号