後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔403〕熊を殺して肉をいただくけれど、魂は帰ってくださいと、祈るのがアイヌの熊祭りです。(矢部顕さん)

2021年09月28日 | メール・便り・ミニコミ
 ブログ〔401〕の続編です。矢部顕さんはまさに文化人類学者ですね。

●福田三津夫様

小学校6年生の授業で、毎年「国際理解教育・異文化理解教育」の時間を担当
させていただいています。
(以前にレジュメをお送りしたことがあると思います)

そのなかで、「ことばと文化」について話すときに、日本語の「いただきます」は
英語では何というでしょうか?と訊ねます。
ALTに教えてもらったかな?とも。

そもそも「いただきます」とは誰に言っているのでしょうか? と訊きますと
ご飯をつくってくれた「お母さん」とか、お米を作ってくれた「お百姓さん」
という答えが返ってきます。

「どちらも違います」、「魚を食べているときには、お魚さんあなたの命を
いただきます」「お米を食べて、お米さんあなたの命をいただきます、
との意味なのです」
動物や植物の命をいただいて、人間は生きているからです、と。

日本人は、動物や植物と人間は同じ世界にいると考えるからで、キリスト教の
文化圏ではそうではないのです。神がいて、人間がいて、動植物がいる、みな
世界が違うのです。神は人間世界より上にいて、動植物は下の世界にいるのです。
だから、英語には日本語の「いただきます」という言葉は無いのです。

こんなことを毎年お話しています。

仏教も日本にくると、「山川草木悉皆成仏」(山も川も草や木も、人間もみんな
成仏するのです)という言葉があるように、変化しているのです。
とまでは話しませんが。

おっしゃるように、アイヌの熊祭りも同じですよね。
熊を殺して肉をいただくけれど、魂は帰ってくださいと、祈るのですよね。

矢部 顕

〔402〕ついに『小さい水の精』『小さいおばけ』でオルフート・プロイスラー「全踏破」です。

2021年09月28日 | 図書案内
  コロナ禍での楽しみのひとつは今まで読みたくてもその機会がなかった本を手に入れてじっくり読み込むことです。私の「守備範囲」はおもに教育・社会・政治・演劇・文化に関する書籍や、小学校教師だったということもあって児童書にも良く手が伸びます。
  児童書としては日本人作家の作品以外にも外国の作家も好きです。とりわけ贔屓にしているのがミヒャエル・エンデ、ロバート・ウェストール、オルフート・プロイスラーです。 教職についてすぐにはまったのがドイツ作家のエンデとプロイスラーです。2000年頃からはイギリスのウェストール作品を片っ端から読み始めました。ウェストールの「弟の戦争」という児童劇が切っ掛けでした。以前のブログに書いていますので興味のある方は探してみてください。
  この3人の物語は一部を除いてほぼ全作品を読み尽くしました。

  ところがプロイスラー作品で手が出なかったのが10年かけて書いたという『クラバート』でしたが、以前のブログにありますようにこの長編もようやく読み切りました。最後に読み残していたのが処女作の『小さい水の精』でした。近隣のブックオフ巡りをしていたとき目の前に突然現れたのがこの本でした。以前に買っておいた『小さいおばけ』と合わせてプロイスラー「全踏破」と相成ったわけです。
  プロイスラーは小学校の元教師だったこともあり親近感がわきました。さらに、『小さい水の精』の翌年に書いた『小さい魔女』が劇団四季のミュージカル「魔法をすてたマジョリン」の原作と思われるので興味を持って手にしたのを覚えています。余談ですが「魔法をすてたマジョリン」をおそらく初めて演じたのが近隣の清瀬小学校の子どもたちでした。清小の教師集団が潤色し、音楽を採譜して上演し、それが評判となって東京の小学校に広まったのです。
  『小さい魔女』はドイツのブロッケン山の魔女伝説が元になったお話です。『小さいおばけ』は『小さい魔女』の10年後ぐらいに発表された作品です。現在はどうかわかりませんが、小学校3年生に教科書にも掲載されていたということで、多くの読者をもつことになりました。自分の子どもたちに語って聴かせたという『小さい水の精』より遙かにこなれた作品になっています。
  興味深かったのは『小さい水の精』と『小さいおばけ』の翻訳者、はたさわゆうこ(畑澤裕子)さんは清瀬の明治薬科大学でドイツ語の非常勤講師をされているということです。何かの縁を感じますね。
  プライスラーの3部作「大どろぼうホッツェンプロッツ」を再読しようとして孫たちにあげてしまったのを思い出しました。取り返すしかありませんね。嗚呼。

〔401〕「定年帰農者」のお米つくりとブドウつくり⑲ 「礼肥(おれいごえ)」とは極めて日本人的な言い方です(矢部顕さん)

2021年09月28日 | メール・便り・ミニコミ
●矢部顕様
 メールありがとうございました。
 おれいごえという言葉、初めて知りました。アイヌ民族なども必要以上に動植物を採らないという掟があって、人間(アイヌ)が狩った動物などに祈りを捧げるというようなことがあったように記憶していますがどうだったでしょうか。
 話は変わりますが、日本人は食事の時に「いただきます。」と言いますが、それは「命をいただきます。」だという説がありますが、どこかで矢部さんの話と関連しているのでしょうか。ドイツでは「いただきます。」に代わる言葉は、「召し上がれ。」(グーテン・アペティートゥ)と言うそうです。
 メールごとにいろいろいつも考えさせられています。福田三津夫

●福田三津夫様

「定年帰農者」のお米つくりとブドウつくり
⑲「礼肥(おれいごえ)」とは極めて日本人的な言い方です

ブドウの収穫をほぼ終えました。今年の天候は異常気象が日常化したとはいえ、
なんとか例年通りの収穫を得ることが出来ました。





この時期に肥料を散布しますが、その肥料は「礼肥(れいひ・おれいごえ)」と
言います。栽培技術指導書を読んでも「礼肥」と書いてあります。

この季節の肥料は、ほんらいは樹勢回復と貯蔵栄養分の蓄積が目的なのですが、
ブドウをたくさん生らしてくれてありがとうと、樹に感謝する言い方なのです。

ブドウの樹にたいして収穫をいただいたお礼をするというのは、きわめて日本人的
だと思いませんか。
植物も動物も人間も同じ世界に存在するという考え方は、古来からの日本人のもの
ですよね。

矢部 顕