後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔496〕「とんでもない 安倍国葬」反核・反戦イロハネット(吉田隆さん)をじっくり読んでみましょう。

2022年07月22日 | メール・便り・ミニコミ
 吉田隆さんの反核・反戦イロハネット(346号)が届きました。安倍氏国葬が国民には相談もなく一方的に閣議決定されたようですが、本日国葬反対の集会が国会前で開かれました。岸田さんは本当に国民の声を聴く耳を持っているのでしょうか。
 まずは反核・反戦イロハネットをお読みください。

◆反核・反戦イロハネット     ( No-346)      2022/7.21
NO NUKES nor ABC NET     拡散歓迎  吉田 隆 (080)5420-6977

とんでもない!安倍国葬
岸田内閣は、早々と閣議決定で安倍国葬を決め、既成事実化すべく着々と準備を始めている。
 戦後の日本で国葬は吉田茂総理のみである。歴代の首相は自民党のとの合同葬が多く、国葬にはしていない。安倍氏を国葬にするには、安倍政権が大きく評価されなくてはならない。多くの国民にとってそのような存在だったのか。熊本日日新聞の調査によれば賛成42%に対し、反対は49%である。安倍政権の評価が大きく割れる中で、国葬を一方的に決めることは、現政権のための「死の政治利用」、「政治の私物化」以外の何物でもない。
  とりわけ、統一教会をめぐる闇は大きく、山上事件を契機に鮮烈にクローズアップしている。その闇を解明するどころか、蓋をするような「国葬」決定は到底容認できない。

はじめに
  統一教会は、その関連組織を含めて、長年にわたり日本の政界に幅広く浸透しており、特に第2次安倍政権以降、政界工作を活発化させていた。その実態は依然定かでないことも多いが、今回の事件を契機に幾ばくかは明るみになった。
ここでは、重要ないくつかのことについて記したい。

▼沿革
「統一教会」(現在の正式名称は「世界平和統一家庭連合」、かつての「世界基督教統一神霊協会」)は、1954年に韓国で教祖・文鮮明(ムン・ソンミョン)が創設した団体である。
58年に日本へ進出、翌59年には日本統一教会が設立され、64年には宗教法人の認証を受けている。
その後、教団は、反共産主義を掲げる関連政治組織・国際勝共連合(1968~)を通じて、自民党を中心とした保守系政治家に接近し、秘書や運動員を派遣するなど、活発な政界工作を行った。

▼安倍晋三と統一教会「三代にわたる濃厚な関係」
  安倍晋三氏の祖父である岸信介元首相は、首相公邸として使っていた建物を教団本部として使用させたほど、文教祖や教団と友好関係にあった。2代目の安倍晋太郎元外相は、統一教会員を自民党国会議員に対して秘書としてあっせんし、各議員を教団のセミナーに勧誘していたという。教団は自らの費用で大々的に秘書講習を受けさせ、自民党に潜入、支えた。
  紆余曲折はあれ、教団の政治進出が特に強まったのが、安部晋三の時代といわれる。憲法改正を掲げ、左翼批判を強めていた安倍氏は、選挙支援などで、統一教会への依存を強め、統一教会との共存共栄関係を築いていったのである。
  政治家対策を担うUPFジャパンの梶栗正義会長は国際勝共連合会長就任前の17年8月、韓国での幹部集会で、韓鶴子総裁にこう報告している。
「最近、日本は雰囲気が変わってきました。以前、勝共連合の活動が活性化していた時と同じような、その当時は200名を超える議員たちがご父母様に侍っていたのですが、その時と同じような雰囲気が近づいています」
  かくて、UPFが福岡で開催したイベント「祖国郷土還元日本大会」に、当時官房長官だった安倍氏が祝電を送ったり、保守系団体の会合や野外イベンに昭恵夫人とともに参加、統一教会関連団体幹部と親しくなったという。
その後の安倍氏は、急激に教団との距離を縮めていく。12年安倍氏が政権を奪取すると、自民党議員の中には、選挙の際に「組織票」となり、選挙支援スタッフを派遣してくれる教団に依存する動きもおこる。
▼統一教会の選挙支援や強固な結びつき
2013年の参院選において、統一教会が全国の信者へ出した「通達」の中には、祖父・岸信介氏の恩人の孫で、安倍晋三氏肝いりの候補者への「後援」を「首相からじきじき」に「依頼」された旨の記述がある。教団の支援を受けて当選している議員は、今年の参院選挙でもいる。
  教団やフロント団体のイベントに、安倍氏の側近を含む、多数の自民党国会議員の来賓が確認されている。2016年に、UPFが創設した「世界平和国会議員連合」の日本創設式典には、当時の閣僚5人を含む、100名以上の国会議員(代理出席の秘書含む)が出席している。また、統一教会と関係の深い議員が多数、閣僚や副大臣などに登用されている。
  また、教団2世信者組織による安倍政権支持を訴える街宣活動が全国で行われたほか、複数の教団幹部が秘密裏に首相官邸へ招待されていたことも明らかとなっている。
2021年9月12日、韓国の教団施設で開催された大規模オンライン集会に、安倍氏がリモート登壇し、韓総裁を礼賛する映像が配信された。その翌月、梶栗正義・国際勝共連合兼UPFジャパン会長は、安倍氏との関係について、「温めてきた信頼関係がある」とし、文教祖や教団会長を歴任した父親(梶栗源太郎氏)時代から、岸、安倍との三代にわたる「付き合い」を誇っている。

▼岸、安倍を貫くもの
  岸、安倍を貫くものは強固な反共思想と権力志向である。周知のとおり、岸は戦犯として逮捕され巣鴨プリズンに収監された。しかし、うまく立ち回り、GHQに利用価値を見込まれ不起訴で釈放された。その後、CIAから渡された多額の資金を活用し、日本の保守政権中枢にのし上がっている。
一方、韓国は北朝鮮に対抗する反共国家としてつくられ、CIA・韓国CIAの指導の下に独裁が長く続いた。統一教会は韓国の大財閥をバックにそうした中で作られ発展した。宗教理念は異なるが似たもの同士である。

  そして、鎌田慧さんのコラムです。

◆寝た子を起こすな
  安倍元首相の「国葬」
  大がかりに国民を動員しようとする政治的利用主義

鎌田 慧(ルポライター)

 ロシアのウクライナ破壊攻撃は止まる気配はなく、新型コロナ
ウイルスの勢いは第七波、1日の感染者は大きく増えている。
 この閉塞感のなかで安倍元首相への襲撃事件が発生した。6日後の
14日、岸田文雄首相は突然、秋に「国葬を行う」 と発表した。
 「憲政史上最長の8年8カ月にわたり卓越したリーダーシップと
実行力」というのが、 国葬の理由のようだ。

 先週のこの欄でも書いたが、安倍政治は多数を恃んで、議会制民主
主義を空疎なものにした。身内を優遇したスキャンダルでボロボロ。
 米国との「核共有」など「平和国家」を誓った戦後の出発を否定
する、軍事強化にむかってきた。長いだけが取りえなのか。

 病気によって、二度も内閣を投げ出し、支持率も最後のころは30%
台だった。それでもなおかつ国葬を強行するなら、死を内閣の補強材に
利用するセレモニーの意味合いが強まる。

 大がかりに国民を動員しようとする政治的利用主義は、静かに霊魂を
追悼する儀式にふさわしくない。
 慰霊はそれぞれの個人の心の動きであって、膨大な国費を使って、
反対を押し切り政治力で強行されるべきではない。悲しみの総動員体制
は、靖国神社を思わせる。
 死者に対する批判がようやく鎮まろうとするとき、寝た子を起こす
ような、仰々しい行事への強制は、逆効果でしょうに。
     (7月19日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)

 ◆日本外交と政治の正体<449>
  安倍元首相の国葬は行うべきでない
  国葬にしなければならない理由は見つからない
  安倍退陣直前の支持率は34%(支持する)と47%(支持しない)だった

                        孫崎 享

 岸田首相が安倍元首相の葬儀について「本年秋国葬として行う」と
述べた。松野官房長官は会見で、国葬とするにあたっての明確な基準を
問われると、
1.安倍氏が憲政史上最長の首相であること
2.選挙遊説中に銃撃を受けて亡くなったこと
3.国内外から幅広い哀悼・追悼の意が寄せられたこと −
などを指摘した。

 政府内では当初、「国葬」の形式にするのは難しいとの見方があった
といわれている。
 戦前の国葬令は1947年に失効した。1967年に吉田茂元首相の国葬を
閣議決定で行ったが、 1980年に死去した大平正芳元首相以降は、政府と
自民党が共催する「内閣・自民党合同葬」が主流となった。

 任務遂行中に亡くなったことから言えば、大平氏は現役の時の選挙
期間中に容体を悪化して亡くなっている。重みは現職の死亡の方が重い。
 今回の安倍氏の銃撃事件で、殺人容疑で送検された山上容疑者の殺害
理由は、「旧統一教会への恨み」であり、政治的動機ではないとされて
いる。従って選挙中に殺害されたものの、政治目的のテロで殺害された
わけではない。安倍首相の民主主義や自由主義への姿勢が理由だったの
ではない。

 こうしてみてくると、「国葬」にしなければならない理由は、なか
なか見つからない。
 読売新聞は「国葬、当初は“国民総”軸に検討…首相が慎重論退け
る」の見出しで報じたが、その中に、「国葬の決定には、自民の国会
議員の約4分の1にあたる93人が所属する安倍派への配慮もある」との
記述があった。時事通信も「異例の対応で、安倍氏を支えた保守層への
配慮を示す狙いがある」と報じている。

 安倍氏が銃殺されて以降、大手メディアでは、コメントは
 1.哀悼の意を表すること
 2.称賛は惜しまないこと
 3.批判はしないこと − を方針としてきた。
 従って、安倍氏への批判はほとんどなく、批判は違和感を持って
迎えられる。

 しかし、少し前に時間をずらしてみよう。安倍氏が退陣表明直前の
内閣支持率は、NHKの調査によると、「支持する」が34%で、「支持
しない」が47%であった。
 つまり、仮に銃殺がなかったとすれば、国民は安倍氏を「評価
する」より、「評価しない」が多かったのである。
 岸田首相が党内運営を最重視し、国民の意思を軽視する時、思わぬ
批判増に直面する可能性がある。
            (7月20日発行「日刊ゲンダイ」より)

〔495〕本日発売!『結(ゆい)・祈りの彫刻-リーメンシュナイダーからシュトース』の内容と目次を少し詳しく紹介します。

2022年07月22日 | 図書案内
 いよいよ本日『結・祈りの彫刻-リーメンシュナイダーからシュトース』が発売されます。私どもが運営しているアマゾンの「猫家族」もいよいよ解禁になりました。
 ブログ〔492〕で簡単な出版案内はしましたが、詳しく内容について触れませんでしたので、今回は目次をそのまま転載します。
 出版社で〔内容紹介〕を書いてくれたようですが、字数の関係でしょうか「中世後期のドイツで活躍した彫刻家たち」列伝を掲載しているという記述が省略されています。本邦初紹介の彫刻・絵画写真が多数掲載されているのはその通りなのですが、これだけまとまってドイツゴシック後期の彫刻家について詳述された文献はないと自負しています。我々が足を運んで作品をこの目で見て、さらに奮闘努力してドイツ語文献のカタログを連れ合いの福田緑が読み解きました。
 日本はもとよりドイツの研究者でもドイツゴシック後期の彫刻をこれだけ訪ね歩いている人はいないと思います。多くのドイツ研究者が語ってくれたことで自慢できることです。
 巻頭に『結(ゆい)』を付したのは既刊4巻を総括するという意味合いが含まれています。1巻を除いてほぼ写真集に徹したのですが、本巻は作家列伝や「お薦めの美術館・博物館および教会」など文章記述も充実させました。
  「リーメンシュナイダーからシュトース」という副題は、2人の作家は同時代のライバル関係にあり、代表する存在だからです。表紙はリーメンシュナイダー、裏表紙はシュトースの代表作で飾りました。
 是非手にとっていただきたいと思います。



◆『結・祈りの彫刻-リーメンシュナイダーからシュトース』(福田緑・福田三津夫、丸善プラネット、220ページ、2022年7月出版)

〔内容紹介〕
リーメンシュナイダーを入り口に、中世ドイツの彫刻家を写真集4巻にわたって紹介してきた著者が、これまで掲載が叶わなかった傑作の数々を、所蔵元との交渉を重ね満を持して届ける「特別掲載アルバム」。現地へ誘う所蔵元情報も盛りだくさん。
〔目次〕
*第I部 所蔵館別 特別掲載アルバム
ニュルンベルク ゲルマン国立博物館 
バンベルク バンベルク大聖堂
ミュンナーシュタット 聖マリア・マグダレーナ教会

*第II部 彫刻家別 特別掲載アルバム 
ニコラウス・ゲルハールト・フォン・ライデン Niclaus Gerhaert von Leyden
ミヒャエル・パッハー Michael Pacher
ダニエル・マウホ Daniel Mauch
 
*第III部 中世後期のドイツで活躍した彫刻家たち
ハンス・ムルチャー Hans Multscher  
ニコラウス・ゲルハールト・フォン・ライデン Niklaus Gerhaert von Leyden
ミヒャエル・パッハー Michael Pacher
ミヒェル・エーアハルト Michel Erhart
グレゴール・エーアハルト Gregor Erhart
ファイト・シュトース Veit Stoß
エラスムス・グラッサー Erasmus Grasser
アダム・クラフト Adam Kraft
ペーター・フィッシャー(父) Peter Vischer der Ältere
ティルマン・リーメンシュナイダー Tilman Riemenschneider
ダニエル・マウホ Daniel Mauch
ハンス・ラインベルガー Hans Leinberger
オットーボイレンのマイスターはハンス・トーマン?
マイスターH.L.はハンス・ロイ? Ist Meister H.L. Hans Loy?
ペータ・デル(父) Peter Dell der Ältere

第IV部 祈りの彫刻を歩く お薦めの美術館・博物館および教会

第V部 資料編
*リーメンシュナイダー覚え書きなど

〔著者略歴〕
福田 緑(フクダ ミドリ fukuda midori)
福田 緑 1950年生まれ 1972年東京学芸大学卒業 東京・板橋区を皮切りに33年間小学校教師として勤務 2005年3月退職 2019年10月 第22回自費出版文化賞特別賞を受賞
福田 三津夫(フクダ ミツオ fukuda mitsuo)
福田 三津夫 1949年生まれ 1972年東京学芸大学卒業 東京・北区を皮切りに33年間小学校教師として勤務 2005年3月退職 同年、第46回演劇教育賞受賞 1991年から20年間「演劇と教育」編集代表 埼玉大学(2006〜2015)・白梅学園大学(2012〜)で非常勤講師を歴任