後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔745〕袴田事件の次は狭山事件ですね。再審無罪を勝ち取りましょう。

2024年11月15日 | 図書案内

  70年代の後半に埼玉県狭山市に引っ越しました。新規入居した狭山台ハイツは狭山事件現場に囲まれた地点に位置していました。石川一雄さんの家、犯人を取り逃がしたお茶畑、被害者が殺害された畑にとり囲まれたようなところでした。
 月に1回ぐらいだったでしょうか、狭山事件の現地見学会が開かれ、参加しました。石川さんは間違いなく無罪だなと確信したのは、石川さんの小さな家に入ったときでした。警察が3度目の捜索で、入口すぐの鴨居の上から、脅迫状を書くのに使われた万年筆が発見されたというのです。
  鴨居は小学生でも手が届く低いところでした。捜査の専門家の刑事が見逃すはずはありません。しかも脅迫状のインクの色と違っていました。脅迫状は、ほとんど学校に通っていなかった石川さんに書けるはずがありません。稚拙を装った比較的学識の高い者の仕業と思われます。

 袴田さんに続いて、石川さんの再審無罪を勝ち取りたいものです。

  最後に、くまもと「狭山事件」を考える住民の会の学習資料と、「止めろ!東電福島放射能汚染水海洋投棄!!」のパンフレットを紹介します。


〔744〕「小学校5年生は総合学習の時間にお米つくりをしています。」(矢部顕さんのお便り)

2024年11月15日 | メール・便り・ミニコミ

   矢部顕さんからいつものようにお元気なメールでの便りが届きました。

福田三津夫様

●小学校5年生は総合学習の時間にお米つくりをしています。
11月5日、稲刈りをして竿掛けをして、天日干しをした後、
11月11日、足ふみ脱穀機で脱穀し、唐箕で選別をしました。
籾摺をしたところ玄米60kgの収穫がありました。

写真を添付します。
私は稲作体験を指導する農家のおじいさんなのです。

●また、11月13日は、小学校6年生の亀山城跡清掃と歴史講話
がありまして、八丈島から贈られた蘇鉄を見ながら講話を
聴いてもらったその演題は「八丈島赦免花伝説」でした。
講話をする人は亀山城跡保存会事務局長の私でした。

レジュメを添付します。

●11月15日(土)は小学校の体育館で、五次元キーボードを駆使して、
ひとりでオーケストラの演奏をするコンサートがあります。
タイトルは「宇喜多家をめぐる歌物語」。
曲目は、宇喜多直家によせて、秀家によせて、豪姫によせて、などで
作曲も彼がしています。

●11月17日(日)には、亀山城跡プレーパーク(冒険遊び場)を開催します。
プレーパーク運動は、デンマークから輸入されたとのことで、その導入には
門脇厚司さん(『子どもの社会力』岩波新書著者、かつてラボで一緒に仕事
をさせてもらった)も関わっていたとのことです。

プレーパークというカタカナが気に入りませんが、なんのことはない、
私が子どものころに亀山城跡の林で遊んでいた遊びの再現です。

ということで、10月の忙しいお米の収穫作業が終わったと思ったら、
このところ、上記のような活動で忙しくしています。

矢部 顕


亀山城跡保存会子どもクラブ(浮田小学校6年生)
亀山城跡清掃と歴史講座
                      八丈島赦免花伝説
                      ―亀山城に移植された蘇鉄に花が咲いた―

                                                                        2024.11.13.
                                                              亀山城跡保存会事務局長
                                                                       矢部 顕

1. 八丈島から蘇鉄が贈られてきた
  ①贈り主 宇喜多秀家顕彰会「八丈島久福会」
  ②植樹式 2019年(令和元年)10月14日 
  ③蘇鉄に花が咲いた 2019年11月

2. 八丈島赦免花伝説
  ①秀家遠島(1606年)以降、260年間で1898人が流罪で八丈島へ島流し
  ②宗福寺(秀家菩提寺)の蘇鉄に花が咲く―赦免状が届く前触れ
  ③文政年間69人、天保年間41人、弘化年間64人、嘉永年間34人、・・・
   計10回 計741人に赦免状が届いた
  ④しかし、秀家、その末裔には赦免状は届かなかった
  ⑤明治政府による明治元年の恩赦によって

3. 加賀前田家の支援
  ①豪姫の八丈島への同行は許されず、実家の加賀前田家に戻った
  ②豪姫の秀家への食料支援の計画は、徳川から最初許されなかった
  ③豪姫のキリスト教棄教が条件だった
  ④江戸時代260年間、前田家は食料を送り続けた
    日本の歴史上たぐい稀な出来事

4. 宇喜多家の家老・明石掃部
  ①謎のキリシタン武将  黒田官兵衛の影響?
  ②城下の民2000人?を洗礼
  ③豪姫のキリスト教への帰依は?
  ③秀家を支えた後までも
  ④大坂の陣にキリシタン武将として参戦
   
5. 秀家生誕450年を記念して
  ①子どもの交流
    秀家生誕の地の浮田小学校と秀家終焉の地の
            八丈島大賀郷小学校との交流が始まった     
  ②360年の時空を越えた
     生きた歴史が続く