後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔749〕1日目の続き、西福寺・龍谷寺を巡りました。〈雲蝶の旅 その3〉

2024年11月26日 | 美術館・博物館鑑賞

  雲蝶観光の最大の目玉はなんと言っても西福寺です。永林寺からの車移動は容易かったです。赤や黄色の紅葉を楽しみながら車を走らせました。信号が少なく、車もまばらなのでのんびりしたものです。意外と制限速度は50㎞が多かったです。
  西福寺の駐車場にはすでに2台の車が置いてあり、すぐに観光バスが到着し、その賑わいはかなりのものでした。


  駐車場脇の鐘楼の彫刻に早速目が行きました。小林源太郎の秀作です。その向こう側にお目当ての開山堂が鎮座していました。向拝は雲蝶の傑作です。しばし写真撮影に勤しんで、観光客を避けるようにおもむろに受付に向かいました。

  見どころはなんと言っても開山堂の内部です。スイッチで音声が流れる仕組みになっています。
  圧倒的な迫力の彫刻は、2体の仁王像と天井の「道元禅師猛虎調伏の図」、なるほど「越後のミケランジェロ」の面目躍如といったところです。いくつかのグループをやり過ごし、ゆったり椅子に佇んでいました。 

 ここで拝観券と写真集(大判、60頁,2000円)を紹介しましょう。

  この日はもう一箇所、小雨がぱらつく中、龍谷寺を目差しました。

 龍谷寺の訪問客は我々のみ。寺の行事と重なりつつも雲蝶作品まで導いてくれました。雲蝶が手がけたのは欄間2枚、裏にも超絶技巧の深彫りが施されていました。ただ、部屋の中が薄暗くて、よく見えなかったのが残念なことでした。

  清瀬に戻ってきて、また西福寺に行かなくてはと思ったのは、いずれも雲蝶作の火除け地蔵と「寒山拾得」と「羅漢様と虎」の絵を見落としてきたからでした。何事も1回行っただけではわかりませんね。


〔748〕1日目、いきなり雲蝶彫刻のハイライト、永林寺・西福寺・龍谷寺を巡りました。〈雲蝶の旅 その2〉

2024年11月26日 | 美術館・博物館鑑賞

  雲蝶が江戸から越後にやって来て、最初に滞在し、彫刻の仕事に着手したのは本成寺(三条市)とその塔頭群だったようです。その本成寺は残念ながら火災(放火と言われている)に遭い消失しました。雲蝶の作品はほぼ塔頭に残るだけです。
 雲蝶の活動舞台はその本成寺と永林寺及び西福寺(魚沼市)です。永林寺と西福寺は最も多く雲蝶作品が残る場として拝観の目玉です。

  第1日目は永林寺と西福寺、そして雲蝶作品の貴重な欄間を残す龍谷寺を巡りました。
  優雅で美しい天女像で有名な永林寺には、雲蝶は13年間滞在し、百数点の彫刻、絵画を残しています。雲蝶ファンにとっては垂涎の寺なのに、しんしんと冷える寺には我々の他だけもいませんでした。しばらくして2組の観覧者がありましたが。
  まずはパンフレットと購入した小冊子(34頁、500円)を紹介しましょう。

  「建物内の撮影は一切禁止」です。外国の美術館・博物館は私的利用に限りほぼ撮影は許されています。昨年再訪したルーヴルや大英博物館しかりです。限定箇所での撮影が許可されるなど、少しずつ日本も変わってきていますがね。
  ここの雲蝶作品の数は半端ではありません。パンフによればその数は25を数えます。どういう並びになっているのか、順番が定かではありません。しかし、誰もいないのを幸いに、順番通り、あっちに行ったりこっちに行ったり、右往左往しました。でも充実感はたっぷり、雲蝶は凄い!  天女像は雲蝶の最高傑作の1つですね。


  この永林寺の本堂は雲蝶がプロデュースした最後の現存する建物だそうです。
  『私の恋した雲蝶さま』(中島すい子、現代書館、2014年)を再読することにしましょう。著者は南魚沼市在住の観光ガイド、運寵愛に溢れるエッセイ集と言えます。魚沼地区の雲蝶作品を中心に語っています。

  西福寺・龍谷寺については次のブログに掲載します。