逆順の天皇史 平安の天皇たち
120代 仁考天皇 在位 1817年~46年 29年間
在位中年号 文化・文政・天保・弘化
父 光格天皇
120代 仁考天皇 在位1817年~46年 29年間
仁考帝の生きた時代は、幕末前の一時の一見平和な時代だ。
徳川家は、あの子だくさんで有名な家斉の時代だ。年表を確認すると、天保の飢饉や水野忠邦の改革の時代で、大塩平八郎の乱くらいで大乱は見当たらない。
在位前半は、父光格上皇の院政の時代で仁考帝の個性をうかがう材料は少ない。父の皇室の諸行事を復興すると言う志を忠実に引き継いだと思われる。
肖像画を見る限り、誠に上品な品性を感じる。ひ弱な印象を受けるが、7人の皇子、8人の皇女をもうけている。今なら絶倫と言いたいところだが、平時の皇帝や将軍の役目は子作りだ。同時代の家斉と子作り対決と言ったところか。
家斉
その最後の皇女を徳川家に嫁がせている。和宮だ。(降嫁時は亡くなっているが、)
唯一の功績は、学習院の創設に関わっている事だ。現在の御所の東南、建春門辺りに公家講学の場として「学習所」が創設された。
公家たちの勉強の場を提供した。それが現在の学習院大学の祖である。皇室の方々が学ぶのは当然の流れなのだ。
今後、多くの天皇を書くがこのように時代をしっかり繋ぐ事が役割の、御繋ぎの天皇は多く出て来る。歴史に大事件や大きな業績は残していないが、本来天皇とは皇統をしっかり繋ぐ事が最大の役割なのだ。後醍醐や後鳥羽のように大乱を起こした天皇もいるが、我々は仁考天皇のように、忠実に世を繋ぎ、多くの皇子を残す事で日本を守った天皇を忘れてはいけない。
薨去後、泉涌寺 後月輪陵に葬られた。
次は、父光格天皇。