アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

314 アチャコの京都観光日誌 逆順の天皇史 ⑭ 後水尾天皇 存在感が半端ではない天皇  中 

2018-03-14 11:21:58 | 日記

逆順でたどる平安京の天皇たち

 

108代 後水尾天皇 幕府に抵抗した天皇 中

 中宮和子

 

この時代天皇を怒らせた事件を紹介する。

①     およつ御寮人事件

典司として後水尾天皇のそばに使えていた女性で、四辻与津子という。後水尾は溺愛した。事実上の初めての女性(お相手)だったのだろう。天皇より7歳ほど年上の女性であった事から閨の手ほどきも受けたのではないかと想像する。しかし、一方徳川家からの和子の輿入れの話が進められていた。因みに、和子は11歳年下だ。輿入れが決定した時はまだ6歳の少女でおよそ閨のお勤めは果たせない。そんな時、与津子に子供のいる事が発覚し本人及び周辺の一族関係者が処罰された。その時の幕府の言い分は「宮中の風紀の乱れ」であった。徳川の大奥とどう違うのか?

与津子本人も追放、出家となった。この時、若気にはやる後水尾は譲位を言い出したが、藤堂高虎の恫喝により断念したと言う。ここから幕府への反発が始まる。やはり最初のおんなを取られた恨みは深い。

②     紫衣事件

当時、高位の僧侶に最高の位を現わす紫の袈裟・衣を与える権限は朝廷にあった。正確には家康の時代に「勅許紫衣之御法度」で権限ははく奪されていたが、依然として天皇が行っていた。しかし後水尾の時に突然幕府が、その違法・略奪を通告してきた。抗議した大徳寺、沢庵和尚など多くの高僧が島流しとなった。後水尾の激怒が目に見えるようだ。

③     金杯事件

そして、家光の乳母である春日の局の宮中参内についての事だ。諸説あるが、当時無位無官の身でありながら参内し天皇の譲位を諫めたと伝わる。

因みに、春日の局は、本名斎藤福。何と明智光秀の筆頭家老の実の娘である。まさに謀反人の直系である。本能寺の変が家康の陰謀だとする説は、ここに由来する。因みに当時の乳母とは、単に授乳の勤めだけではない。少年となった家光の性の手ほどきも行っていると思われる。そうでなければ命を張って正室お江の方と御世継ぎ争いの指揮をするだろうか?(やや妄想)

このような事件の積み重ねが、積年の恨みとなって後水尾の突然で無断の譲位につながる。

因みに、その中宮和子とは仲睦まじく、2人の皇子、7人の皇女をもうけている。ただし皇子二人は早世している。7歳上のおよつ御寮人に手ほどきを受けた閨の技で、11歳下の徳川和子に十分愛おしんだという事だ。冒頭の絵にあるようなチャーミングな女性だ。ちょっとうらやましい。(妄想が入った)

続く

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313 アチャコの京都観光日誌 逆順の天皇史 ⑬ 存在感が別格  後水尾天皇 上

2018-03-14 08:30:30 | 日記

逆順でたどる平安京の天皇たち

 

108代 後水尾天皇 存在感が別格の天皇 上

 

後陽成天皇 母は、近衛前子

l  在位中元号

l  慶長・元和・寛永

l  生年・崩御

l  1596年6日29日~1680年9月11日

l  在位

l  1611年5月9日~1629年12月22日

l  朝廷

l  京都御所 土御門東洞院

中宮

徳川和子

l  皇子・皇女

l  多数(約36名)

l  先代

l  後陽成天皇

l  次代

l  明正天皇

l  陵墓

l  月輪陵

 

いよいよ江戸時代の天皇の主役登場だ。幕府が江戸に開かれ、まだ、その基盤が確立されていない中で、幕府にとっては京都の朝廷対策は最重要事案であった。家康は硬軟交えて施策を考えていた。それが金地院崇伝の献策で「禁中並びに公家緒法度」に集約され、結果朝廷の独自政治力は大きく削られた。

一方将軍秀忠の娘、和子を天皇の御台所として御所に送り込んできた。そのいずれもが後水尾天皇の逆鱗に触れる。

ここから話が始まる。

清和天皇(水尾天皇)

因みに、後水尾の水尾とは、京都の三尾(高尾・栂尾・槙尾)に加え、愛宕山の南山麓を水尾と呼び、清らかな水が湧き出ていた地域で、平安初期の天皇である清和天皇がこよなく愛した地域である。従って、清和を水尾天皇とも呼ぶ。それにあこがれた天皇が後水尾天皇で、その思いが強く天皇は生前にこの諡号を希望したのである。まさに御意思の強い天皇である事がうかがえる。

加えて、父後陽成天皇と生涯不仲であった事も、有名だ。

その事で、先ほどの清和天皇の息子が陽成天皇であったにも関わらず、父に後陽成の諡号を送り、自らはその親の後水尾を希望する父子逆転の命名を行った。その執念たるやすさまじい。因みに平安時代の陽成天皇は心身尋常ではない狂乱の天皇であったとされる。その天皇の諡号を父に贈った。

恐ろしい・・・・。

続く

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