117代 後桜町天皇 現在のところの最後の女性天皇
在位 1762~1770
在位中年号 宝暦・明和
後桜町
115桜町ーーー117後桜町
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116桃園ーーー118後桃園
ここで整理すると、桜町の娘が後桜町、桜町の息子が桃園でその子が後桃園。
重祚とは、同じ方が再び即位する事。
女性天皇は、推古・皇極(重祚して斉明)・持統・元明・元正・孝謙(重祚して称徳)ここまですべて奈良時代以前だ。それ以降は、後水尾天皇が突然退位した後の、明正天皇。そして今回の後桜町天皇。いずれも次期天皇が幼少で、つなぎの天皇だ。これを中天皇(なかのすめらみこと)と言う。
因みに、神功皇后が即位していたと言う説はあるが、歴史上「皇后」扱いだ。
神功皇后の錦絵。
現在は、男系男子に限定しているので女性天皇は、この天皇が最後となる。
実に、平安時代以降、800年近く男系男子でつないできたのだ。今後も簡単に女性天皇を容認すべきではない。女性差別ではない。いずれ詳しく書く。
年表を確認しても、京都に大事件はなく 文化的には円山応挙の活躍の時代だ。また白隠が萬福寺を再興した時期でもあった。
そして、甥の13歳の成長を待って後桃園天皇につないだ。愛情深く文化的素養にも長けた方であったようで、院政をもって若き天皇を指導した。
さらに光格天皇即位後も、傍系からの天皇にも関わらず親身に指導し「国母」と呼ばれた。光格天皇が父閑院宮に天皇尊号を送ろうと幕府と対立した時には、「御代長久が第一の孝行」(あなたが長く安定して天皇でいる事が一番の孝行ですよ。)と言って諭した。
やはり天皇は、男性であれ女性であれ日本国を考えていた。
次回は、異母弟 116代 桃園天皇