逆順でたどる平安京の天皇たち 番外
北朝5代を語る
北朝3代目 崇光天皇
元号 |
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先代 |
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次代 |
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誕生 |
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崩御 |
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陵所 |
大光明寺陵 |
父親 |
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母親 |
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子女 |
伏見宮栄仁親王・興信法親王・瑞室・弘助法親王 |
皇居 |
崇光天皇の時代は、まさに「観応の擾乱」の時期に重なる。従って、その経緯に翻弄される。
観応の擾乱とは、足利兄弟の、尊氏、直義、そして執事筆頭の高師直の三者のドロドロの権力争いである。敵味方、南北朝入り乱れて繰り広げる果てしない不毛の争いである。調べれば調べるほど嫌気がさす。
経緯を書く、ついて来て欲しい。
左、伝尊氏像。右、直義。
① まず、師直が尊氏の権力を背景に直義をけん制する。
② 直義は、関東の大豪族武士団を背景に対抗する。
③ 南朝討伐に向かった直義が敗れ去る。
④ 翌年、師直が南朝討伐に成功し後村上天皇を追放する。
⑤ 軍事力で優位になった師直に対し、直義が兄にその罷免を要求する。
⑥ 反対に、武力を背景に直義が罷免され、尊氏の息子義詮が登場する。
⑦ 尊氏の実子でありながら直義の養子となり対立関係にある直冬が登場する。
⑧ 直冬は、尊氏・師直に対抗する。直義が復活し大規模衝突に発展する。
⑨ 直義方は、南朝と和議を結び優位に立つ。
⑩ 尊氏が追放され、師直は殺される。
⑪ 直義が義詮を後見する体制へ、
⑫ しかし直義も安定せず、鎌倉に逃げる。
⑬ 尊氏が、南朝と和睦し鎌倉から直義を追放する。
⑭ 最終的には、尊氏は弟直義を殺害する。
以上が、その経緯だ。美しいドラマはどこにも存在しない。まさに不毛の戦いだ。鎌倉幕府も室町幕府も発足時にはなぜこのような一族・身内が争うのだろうか?
その結果、北朝の崇光天皇は廃止させられる。南朝に捕らえられ吉野から大和の賀名生に幽閉される。しかしその間に都を奪還した尊氏は、新たに後光厳天皇を即位させている。
崇光天皇(上皇)は、何も出来ないままに即位から退位までこの擾乱の中で翻弄された。この天皇も京都に戻るとすぐに出家した。
失意の中、崩御。
せめてもの救いは、曾孫の代になって102代後花園天皇即位により自らの血統が現在まで続く皇統になっている事だ。