アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

366 アチャコの京都観光日誌 逆順の天皇史 69代 後朱雀天皇 付録 日大監督事件

2018-05-21 08:57:00 | 日記

逆順でたどる平安京の天皇たち    の前に・・・。

「日大 アメフト ...」の画像検索結果ピンクのネクタイも問題?「日大 アメフト ...」の画像検索結果

関学を(かんさい学院)と、言ってはならない。(かんせい学院)と、言わなければならない。まして、名門日本大学の常務理事の要職の立場にある方であれば重罪だ。しかも、すでにアメフト暴力タックル事件での当事者責任も問われている最中だった。

自らは、すでに人生の成功者であるにも関わらず、これから人生の門出に向かう学生を擁護しない人格の欠陥性はどのように考えれば良いのか。アメフトという一競技の問題だったが、昨日を境に学生スポーツ全体と「日本大学(にほん大学か、にっぽん大学か間違ってはならない。)」 の、存続を危うくしている。

筆者も決して善人ではないが、彼のような性根の腐った悪党はすでに極道の世界にもいない。その世界では、子分の不祥事は親が、指を(ツメル)落とす。

さて、

69代 後朱雀天皇 道長と頼通に翻弄された。

「後朱雀天皇」の画像検索結果

第69代天皇

在位期間
1036年5月15日 - 1045年2月5日

元号

長元長暦長久寛徳

先代

後一条天皇

次代

後冷泉天皇


誕生

1009年12月14日土御門殿

崩御

1045年2月7日東三条殿

陵所

圓乘寺陵

敦良

別称

精進行(法名)長暦帝

父親

一条天皇

母親

藤原彰子

皇后

禎子内親王

中宮

藤原嫄子

女御

藤原生子藤原延子

夫人

藤原嬉子

子女

後冷泉天皇後三条天皇良子内親王娟子内親王祐子内親王禖子内親王正子内親王

皇居

東三条殿

上記、皇居の欄に注目したい。この時代平安宮はすでにない。しかも現在の御所もまだ出来ていない。では、皇居とはどこだ?

答えは、天皇がいるところが皇居だ。

後朱雀天皇の皇居は、東三条殿となっている。次の後冷泉天皇は高陽院(かやいん)であった。

「寝殿」の画像検索結果神殿造りの里内裏

東三条殿とは、藤原道長の邸宅だ。元は兼家の邸宅として建てたものを道長が相続した。藤原氏など有力者の女子を中宮にした場合その皇子が天皇になった場合その住まいが皇居となる。それを「里内裏」という。このように当時は、天皇の時代によって里内裏が点々とする。室町時代に光厳天皇が現在の御所に定着するまで、このような状態が続く。

さて、後朱雀天皇は、前回に続き書きにくい。

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この系図を見るとすぐ分かる。道長の子女の彰子が太皇太后、姸子が皇太后、威子が後一条の中宮、その妹の嬉子が後朱雀の中宮だ。このお二人の天皇は、叔母と甥の関係で結婚している。(現代で言えば おばさんと 結婚さされた御曹司)

かなりの無理があった訳だが、「この世をば わが世とぞ思う 望月の欠けたることも なしと思えば 」と謳った絶頂期の事だ。

天皇自身の功績はどの書籍にも特に記載がない。

次回は、さらに書きにくい 後一条天皇。

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