逆順でたどる平安京の天皇たち
73代 堀河天皇 長生きしていれば偉大な賢帝へ
元号 |
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先代 |
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次代 |
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誕生 |
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崩御 |
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陵所 |
後円教寺御陵 |
諱 |
善仁 |
父親 |
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母親 |
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中宮 |
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女御 |
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子女 |
歴史に「もしも」は、禁句だ。しかし歴史愛好家には「想像の遊び」が許されても良いだろう。
・清盛の長男重盛が長生きしていれば、「平家の政権はもう少し長持ちしただろう。」
・豊臣秀頼が大阪城で死ななければ、「豊臣家は一大名家として存続出来たかも知れない。」
などは定番である。
重盛 左 秀頼 右
さて、堀河天皇は、「末代の賢君」と言われる。「神皇正統記」にはその資質について絶賛している。即位後すぐに天皇親政を行い世は治まったとされる。
「天が下治まりて、民安く世のどかなり」と「発心集」にも述べられている。しかし、8歳で即位し28歳で崩御している。後半は、父白河上皇の院政の影響が強くなったと言われている。と、すれば幼くして賢帝の兆しがあったのだろう。筆者は長く院政を続けた白河上皇を快く思わない風潮が、このような評価につながったのではないかと思っている。歴史書とは後世振り返って書かれる為、後の評価が強くニュアンスに現れる。保元平治の大乱の大本原因を作った白河上皇への評価は、厳しかったのではないか。
聖徳太子?天神さん?
筆者は、前政権の評価をおとしめて現政権の正当性を強調する事よりも、評価を現実以上に高める事の方が多いように思う。聖徳太子や、菅原道真などは神格化されているし、将門伝説や大石内蔵助などは典型例だ。もうお分かりだと思うが、日本人の根底にある「怨霊思想」が理由だ。不幸な死に方をした人を決しておとしめない。死人にむち打ちのは、最も卑しい行為である。つまり怨霊となって祟るからである。堀川天皇の短い時代に大きな災害はなかった。しかし絶賛されるような政治的功績は見当たらない。父の院政を考えると政治手腕を発揮する間もなく早世している。もちろん公家や女官達には評判の良い人柄の温厚な天皇であったのだろう。今や聖徳太子などは存在すら疑われている。神格化という歴史的作業は我々の教科書教育では理解できない。他に神格化された偉人、楠正成、源義経、坂本龍馬、藤原鎌足・・・・・・。学者たちの研究を待ちたい。
われ等が英雄 楠木正成
次回から、天下の悪人?白河天皇。