エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

ヒロシマ原爆の日・・・鎮魂の一日

2011年08月06日 | 日記
ヒロシマに原爆が投下されてから66年目の夏が来た。
世界の共通語「ヒロシマ」「ナガサキ」である。

戦は非人道的な行為であり、原子力の驚異を知っているはずの人間はいまだに過ちを繰り返している。



1945年8月6日午前8時15分17秒(日本時間)、アメリカ軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が、建物の西隣に位置する相生橋を投下目標として原子爆弾を投下した。
投下43秒後、爆弾は建物の東150メートル・上空約580メートルの地点で炸裂したのである。

これがその時の原始雲である。
この雲が広がり「黒い雨」を降らせた。



井伏鱒二が「黒い雨」という小説で描いている。
井伏は広島出身の作家であって、太宰治の師でもある。



原爆ドームが残ったのは、爆風が上から来たからである。
爆風が横からだったら、なぎ倒されていたのである。

原爆炸裂後、建物は0.2秒で通常の日光による照射エネルギーの数千倍という熱線に包まれ、地表温度は3,000℃に達したという。
凄まじいエネルギーである。



原爆を投下したのは「エノラ・ゲイ」とニックネームのついた、このB29である。
真中でパイプを加えているのが機長である。



原爆投下当時は広島県産業奨励館と呼ばれていた。
世界遺産(文化遺産)に登録されており、“二度と同じような悲劇が起こらないように”との戒めや願いをこめて、特に「負の世界遺産」と呼ばれているのである。

ぼくは、原爆投下は戦争犯罪だと確信している。
だがしかし、戦勝国USAは二歩だけに戦争犯罪を問うた。
「極東軍事裁判」で裁いたのであった。

ぼくの気持はハーグの国際裁判所が裁いてくれないだろうか・・・などと思っている。
それは叶わぬ夢であろうか・・・。



出撃前のエノラ・ゲイである。
機長がにこやかに手を振っている。

でも、ぼくは個人的に彼を批判するつもりはない。
彼も、戦争の犠牲者であるからだ。

とまれ、ぼくは8時15分哀悼の誠を捧げた。
戦は再び繰り返してはならない。

今日は一日、鎮魂の静謐な時間を過ごしたいものである。





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 荒野人


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