エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

俳句を詠むきっかけ・・・臼田亞浪との出会い

2012年02月01日 | 日記
俳句を初めて、そろそろ5か月になる。
秋、冬、新年と五つの節季を詠んできたのである。

まだ、春、夏という季節を詠んでいない。
早く詠みたいと思うのである。



さて、この通りは「山手通り」である。
場所は小田急線代々木八幡駅の横である。

傍には今話題の「㈶日本食品分析センター」などがある。
食品などの栄養素や、農薬や放射能汚染などを解析してくれるのである。



この通りに面して「代々木八幡宮」がある。



長い石段の上に鎮座するのである。
しかも、都会のど真ん中とも思えない深い森の中に佇んでいる。



結界に守られている!
といった気配である。



この境内に俳人「臼田亞浪」の句碑があるのである。
高浜虚子のアララギから分かれて、独自の道を進んだ俳人である。

臼田亞浪までは「俳句即写生」が主流であった。
臼田亞浪は「俳句即人間」を標榜したのであった。



この句碑に刻されている俳句・・・。



      そのむかし代々木の月のほととぎす       亞 浪



である。
ぼくが所属する「からまつ」という俳句結社は、この臼田亞浪を祖とするのである。

この「からまつ」はたまたま出会ったのであるけれど、現・主宰の由利先生は素晴らしく博識でかつ温厚な方であって「博覧強記」を地で行く方である。

由利主宰に学ぶことが多い、それが俳句を続けるきっかけであると言えるのである。

ぼくは、まだまだ写生も人間も、その違いは分からない。
だがしかし、写生を極めると人間に行きつくと考えつつ俳句を作り続けたいと思っている。



八幡宮の奥手にある稲荷宮である。
ここにも参った。
出世稲荷である。



また、この境内には縄文時代の遺跡もある。
いまは、この住居が復元されているに過ぎないけれど、雰囲気はある。

ぼくは二つの大好きな事柄に出会えたのであった。
言わずもがなであるけれど、俳句と遺跡の二つである。




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 荒野人


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