本日、割増賃金請求訴訟の和解期日でした。弁護士より電話があり和解成立とのこと。当初、請求訴額の3分の2となりましたが今回の訴訟で会社の態度や、第二回口頭弁論準備書面にて私は子会社へ転籍しており本体とは無関係とか、勝手に朝早く来て仕事してるとか・・全く会社の否を認めませんでした。【名ばかり管理職】であったことは裁判官も認めてくれていたと思います。とにかく【セコイ】代表者。振り返ると、やはり雇われている身の弱さを感じています。従業員200名の中小企業とはいえ銀行借入は無く20年以上の増収増益を続けてきた背景には一般社員の固定残業制度による未払い残業も含まれているのです。残業代訴訟は、ほんの挨拶。まもなく後遺障害損害賠償請求訴訟に入りますが、その前に当方弁護士より相手方弁護士へ任意交渉のため先週、連絡文書を送付しています。請求額は多額であるため相手方弁護士より今月中まで回答を待って欲しいとのことです。来週、相手方弁護士と会社代表者が協議するらしいのですが99%任意交渉で終わるわけがなく来月には訴状提起となる見込みです。およそ2年長ければ3年の長丁場となる裁判が、いよいよ始まらんとしています。残業代は来月、振込されますが、早速・・長女と次女の誕生日祝いに・・
北の大地は恵みの大地(o^^o)海の幸はもちろん、ジャガイモ、トウモロコシ、アスパラ等の野菜、夕張メロン、りんご、サクランボの果物類、天然水も美味しいので、お酒も格別。旭川にある男山酒造。そして白い恋人や生チョコ、生キャラメルのお菓子、牧場も多く乳製品も格別です(o^^o)先日、お世話になっている方々へのお中元を買いにイオンモールに行きました。数々のお中元用詰め合わせセットを見ていると?お菓子のエリアに【橋本牧場】製造のお菓子が置いてありました。牧場の乳製品からお菓子を作り贈答用として黄色包装紙に包まれたお菓子。橋本牧場は、元スピードスケート選手である橋本聖子氏のご親族が営んでおられる牧場と記憶しています。何故?そんな事を知っているか?それは橋本聖子氏の従姉妹にあたる女性が私の部下でもあったからです。その部下も橋本姓を名乗っていて顔も似ています。特に目元が似ていたのが印象的でした(^^;;話は逸れましたが北海道は、あとお米も美味しいですよ。新潟や秋田のお米と比べるとネームバリューは落ちますが【キララ】は有名な北海道産です。海に囲まれ山もあり牧場もあり、とにかく北の大地は恵みの大地です(o^^o)
脳出血で倒れて2週間過ぎた頃の話です(^^)漸く、病室の雰囲気も慣れペースト状の御飯から卒業した私は、粒の御飯が食べられる幸せを感じていたのです(^^)言語と嚥下トレーニングをして下さっていたリハビリの先生は中年の女性でした。とても親しみやすい方で『Yさん、どう?やっぱり御飯は御飯で食べるのがいいですね(^^)』確かにそうなんですが、とにかく味が薄いのなんの。いや薄くというより味がしない?って感じでした。リハビリの先生に『でも味が薄すぎて(。-_-。)』不満気に答えるわたしに『そうやね。でも塩分は控えないと、また倒れますよ。』こんな会話をしていたなか、ある日の夜。ベッドで寝ていた私は急に目が覚めたのです。理由は、とにかく塩を欲しくなって仕方がないのです。もう、身体が欲しているとは、この事で、とにかく塩!塩!塩!舌の先に耳かき程度でも良いので塩を舐めたくて舐めたくて(・・;)目を瞑ると、なんと塩の結晶みたいなのが映るほどでした。もう、我慢が限界でナースコール。看護師さんが病室に入ってこられるや否や『塩!塩はありませんか?ほんの少し舐めたくて!』私の要望に困り顔『塩のですか?もう深夜ですし(・・;)』私はギヤーギヤーとお願いしてるのとは対象的に坦々と答える看護師さんに対して無性に腹が立ってきたのです。人間、お腹が空くとイライラすると言いますが塩などミネラルが欠乏してもイライラするもんです。『とにかく、病院の近くのコンビニでいいので何か塩分のある食べ物買ってきて!!』しかし脳出血で倒れた患者に塩分の濃い食べ物を看護師として与える事は出来ないらしく『もう!舐めるだけ!食べないから!フライドポテトでも唐揚げでもいいから!』テレビのある棚の引き出しに財布があるので、そこからお金を出して買ってきてくれるよう泣きそうな顔で頼んだのです。『わかりました!少し待っていて下さいね。買って来ますから!』根負けした看護師さん、財布から千円札を取り出し病室を出て行きました。とにかく看護師さんの帰りが待ち遠しく私は、もう気が狂いそうな程、塩分を欲していて、身体中のイライラ感が半端ありません。役10分くらいでしょうか。看護師さんは唐揚げとフライドポテトを買って来て『これは特別ですよ。ドクターには決して言わないで下さいね!』おそらくドクターに知れると叱られるのかな?私は『もちろん。言いません!』そう答えると同時にフライドポテトに付着している塩を舐めたのです(o^^o)ほんのひと舐めしただけでしたが妙に落ち着きました。ほっと一息。フライドポテトは少し食べて唐揚げに移ると、やはり表面の部分をペロペロ。身体中の何かが変わっていくように、すーっとイライラ感が抜けていくのを感じたのです(o^^o)唐揚げは結局、一つも食べず、気持ちが落ち着いた私は、そのまま眠りに落ちました。人間は塩は絶対に必要です。その昔、塩が大変、貴重な物だったことを改めて感じた瞬間でした(^^;;
3年前に脳出血(。-_-。)右視床部に起きました。何年か前では死亡率は高く、時代が時代なら私は確実に死んでいたかも知れません。今でも脳卒中で亡くなられる方は少ないとは言い難く、出血部位、出血量に寄れば事態は重くなります(・・;)私も、倒れた瞬間は単に気分が悪くなったのかな?と思ってましたが倒れてから2、3分して(これは?おかしい?え?もしかして死ぬの?)と。そして救急車で運ばれている途中、救急隊の方が懸命に話しかけてくるのを言葉にならない言葉で答えつつ一方では(死ぬ?あー、家族と話したいこと、たくさんあったのに)私は不思議と冷静に死を覚悟していたのでした。病院に到着した途端、意識は全くなくなり、意識が戻った時は集中治療室のベッドの上。(生きてる?)身体中、点滴や心電図のようなコードだらけ。気持ちは急に、窮屈なベッドにイライラ。そして漸く通常の病室へと移動してから身動きが出来ない私はベッドの上で(神様から生かされた?)まだ、自分自身がやらなければいけないこと?心を感じ取らなければならない事?が残されていて、今迄、神様から『気付きなさい。』何度も信号を送られてきたのかな?それでもわからなかった私に『病気』という困難を与えて下さったのかな?ベッドの上で動かない左手、鉛のように重く左足も同じ。歩ける事、身体が動き自由な行動を取れることが、どれだけ幸せなことか。同じ病室の、オッちゃんが『Yさん、今日、ワシ、一旦、家に帰るワ。』と明るい声でスタスタと病室を出て行った後ろ姿を見送ったとき、普通に歩けるオッちゃんが、どれだけ羨ましく思えたか知れません(^^;;まだ車椅子にすら乗れなかった私(。-_-。)でも不思議と気持ちは焦りませんでした。(リハビリしたら、そのうち何とか動くだろう。)と。でも入院して、次の病院に転院するまでの1ヶ月の間は本当に『人は生きてるんではなく生かされてるんや。』もう、この実感しかありませんでした。